第16話

 「ねぇ、あの場所に行ってみない?」

 春休み某日。凜の自宅で魔法の訓練をしている最中にふと思い出し、何となく提案してみた。

 「あの場所?」

 一人、少し早めのアフタヌーンティーを愉しんでいる凜は、紅茶にマドレーヌを浸して食べている。そんな凜の向かいの席に腰を降ろし、皿に盛られたマドレーヌを手に取り、白い湯気が立ち昇る紅茶にゆっくりと浸してから咀嚼する。魔法の行使には少なからず体力を消耗するので、こうして休息ついでにお茶とお菓子を食べるのが近頃は日課になっている。そして、この日も凜が用意してくれたお茶とお菓子で小腹を満たしてから、再度、先程の提案を口にする。

 「そう、去年のクリスマスイブに私たちが初めて出会った時に咲いていた『魔法の花』って、まだあの廃ビルに咲いてるのかな?」

 「あー、あの花のことね」 

 「凜、知ってるの?」

 「ええ、知っているわ」

 「だったらもう一度見に行こうよ!」

 「残念だけど、それは無理ね」

 嫣然と微笑みながら、凜は頭を振る。

 「あの花は、あの場所にはもう咲いていないの」

 トントン、と自身の胸を指差す。 

 「今は私たちの中で眠っているわ」

 「‥‥‥どういう意味?」

 「ねぇ、華は初めて魔法を使った時のこと覚えてる?」

 「え?」

 思わぬ問い掛けにドキリとした。

 忘れかけていた記憶。否、実際にはこの一ヵ月意識的に忘れようと努めてきた。

 見知らぬ男たちの粘つくような下卑た視線と、近づいてくる指先は、私の知る人間と同じモノとは思えぬ汚らわしさがあった。遮二無二に男たちの拘束から逃れようとしていた私は、偶然にも無意識下で魔法が発動し、男たちの拘束から逃れる事に成功した。

もしあの時、あと数秒遅ければ、今頃は―――。

 沸々と蘇ってくる恐怖に、悄然と顔を俯け、きつく眼を閉じる。

 「ごめんなさい、嫌なことを思い出させてしまったわね」

 席を立ち、背後に回り込んできた凜に優しく抱きしめられる。歳も身長も私とそう変わらないのに、子供をあやすように髪を指で梳きながら撫でてくる。そう言えば子供の頃もよくこうやって母さんにしてもらった。懐かしい感覚に落ち着きを取り戻した私は、凜の手の甲にそっと自身の手を重ね、「もう大丈夫」だという事を無言で示した。

 するりと抱擁が解ける。改めてテーブルを挟んで向き合う。 

 「ありがと‥‥‥」 

 「気にしないで、むしろ華を抱きしめられて私的には十分満足しているから」

 ニコリ、と冗談にも本気とも取れる凜の発言に、思わず笑みが零れる。

 「それで、話の続きだけど。あの花―――『魔法の花』は、あの日、貴方が花に触れてすぐに消えてなくなったわ。その理由はさっきも言った通り、私たちの中に宿ったから」

 「さっきもそう言ってたけど、それってどういう意味なの?」

 「要するに、あの花は私たちに寄生してるのよ」

 あっけらかんという風に口にする凜。しかし、それを聞いた私はたっぷり数秒唖然となり、

 「き、寄生って⁉ それってまさか、映画とか漫画みたいに、宇宙人とか別の知的生命体に体を乗っ取られる、アレの事⁉」

 「ええ、まさにその通り」 

 あまりにもショッキングな内容に愕然とする私とは裏腹に、凜はすっかり温くなってしまった紅茶にそっと口をつける。その仕草に焦りや驚き、恐怖の気配は欠片もない。どうしてそんなに余裕でいられるのか、この時ばかりは凜の精神構造が理解できなかった。

 が、彼女はコチラのそんな感情の機微を鋭く察してか、フフッと微笑し。

 「そんなに驚くようなことかしら?」

 「そ、それは驚くよ。凜は平気なの?」

 「平気よ」と、鷹揚に頷いてみせる。

 「だってそうでしょ? この力がなかったら私たちは、死ぬはずだった。こうして華と一緒にお茶をしたり、一緒にお喋りすることも、誰かと一緒にいることがこんなにも幸せなことなんだって知ることもなかった。そう考えたら、この体が別の何かに寄生されていたとしても私は気にしない。むしろ感謝したいくらいだわ」

 凛の云わんとすることは何となく理解出来る。確かにあの時、凜と出会っていなければ、私は今もここでこうして暢気にアフタヌーンティーに興じていられなかった。凜と出会えたことに関しても、あの花がなければ、あのまま関わりすらしなかったかもしれない。そう思うと何だか、凜の云う通り、私の体に寄生している『何か』が途端に愛おしく思えた。

 「でもこれだけは覚えておいて。あの花は、誰彼構わずに宿主を選ぶわけじゃない。心に深い傷を負った人に『種』として宿るの。だからその後は、全てその人次第よ。実は華以外の人にもあの花に触れさせたことがあるの。だけど結果はすべて失敗。誰一人、魔法には目覚めなかった。貴方にも『種』が芽吹いた瞬間があったはずよ?」

 そこでようやく先程凜が何を言おうとしていたのか、その心意を理解した。

 確かに、男たちに襲われそうになったあの瞬間、私の中で何かが弾けた。

 「‥‥‥そうか‥‥‥あれが‥‥‥」

 そっと自身の胸に手を這わせる。

 とくん、とくん、と意識して聞いてみると心臓の音とは別に『何か』が鼓動しているような気がした。

 「ねぇ、そういえば魔法使いって、凜の他にも誰かいたの?」

 今更ながらの問い掛け。だが、凜は肯定も否定も示さず、ただ静かに呟いた。

 「みんな、散っちゃった」

 それが何を意味しているのか知ったのは、もうしばらく後のことだった。



 全てを話し終えた頃には、店の壁に掛けられた時計は夜の七時四十分を指していた。

 テーブルの上に膝を突き、組み合わせた指の上に鈴は額を置きながら深く息を吐き出した。

 「なるほど、銀色の花か‥‥‥。まるでファンタジー、いや昔どこかで見たSF映画みたいな話だね」

 「それでも全て本当のことなの。私もすぐに信じられなかった。だけど今は、この力がいろんな人の役に、大勢の命を救うことが出来る力だって信じてる! だから‥‥‥」

 今日訊いた話を誰にも言わないで、と言いかけてキュッと唇を噛み締めた。

 そんな私の葛藤を察してか凜がその続きを引き継いでくれた。

 「さぁ、これで私たちの知っている事は全て話した。だから言うわよ。このことを他の誰かに話したりしないで。そうなれば私たちは、それこそB級SF映画のように実験動物にされてしまう。もし誰かに話せば―――」

 その続きは言葉にしなくても、凜から放たれる尋常ならざる威圧感だけで容易に察せられた。鈴もフンッと小さく鼻を鳴らし、眼鏡の位置を調整し直すと、さきほどまでの疲労感を一切感じさせない言葉を返した。 

 「それにはあともう一つ、聞きたいことがある」

 「あら、まだ何か?」

 一拍の間を開け、組んでいた指を解くと、鈴は怜悧さの増した眼差しを向けながら言った。

 「魔法の使用によるデメリットについて」

 「ッッッ‼」

 私の動揺が顔に現れてしまう。当然、それを見逃す鈴ではない。凜もその様子に気付くと、仕方ないわね、と観念したように呟いた。 

 「アナタの言う通り、魔法の使用には代償が伴う」

 「へぇ、それでその代償って?」

 伏せっていた銀色の睫毛をかすかに震わせ、告げた。

 「使い手の―――寿命よ」


◇                 ◇                 ◇


喫茶店の閉店時間ギリギリまで居座っていた私たちは、三人そろって店を後にした。全てを聞けた鈴は満足そうに「それじゃあ、また学校で」と言い残すと、そのまま帰路へ着く。

 六月といえども夜の八時ともなれば、辺りは薄暗く、女子高生が一人で帰るには物騒だ。私たちはどちらからともなく家まで送るよ、と言い合い、短い押し問答の末に、凜が私を家まで送ってくれることになった。もちろん、帰りは空を飛んで帰るという条件付きで。

 灯りの弱い街路灯の下を、私たちは手を繋ぎながら歩いた。

 まだ電車はちゃんと走っているが、何となく歩いて帰ることにした。

 その途中、私は先程の会話について凜に問いかけた。

 「鈴のこと、信じていいのかな?」

 「さぁね。もう話してしまったから、今更気に病んでもしょうがないわよ。それよりも、心配なのはアナタよ―――華」

 「え、私?」

 凜に心配されるようなことは、考えただけでも両手の指の数でも足りない。一体何を言われるのか、緊張で胃がキュッと締め付けられる。

 「もう、いいんじゃないかしら」

 「‥‥‥何が、もういいの?」

 不意に立ち止った凜は、数秒ほど顔を俯け、耳を澄まさなければ聞き漏らしそうな弱々しい声音で呟いた。

 「もう誰も、助けなくてもいいんじゃない?」

 それはこの二か月続けてきた『奇跡の使者』としての活動を辞めるべき、という事だった。

 「何で、そんな事言うの? 凜も賛成してくれたじゃない。それに、私が好きでやってることだし‥‥‥大丈夫だよ。私、まだまだ元気だから‥‥‥」

 声は最後まで続かなかった。

 顔を俯けた凜の足元、街路灯に薄く照らされたアスファルトの上にポタポタと小さなシミが出来ていた。

 「このままじゃ、華まで‥‥‥」

 「‥‥‥凜‥‥‥」

 「ねぇ、もう辞めよう。他人のためにアナタが寿命をすり減らすなんって、やっぱり間違ってる。誰かを救うそれは確かに立派なことよ。でもね、それは魔法使いとして、ううん、人としては間違ってる。自分より他者が大切だなんってこと絶対に間違ってる‼」

 顔を上げた凜の陶器のように白い頬をとめどなく伝う涙は、紛れもなく孤高の白雪姫が、私の事を思って流す涙だった。感極まって私まで眼の奥が熱くなる。でも、せめて今だけは私は泣いてはいけない気がした。

 あの日、私の魔法が人や物を癒し、癒すことに特化していると教えられたとき、私はこの力があれば大勢の人を救えると思った。自分のために命を落とした両親のような悲劇を二度と繰り返さぬためにも、あの時生き永らえた私自身の存在価値を見出せたように思えたのだ。

 だけど、それは間違いだったのだろうか?

名前も知らぬ他人のために身を、文字通り命を削りながら魔法を施すなんってことは凜の言う通りただの偽善に過ぎないのだろう。

人として間違っているのかもしれない。

 だって、この世界で誰よりも大切な人が泣いているんだもの。

 私自身が選んだ選択を止めさせるために泣いている。

 それでも尚、私は胸を張って自分自身の行動を肯定することが出来るのだろうか?

 いいや、多分できない。 

 大切な人が涙を流すような選択が正しいわけがない。

 それでも私は凜の言葉に素直に頷くことが出来ずにいた。

 「凜、私ね‥‥‥死ぬのが怖い」

 「―――だったら!」

 「だけど‥‥‥、それ以上に、何もできずにただ死ぬことの方がもっと怖いんだ。あの時、母さんが私を救ってくれたように、私も救いたい。大切な人を、世界中の私みたいに死にたくないって思っている人達を救いたいんだ。だから‥‥‥私は、たとえ一人ぼっちになったとしても‥‥‥、続けるよ!」

 「――――ッ‼」

 「ごめんね。我儘ばっかり。だけどこれが私の選んだ道だから、これだけは自分の意思で最後までやり遂げたい。その所為で寿命を使いきって死ぬことになったとしても、それは母さんと、そして凜に救われた私の、この世界に対するせめてものお礼なんだ。だから‥‥‥、ごめん。凜の思いには答えられない」

 「‥‥‥そっか‥‥‥それがアナタの、華の選んだ道なのね」

 「うん。この思いだけは譲れない」

 自分でも驚くほど力強く言い切っていた。

でも、それ以上に何だか胸が少しだけ軽くなったような気がする。

 「あーあー、何でこんなにも思い通りにならないかなー」

 子供っぽく言いながら、手の甲で目元を拭う。眼の周りを赤く腫らした凜は、口元に薄く微笑を浮かべると、どこか甘えるような声と共に私の背中に両腕を回した。 

 「お願い、約束して? 私の前からいなくならないって」

 数瞬、固まってから、とりあえず凜の銀色の頭を胸に包み込むように抱きしめると、その耳元で、上手く伝わるかは解らないが、精一杯の思いを込めて囁いた。 

 「うん。約束する。私は、凜の前から絶対にいなくならないよ」


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