浮気召喚士と折檻天使

乾燥バガス

浮気召喚士と折檻天使

 斜めに差し込む朝日が川面から浮き上がるもやを強調していた。その川向うの大木の幹に手を当ててたたずむ少女。白いシンプルなワンピース、ブロンドでストレートの長い髪の毛。そして、その背中から純白の翼が生えていた。俯き気味のその頭上には黄金の光を微かに放つ粒子が環状に集まっていた。


 ――天使だ。


 その天使はふとこちらを見、僕の存在を認識した様だった。僅かな硬直の後、慌てた様子で彼女は木の幹に隠れた。木の幹の両側からはみ出して見える白い翼がしばらくわたわたと羽ばたいていたが、その動きがピタリと止まりそぉっと木の幹の陰に折り畳まれていった。


 僕はその木の裏側を、彼女を、もう一度見たかったから川に沿って走った。視点をずらしても彼女の姿は見えなかった。遠く離れていた橋を渡りその木にたどり着くと、その根本には白い羽根だけが残されていた。僕はそれを拾い上げ宝物にすることにした……。


 「それが俺が六歳の頃、初めて天使の白い羽根を拾ったときの話さ」


 「そうだったのね」


 俺と一緒にベンチに座っているカシャが笑顔で言った。決して美人ではないのだが、大きめの口で作る屈託のない笑顔が可愛らしい。数日前ふと足を運んだ道具屋で見かけたときに口説いたのだ。何が面白いのか分からない他愛のない話にも興味を持って聞いてくれる。


 「あら? もしかしてそのときの羽根を耳飾りにしてるのかしら?」


 カシャが体を寄せて僕の耳に手を伸ばしてきた。興味を持っているのは話の方ではなく俺の方なのかも知れない。


 「ああ」


 俺はカシャが俺の耳飾りを指先で突くままにしておいた。


 「実際は、そのときの羽根じゃないんだけどな」


 「どういうこと?」


 耳元でカシャがそっと尋ねる同時に、生暖かい息が俺の耳にかかる。


 「その後も度々現れたのさ」


 俺はそっとカシャを抱き寄せながら言った。


 「えっ?」


 驚くカシャ。一瞬目が見開かれたが、直後にとろんとした目で俺を見つめてきた。


 「本体の姿は見ることは叶わなかった。だが、何かの気配を感じて振り向くと物陰に白い羽根が畳み込まれる瞬間が見えた。その場所に駆けつけると白い羽根が落ちていることがあった」


 「不思議な体験ね」


 カシャは俺に体を預けたまま言った。


 「ああ。気づけばその羽根は百枚を超えてたのさ」


 「……うん」


 体の力を抜き、ぴったりと寄り添っているカシャ。


 「そしてそれが数年続いた後、ぱたりと気配を感じなくなった」


 「……うん」


 「居なくなると益々探したくなるよな」


 「……うん」


 「手に入らないものほど欲しくなるよな」


 「……うん」


 ああ、これはもう落ちたな。そう感じた瞬間、カシャに興味がなくなってしまった。


 今日でさよならだ。



   *   *   *



 「お前、召喚士だろ? なのに前衛みたく剣で戦うんだな」


 剣士の男が魔獣に刺さった剣を抜きながら言った。何度か共にクエストに挑んだ仲なのだが、男の名前を思い出せない。


 「ああ、召喚できるのは一体だけなんだ。ただ強力過ぎてここぞというときにしか呼び出せない。だから足手まといにならない様に武術も鍛えている」


 俺は周囲を見渡しならが言った。


 「そこいらの奴らより強いじゃないか、ひょっとして俺より――」


 俺はその男を蹴り飛ばし、後ろに居た弓使いのユミィを抱いて横に飛んだ。


 その瞬間、俺たち四人が居た場所に火球が発生し、轟音と共にその辺の地面と倒した魔獣を一瞬のうちに焦がしてしまった。


 容赦なく襲ってくる熱と衝撃。


 ユミィを抱いたままの俺は吹き飛ばされ、木の幹にしこたま背中を打ち付けられる。


 「ぐっ」


 思わず声が出てしまった。元居た場所に目を向けると、剣士の男は反対側に吹き飛ばされていた。そして、焦げた黒とただれた赤のまだら模様になった槍使いの男が別の方に倒れている。


 「大丈夫!?」


 ユミィが俺の腕の中で心配そうに言った。色白な肌に浮かぶそばかすをそっと触れたくなってしまう気持ちを抑える俺。


 「ああ、君は俺が全力で守るさ」


 一瞬頬を染めた直後、ユミィの目が恐怖で大きく目を見開かれる。


 後ろを振り向くと、見たこともない巨大な魔獣がゆっくりと上空から降りてきた。その双眸はしっかりとこちらを見据えていた。


 ――これは不味いことになった。


 覚悟を決めた俺は、切り札の召喚魔法を唱えた。


 目の前の地面に魔法陣が浮き上がり、円筒状の光が地面から吹き上がった。それが消えた後には彼女の堂々した後ろ姿があった。


 体のラインにピッタリと沿う真っ黒なロングブーツ、ロンググローブ、ビスチェ、真っ黒なショートヘア。そして、肩甲骨の付近から生えている大きく広げられた漆黒の羽。


 ――堕天使ルー。


 あの日の天使に再び合うため必死に召喚術を修練し、宝物だった天使の羽根を媒体にして契約できたのは堕天使だったのだ。


 ルーはユミィを抱いている俺を冷たい目で見下ろした後、何も言わずに巨大な魔獣に向かって飛び立った。


 堕天使と巨大魔獣との上空の戦いは、もと魔獣だった塊が地面に叩きつけられてあっけなく終った。それは一瞬の出来事だった。魔獣は光の檻で拘束されると同時に天空から幾筋もの雷撃が浴びせかけられ、さらにルーの周りに現れた八本の光の槍が体に吸い込まれ串刺しなった。直後に魔獣の真上を位置取ったルーがかざした両手から火球がいくつも打ち出され、魔獣に当たるたびに爆散して行く。その勢いで塊と化した魔獣が地面に叩きつけられたのだ。


 戦いが終わったルーは向こうで倒れている男の剣士の元にゆっくりと上空から降り立った。そして暫くして別の所に倒れている槍使いの男にゆっくりと歩み寄る。そして柔らかな光がその赤黒い塊を包みこむと、元槍使いだったその塊は、破損した鎧をまとった血色の良い男の姿に戻っていった。


 「さてさてさて」


 ルーの口元がその様に動いているのが見えた、と同時にジャンプしたルーの姿が消え、一瞬のうちに俺の目の前にふわりと降り立った。着地の瞬間に漆黒の翼を羽ばたかせ、その風が俺の冷や汗を吹き飛ばした。


 俺が抱いていたユミィを離しそっと一人で座らせたせた瞬間、


 「ゴッ」


 ルーに蹴飛ばされた俺は空中を飛翔していた、くの字になって。


 ユミィの状態が回復不要だと判断したルーはその場から俺の方に向かって飛び立った。飛翔している俺にすぐに追いつき両手で胸ぐらを掴むルー。そしてその瞬間に体中の負傷を治癒してくれた。


 「あ、ありが、ガガガガガ……」


 治癒直後の電撃で一瞬気絶したが、再びルーに治癒され意識を戻された。


 「童貞のくせに女に手を出してんじゃないよ。虫けらが!」


 強烈なビンタを喰らった俺は、地上に向けて真っ逆さまに落ちる。幸いにも落下地点には大樹があったので、俺は全神経を落下の衝撃を緩和する動作に向けた。太枝を蹴り、細枝を掴み、あるときは体が枝にぶつかるのに任せ、無様ながら地面に転がり落ちることができた。


 地面に倒れ込んだ瞬間、殺気を感じた俺は飛び上がった。さっきまで俺が居た地面にはルーの踵落としがめり込んでいた。


 キッと睨みつけてくるルー。


 「避・け・る・な」


 すぐさま飛びかかってきたルーの、瞬間に繰り出された五回の左右のコンビネーション、二回の回し蹴り、両の手から放たれた火球三発をなんとか避ける俺。昔っから何度も何度も襲われてきた俺はルーの攻撃をある程度避けることができる様になってきていた。だが最後は、左腕を捕まえられ動きを封じられる。


 「しまっ――」


 両腕だけではなく漆黒の羽も使ってルーにがっしりと抱きつかれて拘束されてしまい、何度も何度も電撃と治癒を交互に喰らわされた。気絶と復活を繰り返す俺。


 「『君は俺が全力で守るさ』だと? 気持ち悪いセリフを吐いてるんじゃないわよ」


 ぐったりとした俺の顔を両手で挟み、じっと見つめてくるルー。その顔には歪んだ笑顔が浮かんでいた。そして「ふん」と言って俺を開放しその姿を消した。


 しばらく呆然としている俺に、剣士の男が近づいてきた。


 「おいおい! おいっ! 大丈夫か!?」


 「ああ、いつも通りだ。問題ない」


 「あ、あれがいつも通りだと?!」


 「そうだ。付き合いは長いんだがな。これが、なかなか心を許してくれないんだ」




 ああ、いつかルーも落としたい。




 ――おしまい。




◇ ◇ ◇

女たらしの男が望むのは決して落ちない女なのだけれど、既にねぇって話でした。

ルーが誰だか分かりますよね?


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