第7話

 両親の葬式と同じくらい泣いただろうか。

 体中の水分が全て抜けきってしまったように、ぐったりもたれ掛かる私を、黒条さんは優しく抱き留めながら耳元で先程の会話の続きを口にした。

 「それで、答えを訊かせてもらえる?」

 そんなの聞かれるまでもない。

 「‥‥‥‥‥‥‥不束者ですが、よろしくお願いします」

 こんな時何と答えればいいのか解らなかった私は、多分間違った使い方だと思いながらも、そう口にした。

 「こちらこそ、宜しくお願いします」 

 何で、敬語で話してるんだろう。何だか可笑しくなり、私は思わずフフッと笑みを零した。

 「私もこんな気持ち、初めてなの」

 不意に黒条さんが訥々と語り始めた。

 「これまで誰に対しても興味なんって持てなかった私が、アナタのことだけは知りたいと思えた。誰も本当の私を見ていない、誰も本当の私を知ろうとしない。外見ばっかり見ようとする。そんな偽物の世界に‥‥‥私は多分、飽きていた。でも、今は違う。アナタのおかげで私の世界を見る眼は変わったわ」

 すごく大袈裟な物言いだけれど、私は笑ったりせず、ただ静かに耳を傾けた。

 「ねぇ、黒条さん。魔法って何なの?」

 「あの夜、アナタも見たでしょ―――銀色の花を」

 三か月前。

 黒条さんに導かれるように、罅割れたコンクリートのタイルの割れ目に咲く、一凛の花に触れた。あの時、確かに私の中に何かが入ってきた。あれが魔法だったのだろうか?

 「あの花については、私も詳しいことは何も解っていない。私が魔法を使えるようになったのは一年前。私も、孤独に押しつぶされて自ら命を絶とうとことがあって、その時にね」

 「え⁉」

 「そんな顔しないで、今はこうして生きているんだから」

 冗談めかしているが、同じように自ら命を絶とうとした私には、その時の絶望が、孤独が痛いほど理解出来てしまう。もう枯れ果てたと思っていたが、目尻にジワリと滲むものがあった。

 その様子に黒条さんは、少しだけ困ったように微笑むと、ほっそりした指先で私の目元に溜まった涙滴を指先そっと払い、話を再開した。

 「死ぬ寸前、私は奇妙なものを見たわ。空から降ってくる光の粒を。

私は何かに導かれるようにその後を追って、そして出会った―――あの銀色の花に。

 それからしばらく経ってから、私の中に大きな力が眠っていると気づいた。物を触らずに動かしたり、空を自由に飛んだりとかね。

 だから私は、この不思議な力のことを『魔法』と呼ぶことにしたの。

 ごめんなさいね、ファンタジー小説とかだったら、杖をヒョイと振らないと駄目だけれど、私たちの場合は、強く思うだけで、それが叶っちゃう。もちろん何でも出来るわけじゃないけれど、大抵のことは常人以上に出来るようになるわ」 

 常人以上? いやいや、人が空を飛ぶだけでも十分自然の摂理を逸脱しているじゃないか。

 「それに思うの。この力は、幸せになるために神様が与えてくれた贈り物じゃないかって」

 「贈り物?」

 「そう。これまで孤独に苦しんできた私たちが幸せになるための最後の希望なんだよ」

 「‥‥‥‥‥でも、私に幸せになる権利なんて、本当にあるのかな?」

 幸せになる。という言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に過ったのは、七年前の情景だった。

 まだ両親が生きていた頃の記憶。

 白柳 華が間違いなく幸福であった頃の記憶。 

 そして暗い水底に沈んでいく、両親の悲痛な姿。

 思い出そうとする度に貧血のように意識が遠のいてゆく。

 「ねぇ、本当に大丈夫? さっきから顔色が悪いみたいだけれど?」

 「ご、ごめん。ちょっと気分が悪くなっただけだから、だいじょうぶ」

 背一杯の虚勢を張って、そう答えると黒条さんは「そう‥‥」とだけ答えた。

 「ねぇ、最後にこれだけは言わせて」

 「?」

 「この世界に生まれてきて幸せになっちゃいけない人間なんか一人もいないよ」

 「‥‥‥っ‼」

 「アナタに何があって、あの夜、死のうとしていたのかは私には解らない。だけどね、私たちはこれから、これまで得られなかった幸せを存分に手にするの。それがこの世界に生まれてきた、唯一の理由だと私は思うわ」

 それ以上、黒条さんの真剣な眼差しを直視していられず、顔を伏せった私は小さく呟いた。

 「‥‥‥すごいなぁ、黒条さんは。私なんかと違って、やっぱりすごく強い」

 それは私の偽らざる本心であり、最大級の賛辞だったけれど、黒条さんは少しだけ不満そうに言い返してきた。

 「ねぇ、約束して」 

 「約束? なにを?」 

 「これ以上、あなた自身が生きる資格がないなんって思わないって」

 恐る恐る顔を上げる私を見つめる黒条さんの瞳は、すごく真剣な色をしていた。

 「‥‥‥‥判った、約束する。私‥‥‥もう自分のことを、そんな風に思わない」

 するとニコリと破顔する。

 「そう。よかった」

 私はその笑みに、黒条さんの持つ人間離れした美貌にしばし見入ってしまう。

 「それじゃあ、そろそろ降りようか?」

 「あ、う、うん」

 「その前にもう一つ約束」

 「?」

 陶器のように白い肌を紅く染ながら、黒条さんはボソリと呟いた。

 「‥‥‥えっとね、私たち‥‥‥友達になったんだから、その‥‥‥黒条さんって呼び方じゃなくて‥‥‥名前で、凜って呼ぶべきだと思うの」

 「え、無理! 絶対に無理だよ!」

 今度は私の方が顔を林檎のように紅くする番だった。

 「どうして⁉ 友達だったら呼び捨てくらい普通じゃないかしら⁉」

 「そ、そうだけど‥‥‥でも‥‥‥でも‥‥‥」

 尚もフルフルと頭を振る私に、黒条さんはやれやれという風に肩を竦め、

 「判ったわ。じゃあ私もアナタのこと華って呼ぶわ。そしたら私の事も凜って呼べるでしょ?」

 「うぅ~‥‥‥でも、でも~‥‥‥」

 「じゃあ、質問を変えるわ。華は私のことを凜って、普通の友達みたいに呼びたくないの?」

 この一言が、無駄な足掻きを続ける私への決め手となった。

 「‥‥‥その、じゃあ‥‥‥呼ぶよ?」

 「どうぞ」

 「‥‥‥凜」

 ボソリと掻き消えそうな声だったけれど、黒条さん―――改め、凜はこれまで見た中で、最上級の笑みを、その美しい面貌に浮かべた。

 「改めまして、よろしく―――華」

 互いの吐息が感じられるほどの距離で、私たちは三度目の自己紹介を交わし合う。

 「こちこそ、よろしく――――凜」 

 満月の浮かぶ夜の天上雲園で、私たちは友達になった。

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