2 エーデルワイスの乾燥花

 文章に対する文体のようなもの、とでも言えばいいのだろうか、あるいは語りに対する語り口、うたに対する節回しに当たる、そういう何かが、たしかにあの男の生き方には存在した。歩き方に対する足取りとか、詐欺に対するやり口とか、筆記に対する筆致とかいった自分の目で見てみとめられる徴とは異なり、霊感によってその魅力が漠然と伝わってくる独特のあり方……。

 回りくどい言い方をすればこういうことになるわけだけれど、世間一般ではおおむね同じ意味で個性という言葉が使われている。ただその言葉はあまりに濫用されたためにむしろ意味を剥奪されてしまい、まるで子どもが親の目を盗んで家中に貼り巡らした大量のシールのように、ただやみくもにものの表面にくっついている。それはぼくたちには何も教えてくれない。

 なぜその男にはシールが貼られていなかったのか。なぜウチノだけ、いたずらな子どもの魔の手から逃れられたのか。それはぼくにもよくわからない。子どもが貼り忘れたのかもしれないし、ウチノの表面がぬるぬるしていたとかそういったことで、いつのまにかシールが剥がれてしまったのかもしれない。でもここで重要なのは、そのどこか神話めいた事の運びではなく、意味が剥奪されていない漠然とした徴がウチノにあったということだ。

 とにかくぼくはウチノの内にそれを見つけた。見つけて、拾いあげて、ぼくはその事実を記憶の片隅のできるかぎり埃が堆積しない、暗くて涼しい場所にさりげなくしまっておいた。しかしぼくはそのことをすっかり忘れてしまって、長い年月がたってからふと思い出したのだった。そのとき、ぼくは「風に吹かれて」のメロディがどんなものだったか忘れてしまっていたのだった。それを思い出すために、記憶の中を片っ端からひっくり返して探していたのだけれど、苦労して半分ほどをひっくり返し終わったあたりで、ぼくはある小さな、レコードをしまうには持ってこいのサイズの箱をぶちまけた。たまたまその中にウチノは入っていた。糖衣をまとった真っ白な姿で。

 それがおよそ一年前のことだ。それから半年後に、ぼくはその記憶をもとに小説を書き、自分でもその意味がよくわからないというのに人に読ませ、少なからぬ悦びを得た。原稿用紙にして四十枚のものを四日で仕上げたわけだから、相当本気だったのだろう。けれど、当たり前と言えばそうなのだけれど、出来上がったのは大したことのないただの文章だった。確かなのは、そこに描かれていたウチノの姿が紛れもない本物であったということだけだ。

 その内容、というか筋がどのようなものであったのか、かんたんに説明する必要がある。極度に抽象すれば、ぼくがウチノにあるものを与えることによって何かを奪う、というほどのものだった。筋の中では、ぼくはつねに確信犯だった。何を確信していたかといえば、それはウチノの強さであり、とどのつまりぼくが思っていたよりも、ウチノは脆い人間であった。

 そのような文章が一時でもぼくを満足させたことは、ぼくの内面について考えるうえでの大きな土台となった――とでも言えば、ぼくが十分におのれを顧みたのち、ふたたびこの話題を引っ張りだしてきたのだと思わせることはできるかもしれないけれども、実を言うとぼくだっていまだに、あの文章がよくわからないままなのだ。わからなくなってしまった。

 話が前後してしまうことを許してもらいたい。ぼくはあの文章を書き上げた直後、もう四年も会っていないウチノにその原稿用紙を送り付けた。あらかじめ伝えておくこともしなかったので、彼もかなり驚いたのではないかと思う。

 手紙も同封した。短いものだが、いちおう礼儀――そんなもの、昔のぼくたちの関係にはなかった――として必要だと思ったからだ。その一か月後に、果たしてウチノから返信が届いた。

 以下に、ぼくの手紙とウチノからの返信を載せる。

 先に「ぼくだっていまだによくわからない」と書いたが、それはウチノの返信のせいなのかもしれない。


    *


 内野浩平君


 ぼくのことを覚えているだろうか。思い出せないなら、同封した原稿を読んでみてほしい。覚えていても、同封した原稿を読んでほしい。原稿の内容はぼくの個人的な話を含んでいるけれど、おおむね君が知っているとおりの話だと思う。

 どうしてこんなものを書いてきみに送り付けたのかについては読めばわかると思う。高校時代のきみは毎日ガムを食べることに注力していた。仮にきみが毎日ガムを噛んでいる時間をそっくりそのまま工作に費やしたとしたら、高校の三年間できみは十分の一スケールの東京タワーをトイレットペーパーの芯で作れたかもしれない。十分の一スケールの東京タワーをトイレットペーパーの芯で作ったってどうしようもないじゃないかときみは思うかもしれないけれど、ぼくにはきみの行いが同じくらい無駄なものに見えた。少なくとも高校のうちは。

 でも、それはたぶん違ったのだろう。きみがいつだか言っていたように、人は窮屈な生き方を自分自身に強いることでしか救われないのかもしれない。この原稿は、ぼくのその気付きをそのまま書き記したものになっている。一応ではあるが小説の体を成しているし、脚色は見逃してしまいそうなくらいさりげなく、しかしありえないくらい猥雑に行われているけれど、たとえば東京で起こった出来事は事実に即しているはずだ。

 勝手に送り付けておいて、その上こんなことを頼むのもおかしなことだとは承知しているけれど、きみからのなにかしらの反応をぼくは期待している。感想を言えというわけではない。まあ感想を言ってくれる分にはうれしいけれど、ぼくにとって重要なのはどちらかといえばきみがいま何をしているのかということだ。

 話は変わるけど、ぼくはいまも実家にいて、このあいだ妹にレコードプレイヤーをプレゼントしたよ。レコード盤はだいぶ前にプレゼントしていたのだけど、肝心のプレイヤーがなかったんだ。だから、このあいだの誕生日にプレゼントしてやった。妹は飽きずにずっと聞いているよ。

 新潟はこのごろ快晴がつづいている。

                                  佐伯亨

 

    *


 佐伯亨くん


 時代錯誤なことをしたね。小説を書いたことではない。どうしてきみが、電話もメールもせず、手紙を書いたのかってことだ。

 ぼくにはあの手紙さえも小説の一部に見えた。きみの懇切丁寧な自己批評と自己解説までもを含めて小説のすべてなのかもしれないってね。でも、そうすることで自分の書いた小説のもろさとか突っ込まれたくない部分をごまかしているだけなんじゃないのか、だいたい小説を書いてからべらべら何かをしゃべり出す人間ってのは、そこが不安なんだ。決めつけるような真似はしたくないけど、きみはきみの小説がどういう風に俺に読まれるのか気になって仕方がなかったんだろう。俺が悪意のある読み方をするのではないかと、俺が腹を立てたりはしないかと、あるいは自分の言いたいことがまるで伝わらないんじゃないかと、心配だった。

 手紙を読んで、それから小説を読み終えた当初、俺にはなぜきみが小説の読まれ方を気にしているのかよくわからなかった。だってこれは小説だろう? 歴史書でも伝記でもない。この世で印刷される紙の中で二番目くらいのどうでもいいものじゃないか(一番は紙幣だ)。違うか?

 すこし考えたすえに俺は得心がいった。きみの書いた小説はたしかに俺のことを書いている。自分でもびっくりするくらい忠実に俺のことが描写されている。そこはたしかなんだ。だけど、それはすべてきみの目から見た俺の姿にすぎない。当たり前かもしれないけれど、きみはきみの目に見える範囲のことしか描いていなかった。あれは、俺の、あるいは俺にまつわる小説ではない。きみはきみ自身を書くために俺を利用していたにすぎないのだ。

 そう考えると、きみが同封した手紙の意味も見えてきた。きみは自分自身、自分の存在や生き方が誤解されるのを、かなり恐れていた。俺を含めてほとんどの人がそうであるように。

 でも、きみだって俺のことをちゃんと理解したわけではない。あの小説は、きみから見た俺の姿をかなり正確に描き出しているけれど、しかしそれでも俺のことを、ガムを食うこと以外に救われることのないありふれた奴と見ているところが多かった。ガムを食うときのルーティンを崩されただけで人生の平衡感覚が失われてしまうほどの脆さをもった人間だと言われて、気分を害さない人はいるのだろうか。いるんだったらいるでいいのだが、俺はそういう人間ではない。俺が、そのときかなり感じやすくなっていたのはたしかだ。その感じやすさを見取って、すなわち脆さと考えたんじゃないだろうか。きみは、俺とレインボータワーを並列に配置して語っていた。ウチノ=レインボータワーってわけだ。かなり作為的で、小説の技法としてもありがちなことだから、表現技法上の換喩的な配置にすぎないのかもしれないが、ここにおいてきみは間違いをおかしている。きみは、俺の感じやすさとレインボータワーの脆さとを同一視してしまったが、両者に共通する性質は壊れやすさ、ただそれだけでしかない。ただ壊れやすいというだけで、あの地震が原因で取り壊された塔と一緒にされちゃあ困ったものだよ。


 俺なりにこの感じやすさを換言すれば繊細さということになるかもしれない。自分で言うのもなんだが、俺はなかなかどうして繊細な人間なんだ。

 きっときみは思うだろう。繊細さと脆さはいったい何が違うのか? と。俺にもよくわからないが、そのふたつが異なる性質であることだけはたしかなんだ。確信している。

 というわけで、とりあえず俺に対するきみの誤解は指摘した。俺に偽物のガムの包み紙を渡し、使わせたことに関して、きみが罪悪感なりなんなりを覚えているのだとすれば、気にしなくていい。きみに言われるまでもなく、あれが偽物だったとおのずから気付いたんだ。すこしがっくりはしたよ。だけど、高校を卒業してすぐに俺はガムを食わなくなった。あんまり、ね。いまだに一日一回は食っている。かなり普通だろう? 「ウチノはほとんどの側面で普通の男だった」と言うきみにいわせれば、俺はもう完全に普通の男だ。やったね。

 きみの小説についての「反応」はこれでおしまいだ。というかもともと、これといった文句なんてなかったんだよ。人は人をちゃんと理解しないくせに、自分が誤解されることに関しては敏感になる。俺はきみの自己解説を指摘したけれども、俺だってこういう風に誤解されることを恐れて自己解説を行った。こういうのはお互い様ってことにして常に許し合っていかないといけないんだ。

 この際だから、きみが小説で描かなかった、あの修学旅行の別の側面を描いてみようと思う。たとえば、俺たちは東京タワーに登る前、スターバックスコーヒーにコーヒーだかココアだか抹茶クリームフラペチーノだかを買いに行ったわけだけど、そのときのことをきみは書いていない。きみは東京タワーの下でずっと待っていたんだから仕方ないけれど、やはりあの場面をきみは知っておくべきだろう。いかにして俺がガムの包み紙を失くしてしまったのか。

 そこに至るためには、まず修学旅行の二日目の夜、俺ときみがホテルの中庭で交わした話から始めるべきだろう。


 湿気をたっぷり含んだ東京の空気は、俺たちの肌にぺったりと張り付いてきて気持ちが悪かった。そのくせ気温は同じ時期の新潟よりも低かった。俺はコートを羽織っていたからたいしたことはなかったけれど、きみは上着を何枚か重ねて着ていた。その姿はかなり滑稽味を帯びていたけれど、中庭に居座るには十分だった。

 俺たちが何の話をしていたか、覚えているだろうか。きみがいつものように、自分の妹のことを話しはじめたんだ。

「今年の七月に妹が風邪をひいて高熱を出した。体温が四十度を超えるか越えないかのところで、母親は救急車を呼ぶかどうかで迷っていた。119番の11までのところまで行って、あと少しで9を押してしまうところだったんだ。まあ、そんなことにはならなかったんだけど。母親はかなりの心配性で、物事を大袈裟に捉えがちで、それとは対照的に父親は楽観的な性格をしていた。妹の熱がピークに達した日曜日の朝、父親は突然山登りに行ってくると言って、準備を始めたんだ。ぼくも母親も言葉を失った。自分の娘が苦しんでいるというのに、予定にもない山登りに行くと言い出すのは、普通じゃないと思う。ぼくと母親は何度も父親を引き止めたが、行くと言ってきかなかった。たかが風邪に大袈裟になりすぎなんだ、薬と水を飲ませて、ゆっくり寝かせておけば治る、そういってきかなかった。その意見は、まあ半分くらいは正しかった。だいたいの風邪はそうしていれば治る。だいいち、ぼくが小学生のときに四十度を超える高熱を出したことがあったんだけど、母親も父親も心配なんてしなかったんだ。たぶんぼくが男だったからだろう。あと二人目の子どもは甘やかされがちだからね。そんなわけで、父親はぼくたちを黙らせて山登りに行ったんだ。行き際に妹の枕元で父親は、帰って来る頃にはすっかり良くなっているよ、とささやいていた。」

「俺も、きみの父親と同じ状況だったら同じことを言うと思うよ」と俺は言った。

「なんて?」

「風邪なんてほっときゃ治るんだよって。でも流石に山登りに行ったりはしないけど。きみの父親は普段から山に登る人なのか?」

「それが、めったに山登りはしないんだ。一年に一回くらいだね。一応登山に必要とされる道具は揃えていて、雪山でない限りいつでもどこへでも赴けるようにはなっているんだよ」

「でも、わからないね。どうして熱を出している人を放り出して山登りに行けるのか」と俺はきいた。

「ぼくにもわからない。でも、帰ってきた父親にぼくと母親は苦言を呈さなかったんだよ。なんていうか、黙らされてしまった」

「どうして?」

「帰って来るとすぐに、父親はタッパーの中から花を取り出したんだ。そして妹のところへ行って、眠っている妹の枕もとにそっと添えた」

「なんだそれ? 不謹慎なんじゃないか?」

「不謹慎だとはぼくたちは思わなかったよ。むしろ、なんだろう、娘のためにわざわざその花を取りに行ったんじゃないか、みたいな感じさえしたんだ」

「たまたま生えていた花を取ってきただけだろう?」

「うん、それだけのことだよ。だけど、妹が目覚めたとき、枕もとに花があるのを見てすごく喜んだんだ。妹の熱は平熱にまで下がっていたし、元気はいつもの二倍くらいには膨れ上がっていた」

「父親の予言が当たったわけだ」

「風邪は寝てれば治るんだよ」ときみは言った。

「その父親が採ってきたのはどういう花だったんだ?」

「白くて細い花びらが十枚くらいついている花だった。花びらのひとつひとつはそんなに大きくなくて、かわいらしくさえあったよ。エーデルワイスによく似ていたけど、あとで調べてみるとエーデルワイスではないことがわかった。エーデルワイスの和名はセイヨウウスユキソウで、父親が持って帰ってきた花は同じウスユキソウでもミネウスユキソウというらしい。とはいえ違いなんてよくわからないし、正しい学名で呼ぶことに意味も感じなかったから、あの花はエーデルワイスみたいなものなんだよって妹に教えたんだ」

「そのウスユキソウってのは山にしか生えていないものなのか?」

「高山に自生するらしい。だからエーデルワイスは勇気の象徴でもあるわけで、ドイツの山岳猟兵隊の兵士はエーデルワイスのマークがついた帽子をかぶっていたりするんだ」

 きみはまるで自分が妹にエーデルワイスを贈ってやったかのように楽しそうに話していた。

 そのとき、近くにいた別のクラスの集団が急にざわつきはじめたのがわかった。携帯電話を見せ合って何かをまじめくさって話している。きみと俺はしばらくそちらに耳を傾けていたが、やがて話の内容がわかってきた。

 ほんの数分前に、新潟で中規模の地震が起こった。震度は5弱程度でたいしたものじゃない。地面が割れたり、建物が倒れたり、津波がやってきたりということもなかった。ただたんに大地が一定時間揺れただけだった。すぐに俺たちはたいしたことはないだろうと元の話に戻ったんだ。近くにいた集団もそうだった。実際、地震のせいで失われたものは、知る限りではひとつしかなかった。それは俺もきみも知っての通りだけど。

「それで、そのエーデルワイスはどうなったんだ」と俺はきいた。

「エーデルワイスじゃなくてミネウスユキソウだよ」

「どっちでもいいよ」

「花は花瓶に入れて飾っておいて、数日後には捨てたよ。だけど一本だけは別にして、ひもに結んで妹の部屋の壁にぶら下げておいた。ドライフラワーを作るためにね。だいたい一週間くらいそうしておいたら、ドライフラワーができ上っていた」

きみは俺にその花の写真を見せてくれた。俺は自然の姿そのままにからからに乾いているのを想像していたが、そうでもなく、花はかなり萎れていた。

「妹は瓶を持ってきて、その中にシリカゲルと乾いた土を敷いて、この花を挿したんだ。まるで山から根こそぎ持って帰ってきたみたいにね」

「その写真はあるのか?」

「ないね。撮り忘れてた」

「じゃあ、こんど写真に撮ってみせてくれよ」、俺は言った。結局その写真をきみが見せてくれることはなかったけど。

 きみは、流石に寒くなってきたので部屋に戻りたいと言い出した。夜はますます冷えてきて、足元の芝生には夜露が青黒くかがやいていた。俺はきみをなんとか引き止めたが、きみにしてみればその強引さはすこし異常だったろう。きみはそこを指摘して、俺に説明を求めた。

「頼みがあるんだ」と俺は言った。

 俺の母方の祖父は、俺が中学にあがるまで上野で楽器店を営んでいた。だから母親は上野で育った根っからの都会っ子で、東京の企業に就職したあと新潟に転勤になり、そこで父親と出会ったというわけだ。祖父は還暦まで店をつづけて、それ以降は知り合いに経営を譲った。それから数年間は細くつづいていたが、不況が来たときに大して打撃を受けたわけでもないのにあっさりと店を畳んでしまったんだ。それ以来そこに行ったことはない。幼いころに訪れた祖父の店は、アコースティックギターとフォークギターを中心に取り揃えていて、もちろんほかの楽器も置いてあるけれど、フォークソングやカントリーを好む層をメインターゲットとした古き良きギターショップといったかんじだった。まっ白な壁紙と木製のインテリアは、上野の同時代的な街並みの中では時代錯誤のドン・キホーテめいていた。

 てきとうな相づちを打ちながら、きみは不思議そうに俺の話をきいていた。本題は次からだ。

 翌日は班別の自由行動の日で、俺たちのグループは上野に行ってなにかいろいろと巡ることになっていた。動物園でパンダを見るとか、美術館に行くとか、上野公園をひたすら歩くとかね。俺は、グループのほかの奴らがパンダの写真を撮ってフォトショップで自分の顔と合成しているあいだに、ひとりで祖父の店があったところに行ってもいいか、ときみにたずねた。

「構わないよ」ときみは即答した。「だけど、ぼくも一緒にいってもいいかな」

「そこまでは頼んでないよ」

「いや、ぼくも行ってみたいんだ。少なくともパンダをフォトショップで加工するよりは楽しそうだ」

「いまそこに何があるのかわからないんだぞ」

 しかし、きみと二人で行動した方が何かと言い訳も考えやすかったので、きみも連れていくことにした。

「住所はわかっているんだろ?」ときみはきいた。

「もちろん」

 きみが客室に帰った後も、俺は中庭に残って夜の空気に触れていた。中庭の芝生にはまだらにシロツメクサが這っており、三つ葉の密集した中に丸っこい花が数十と頭をもたげている。俺はその中から花を一本むしり取り、コートのポケットに入れた。きみが見せてくれたエーデルワイスの乾燥花のことが、俺は何かと気になっていた。


 翌日、グループとともに上野まで行ったあと、俺たちは上野動物園の前で別れた。上野公園の噴水広場を抜け、大通りに沿って市街地に入ると町の色合いががらりと変わる。上野公園周辺はなんというか文化的に発達した緑あふれる現代都市といったかんじなんだけど、そこを離れるにつれて、コンクリートとアスファルトに覆われた、どこにでもありそうな街並みが現われる。新潟の駅前だと言われれば信じてしまいそうだった。

 注意深く通りを見回しながら歩いていたはずだったのに、気付いたときには目的地を大きく通り過ぎていた。それで仕方なく道を引き返してもう一度探すと、こんどはちゃんと見つかった。見つけた、と言っても、思い描いていたものはそこにはなかったわけだけれど。

 祖父の店は個人経営の喫茶店になっていた。看板がかかっていなかったので店名が何だったかはわからなかったけど、雰囲気はなかなか良かった。歩道から店内をのぞきみたとき、俺はその内装にこころを打たれた。幼いころに見た祖父の店のかたちをそのままに、イスとテーブルを配置してあったからだ。壁紙の色、内装の木材の木目までが、ありし日のままだった。なにより俺を驚かしたのは、祖父が持っていた古いレコードプレイヤーがカウンターの隅に置いてあって目の前でレコードを回していたことだ。

「ここなのか?」ときみはきいた。

「うん。間違いない」

 店の周辺は十年前とほとんど変わっていなかった。ひとつあるとすれば、喫茶店の道をはさんだ真向かいにスターバックスコーヒーがあるということだった。

「どうする?」ときみがきいた。「入ってみるか?」

「うん。どうしようかな」

「他の人から見たら近所のただの高校生だし、ばれないだろ」

「でも、なんだか店の中でのむ気にはなれないな」

 しばらく突っ立っていると、俺たちが店の前でわだかまっているのを見かねたのか、店員の男が中からドアを押し開いて、

「どうしたの。席空いてるので、よかったらどうぞ」

 そう言ってドアを開けたままにしてくれるので俺たちは自然と入っていくほかなかった。でも、正直なところ、俺は中に入りたくなかったんだ。中に入ってしまえば、ある種の懐かしさが俺の中に目覚めるんじゃないかという気がした。

きみに言ったことはないけれど、俺は、懐かしいという感覚がそんなに好きじゃない。それは、俺に、俺が失ったものを、失ったという事実を厳然と叩きつけてくるからだ。人は、自分が何かを得ていると感じられるときどんな状況であれ前向きになれるんだ。だから、俺たちはこの世で印刷される紙の中で一番目にくだらないものと二番目にくだらないものを欲することになる。こんなことを思うのは、俺が子どもだったからだろう。若いうちは、何かを失うことはなかなかない。過去の記憶に懐かしさという糖衣をかぶせなくとも、引き返しようがないという苦しみを感受することはないんだ。ただ、先に言ったように、あのころの俺はかなり感じやすくなっていた。感じやすさにもいろいろあるのだろうけど、そのひとつには懐かしさへの防衛反応ともとれるものがあった。俺はそういう年頃だったんだよ。

 店を内側からながめてみると、やはり祖父のころの面影がどこかに残っていて、俺はいまにも踝を返してしまいたかった。俺は、カウンターの上に「テイクアウトも出来〼」と張り紙がしてあるのに気づいた。溺れる人、藁をもつかむといったかんじで、俺はテイクアウトにしてさっさと退散することにした。きみはきっとそこでゆっくりしたかったんだろう。

「すいません。やっぱりテイクアウトにします」と俺はドアを開けてくれた店員に言った。「すこし時間が押しているので」

「時間が押してる?」

「俺たち修学旅行で来てるんですよ」

「修学旅行。なるほど。そういうことね」、店員はすべてを察したかのように言ったが、その実面倒な話は聞きたくなかっただけだろう。「じゃあ、何します?」

 俺はオリジナルブレンドのカフェラテにした。きみが何を頼んだかは知れない。でもきっとココアだったと思う。ある人物によると、きみはよくココアを飲んでいたらしいからね。

 数分待ったのち注文が出されて、俺たちはまた上野の路上に出て行った。

「よかったのか?」ときみはきいた。

「まあね」

 自分の内面で起こったいざこざを一つひとつ説明するだけの余裕は俺にはなかった。あったとしてもやろうとはしない。

 俺たちは上野公園に戻って、そこら辺のベンチに座ってカフェオレをのんだ。平日なのに人通りは休日然として、なかには俺たちのような修学旅行の学生もいた。道々が落ち葉に淀むには初秋はまだ早すぎて、ただ躑躅の植木の辺りには真っ赤な花びらがぼろぼろとこぼれていた。人はその上を歩いて、どこかへ消えていった。

 それから俺たちは動物園をみてきたグループの奴らと合流して、上野の森美術館に行ったんだと思う。もしかしたら国立西洋美術館だったかもしれないけど、どっちだっていい。昼には不忍池の南側にある高そうな蕎麦屋に入ってカレーうどんを食べた。あれはすごくおいしかった。夕方ごろにクラスの予定で東京タワーに登らないといけなかったから、俺たちは上野を後にして浜松町に向かう電車に乗った。夕方まではそこで時間をつぶすことになり、俺ときみ以外のグループの奴らは持ってきたパソコンでパンダの写真を加工して遊んでいた。


 俺たちのクラスは十八時半に東京タワーの下に集合することになっていた。だいたいこういうときは何人か遅れてやって来るものなのだが、みんな集合時間よりも二、三十分はやくやってきた。よほど見るものがなかったのか、あるいはインフラが整い過ぎているのか……。とにかく俺たちは東京タワーに登ることになったが、それはきみが小説に書いたとおりだ。東京タワーの下と上での俺の言動の描き方も、取り立てて非難をさしはさむ余地はない。

 その時点で俺は六回もガムを噛み終えていて、あとは十三個目と十四個目のガムを食べてしまえばいいだけだった。「背の低い女の子」としかきみが書かなかった山野茉莉がスターバックスに行ってコーヒーを買って来ようと言い出し、俺もその買い出し要員に選ばれたとき、俺はその日最後のガムを噛もうとしていた。俺は古くなったガムを包み紙に慎重に吐き出し、キシリトールの棒状の袋からガムを二粒取って、包み紙を剥いで、むしゃむしゃ食べ始めた。包み紙は左側のポケットに入れた。

 きみが知らないのはこれ以降のことだ。十人の遠征隊は、ドリンクの希望を聞き終えるとスターバックスに向かって歩いていった。スターバックスは東京タワーの敷地から信号を二つ渡ったところにあって、さほど遠くない。三分もかからずにわれわれは着いた。周囲はビルが立ち並ぶ完全なビジネスの世界といったところで、スターバックスの店内にはスーツを着た人がほとんどだった。これだけスターバックスが多いとどれがどれだかわからなくなっちゃうよ。実のところわからなかったんだ。

 スターバックスの中に入って注文をするとすぐに問題が起こった。われわれはクラス三十五人分のドリンクをまとめて注文したのだが、そこの店長はそんなに多くの注文は受けられない、と言い出した。われわれの注文を処理しているあいだにほかの客を待たせることになるし、それを一度にこなすためには現在のスタッフの数では追いつかない、そう言った。たしかに三十五人分のドリンクを作るには、一人につき一分で作ったとしても三十五分はかかる。カウンターに立っていたスタッフだって、熟練のバリスタと言ったかんじじゃない。アルバイトが、遊ぶ金を算段するために始めましたという雰囲気を隠そうともせずに働いていたんだ。

 では、何人分の注文だったら受けてもらえるのだろうか、とわれわれはきいた。そうだなあ、二十、いや、二十五くらいだったら行けますよ、と店長は言った。これは単なる文句だけど、二十五人分の注文が処理できるなら、三十五人分だってできるんじゃないのか? 俺がひとりで浮き上がってくる疑問を押さえていると、山野茉莉は「わかりました。じゃあ、二十五人分だけお願いします」と返事をした。それから俺たちに、残り十人分は別のスターバックスだかドトールだかを探して注文すればいい、と言った。スターバックスなんて探せばいくらでもあるでしょ、と。

 それで、われわれは、スターバックスに残る組と別のスターバックスに向かう組に分かれることになった。もうなんというか、餌に群がる家畜のようにわれわれはスターバックスを求めていたんだ。なんとなく俺は別のスターバックスに向かうことにした。ほかの奴らがかなり寒そうにしていたし、まだすこし東京を観ていたい気がしたからだ。別のスターバックスには山野茉莉も向かうことになり、あとはじゃんけんで負けた二人が加わった。

 しかしそこを離れる直前、スターバックスの道を挟んだ向かい側に個人経営の喫茶店があることに俺は気づいた。それで何を思ったのか、俺は「あの喫茶店、たしかテイクアウトをやっていたはずだよ」と言ってしまったんだ。そのとき俺は祖父の楽器店のあとにできたあの喫茶店を思い出していた。だけど同時に、もちろんそれがまったく別の店であることにも気付いていた。上野と浜松町はそんなに遠くないにしてもまったく別の土地だからね。だとしたら、なぜテイクアウトをやっているなどとてきとうなことを言ったのだろうか。個人経営の喫茶店でテイクアウトをやっているのはかなり少ないはずだ。けれど、自分の誤り、というよりも真偽不明の発言を改めることはしなかった。

「じゃあ、あそこにしようか」と山野茉莉は言った。「十人分くらいだったら作ってくれるでしょ」

 向かいから見たところ、店内は比較的閑散としており、スーツを着た人よりもカジュアルな服装の人が多かった。

俺たちはさっそく道を渡って、店の前のイーゼルにかかったボードを見ると、やはり「テイクアウトやってます」の文字があった。勘が当たったというよりも、ギャンブルに勝ったような気分だった。反対側のスターバックスに向かって俺たちは合図を送った。

 山野茉莉が店に入って、十人分の注文をして出てきた。

「作ってくれるって」

「そりゃあよかった」と俺たちは言った。(実際こんな親父くさいものの言い方をする奴はいなかったよ)

「でも、少し時間がかかるかもしれないって」

「そりゃあそうだ」(繰り返すようだけどこんな親父くさいことをいう奴はいなかった。ただの表現だよ。)

 俺たちは店の外でドリンクができあがるのを待っていた。市民薄明のうすい闇が俺たちの視界にいくえにも蔽いかぶさって、市井の彩りをにごしはじめる。スターバックスの看板が光りはじめたのがわかった。外灯が点いて、ビルの窓からは室内灯が漏れだした。大きな光が失われて、たくさんの小さな光に照らされる時刻だった。ひとつしかなかった影が複数にわかれる。ほんものの影がひとつあったはずなのに、いくつかの形式的な影のあつまりでしかなくなってしまう。ヘッドライトをつけた車が通り過ぎるたびに、伸びた影が縮み、消え、また伸びた。

「今日のグループ行動はどこに行ったの?」と、突然山野茉莉がきいてきた。

「上野だよ」

「上野で何したの?」

「動物園に行ったりとか。パンダがいたよ」

「私の班も上野に行ったの。たぶんそっちの班よりすこし遅れてね」

「へえ」

「それで、上野動物園に行ったら、内野くんの班に会ったの」

「へえ」

「でもそのとき内野くんいなかったでしょ。あのとき何してたの?」

「佐伯と一緒にカンガルーを見に行って腹の袋の中から子供が出てくるのをずっと待ってたんだよ」

「佐伯くんと内野くんは二人でどっか行ったって言ってたよ」

「あいつら……」

「どこに行ってたの?」

「どこでもないよ。動物園にはいきたくないから上野のあたりをぶらぶらしていただけだ」

「動物園に行きたくない?」

「子どものころヒッチコックの『鳥』を見て、それ以来鳥を見ると怖くて仕方ないんだ。だから」

 もちろんこんなのは嘘だ。山野茉莉もそれを知った上で笑っていた。

 結局俺はてきとうにごまかしておいた。そうすると、話は俺ときみとのことについてのことに移っていった。

「内野くんと佐伯くんて、かなり仲いいよね」

「かなり? 仲がいいのは確かだけど、ふつうの友人関係と変わらないよ」

「なんだろう。一緒にいて楽しいからとか、気が合うからとかで友だちでいるわけじゃないんじゃないかな」

「さあ、どうだろうね」、と俺は言った。「べつに俺たちが変わっているとか、そういったわけではないんでしょ?」

「うん。二人ともふつうなの。だけど関係がふつうじゃない」

「物騒な言い方をするね。まるで俺たちが……」

「ねえ、二人っていつも何の話をするの?」

「さあ、昨日見たテレビの話とか」

「…………」

「佐伯はよく自分の妹の話をするよ。自分のこと以上に妹のことを知っているみたいに」

「妹がいるんだ」、意外そうに彼女は言った。「次男っぽいところがあるんだけどね」

「最近だとエーデルワイスの乾燥花のこととか」

「ドライフラワーを作ったの?」

「作ったのはあいつじゃない。妹が熱を出しているあいだに佐伯の父親が山に行ってエーデルワイス、いやミネウスユキソウだったかな、それを取ってきたんだ。それで妹の熱が治って、妹はミネウスユキソウをドライフラワーにした」

「へえ、お父さん、優しいのね」

 俺はおかしくてすこし笑った。「佐伯には限りなく関係ないことだよ。家族であることを除けばね」

「他には?」と彼女はきいてきた。彼女がきみの話を求めているのか、きみの妹の話を求めているのかよくわからなかった。

 彼女が小刻みに震えているのに気づいたのはそのときだった。確かに日の入りとともに気温が下がってきており、コートを着ている俺さえ寒さを感じるくらいだった。彼女は上着に生地の厚いシャツを一枚来ただけで、その上には何も羽織っていない。彼女は両手のひらをすり合わせていたが、その甲のところが粉をかけたように真っ白で、その下に血管が青く透けて見えた。

「寒そうだけど、大丈夫?」と俺はきいた。でも、こんなことをきく奴は疎いね。大丈夫かときいて、大丈夫じゃないと答える奴はなかなかいない。とはいえ、大丈夫かときかれて大丈夫だと答えるほうもなにかと疎いのだけれど。

 彼女は大丈夫だと、わかりやすい嘘をついた。そんなわけで、きみは小説に書いていたからわかるだろうけど、俺は彼女にコートを貸した。かなり丈の長いコートで、彼女は背が低かったから、コートの裾を引きずるんじゃないかって心配だったのだけれど、実際に着せてみるとなんとかなった。裾は、地面の1センチ上を、オーロラのように漂っている。

 彼女はにっこり笑って、あたたかくなったと礼を言った。そして両方のポケットに手を入れて、コートの前を閉じていた。自分以外の存在をコートの内側から追い出すように。

「ねえ、借りといてこんなこと言うのもなんだけど、ポケットの中にものが多すぎない?」

「そうかな」

「なんかシロツメクサが入ってるし」、彼女はポケットから、萎れて茎もぼろぼろになったシロツメクサを出して見せた。「どこで採ってきたの?」

 俺はすこし赤面した。ポケットの中にお花を入れて持ち歩くなんて小学校以来やったことがなかったから――いや、というより、それを彼女に知られてしまったから……。

「ホテルの中庭。昨日の夜に」、俺は言った。

「これ、どうするの?」

 これというのは、シロツメクサのことだろう。

「うん。どうしようか。特に何も考えてなかったから」

「ほかにも、ごみ、たくさん入ってるわよ」、彼女はポケットの中をまさぐって、しわくちゃになった紙を取り出した。「レシートね。日付は今日で、喫茶・しのバズってところ。カフェラテをテイクアウト」

「おいしかったよ」

「もしかして、動物園に行かずに佐伯くんとぷらぷらしてたのってここなの?」

「通りかかったからちょっと寄っただけだよ。それ以外はずっと上野公園にいた」

「ねえ、これ捨てていいでしょ」、山野茉莉はレシートをさして言った。「ほかにもいろいろごみ入ってるけど。だめ?」

「別に構わないよ。というか捨ててもらったほうが助かる」

 俺がそう言うと、彼女は近くのコンビニのほうに歩きはじめたが、数歩もいかないうちに俺は彼女を呼び止めた。そのとき、彼女がすばやく振りかえって、コートの裾が悪趣味なくらい大袈裟にはためいた。

「やっぱり俺が行くよ」

「どうして?」

「ここのお代を払うのは山野さんでしょ」

「言われてみれば」

 山野茉莉はこちらに戻ってきて、右ポケットから握りこぶしを出し、俺の前にさし出した。俺が手を出すと、彼女の手からレシートの塊がこぼれ出た。糖衣をまとったトリュフチョコレートに見えなくもなかったけれど、その塊は彼女の手のひらのあたたかさを存分に帯びていた。たぶん、彼女はポケットの中に入っていたごみを、すべてレシートで包んでいたんだと思う。

 俺はそれをコンビニのごみ箱に捨ててきた。喫茶店の前に戻って来たときには、一緒にいたほかの二人は消えていて、山野茉莉が五人分のドリンクを抱えるように持っていた。

「二人には先に行ってもらったの」と彼女は言い、そして二人分のドリンクを俺に持たせた。「右手のがココアね。佐伯くんの」

「あいつがココアだってことよく覚えてるよな」

「ココアをたのんだのは佐伯くんだけだから。それにいつも学校でココアを飲んでるじゃない。たぶんココア狂いなのよ」

「なるほど。それもはじめて知ったよ」と俺は言った。

 頭上にそびえたつ東京タワーに向かって俺たちは歩いた。道の向かいのスターバックスに同級生はいなかった。

 何気ない沈黙が俺たちのあいだに降りてきて、気まずくさせた。なにを言い出そうにもそれが適切でなくなるような雰囲気を、俺は彼女から感じ取っていた。すこしずつではあるが、彼女の足取りが重くなっていくのがわかったのだ。もしくは俺が寒さにやられて早足になっていたこともあるのかもしれない。けれども、あのとき彼女の中で、ある種の感情が揺らめいていたことは、その後の彼女のことばから再帰的に明らかだ。何が原因で彼女が突拍子もなくあんなことを言いだしたのかはいまだによくわからないが、ひとつには、われわれがスターバックスに行って俺が彼女にコートを貸したことがあるのだろう。彼女はゆっくりと、まるで俺と彼女との間にきれいなまっすぐの線を引くように、言葉を吐いた。しかし、彼女がじっさいに何をいったのかは、書かないことにする。文芸人ぶったことをいえば、それは山野茉莉のことばであって、俺のことばでも、お前のことばでもない。お前が知る必要はないだろうし、あるいはだいたいの予想はつくだろう。それくらいで十分だ。

 あの日の山野茉莉のいくつかの言動は、俺の中にあった何かを台無しにした。きみのいうところのレインボータワーだ。俺は結局自分自身でガムの包み紙を捨てたわけだし、山野茉莉のことばに多少なりとも傷ついた。いかんせん俺は感じやすくなっていたからね。

 でも、こうやって書きながら思い出してみると、この一連の出来事が運命のように思えてきて仕方がなかった。一度だけ人生をやり直せるとしても、少なくともこの日だけは、もう一度、そっくりそのまま繰り返したい。仮にお前がホテルの中庭でエーデルワイスの乾燥花の話をせずに俺がシロツメクサをポケットに入れなかったとしたら、あるいは俺が祖父の楽器店があった場所に行かずに喫茶店のレシートも貰わなかったとしたら、こんなことにはならなかった。でも、お前にとってのエーデルワイスの乾燥花も、俺にとっての祖父の楽器店も、目の前になくても存在を実感できる、そういうものなんじゃないだろうか。存在しないことが信じられない存在なんじゃないのか。だとしたら、俺たちは何度修学旅行に行っても、あの一日を繰り返すしかないんだ。

 この手紙から、また新しく小説を書いてもらって構わない。きみの書いた小説と合体させてなにかすごいのができあがったら、また送ってくれ。

                                 内野浩平

                                    了

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風に吹かれて 小原光将=mitsumasa obara @lalalaland

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