第弍部 第二十話 月を望み
影虎たちが今まさに上田城へ辿り着こうとしているころ、彼らを行かせるべくその場に残った黒狼と白虎本隊は、武田軍騎馬隊との壮絶な潰し合いを繰り広げていた。
越後国の擁する部隊の中で、間違いなく最強の部類に入る彼ら二隊を持ってしても。
相対する騎馬隊に対しては良くて互角、もしくは押し負けそうになっている部分が多くあった。
越後と甲斐の間で直接戦ったことがない以上、当然二隊にとっては、武田の騎馬隊と戦うのはこれが初めてとなる。
そんな中で敵兵が繰り出す、自分たちがこれまで経験してこなかったような小隊単位での細かい騎馬戦術や、個々の持つ高度な馬術はもちろんのこと。
「……副長、俺らの周りがどんどん殺られていってます!…相当まずい状況ですよ!」
「……ッ、ほんとなんなんだ、この槍使い達…!」
「…いいから黙って斬れ!早くここを抜いて、兼続を援護するぞ!」
彼らを最も苦しめているのは、真田幸村直下の槍騎兵部隊「玉槍」の存在である。
五千対三千と数で劣る武田軍は、そのうち実力の抜きん出た「玉槍」五百騎を黒狼二千にぶつけ、残った兵力で隊長不在の白虎隊を食い止める作戦に出ていた。
その狙いとは当然、二隊のうち比較的新設であり、与し易いと目される黒狼を先に食い潰すこと。
敵の狙いに気づいた黒狼も奮戦してはいるものの、やはり上杉軍中央の将・上杉重政を、彼の分厚い守備隊ごと貫いたその実力は。
この四ヶ月、大小さまざまな戦場で経験を積んできた黒狼に対して、あらゆる面で上を行くほど凄まじいものであった。
しかしその中にあって、たったニ箇所だけ玉槍たちと互角に渡り合っている隊があった。
一つは、副長の橋本雄一郎が直接率いている彼の隊とその周辺。
名門・橋本家の子息として受けてきた幼少期からの”武”の英才教育に加え、兼続と数々の戦場を共にしてきた雄一郎の用兵術は、すでに歴戦の名手の域に達している。
普段から突っ込み癖のある兼続の代わりに、彼が隊全体の指揮を取ることも多くあるのだ。
現状は玉槍の巧みな分断術によって全体とまではいかないものの、彼の周辺にいる部隊は確実にその恩恵を受け、犠牲を少なくすることに成功していた。
そして、残るもう一箇所は。
「……ズオオオオオッ!!!」
「ッッ……ハアアアッ!!!」
真田幸村と直江兼続、双方の大将同士による苛烈な一騎打ちが行われている場である。
この場にいる両将の直属の兵たちは、息つく暇すらないその斬り合いに見入るあまり、誰一人そこから動けないでいた。
とは言いつつ、側から見れば圧倒的に優勢なのは真田幸村。
彼の槍術の鋭さは、彼の精鋭部隊「玉槍」の強さが霞むほどのものである。
「初めて見る……あ、あの兼続様が、あそこまで押されているなど……!」
「馬鹿者、よく見てみろ。……隊長はまだ、一発もまともには貰っていない」
兼続の部下たちの言葉通り、戦いが始まってからこれまで、彼はまだ刀すら抜かずに幸村の攻撃を凌ぎ切っていた。
刀を抜かない兼続の狙いとは当然、彼の代名詞である抜刀術による一撃必殺である。
瞬き一つの間に三度貫く真田流の槍を前にしても、一瞬でも幸村が隙を見せれば、その瞬間に首を刎ね飛ばせるよう兼続は準備していた。
しかし裏を返せば、それほどの準備ができていてなお攻勢に転じられないほど、幸村の槍術には隙が無かった。
兼続が受け切れなくなるのが先か、猛攻を仕掛ける幸村の体力が尽きるのが先か。
まさに、両将の底力が試される一騎打ち。
しかしこの時、幸村は兼続の狙いを読んでいた。
というよりも、彼の主人である武田信玄を通して、伊達政宗——つまり長尾輝虎から抜刀術についての情報は既に得ており、目の前の男がその使い手であることも幸村は察していた。
そして、この事前に得ていた情報が勝負の分かれ目になる。
今の今まで切っ先を逸らすのみだった兼続が、胴体目掛けて怒涛の5連撃を繰り出した幸村の槍を、いきなり上へと弾いたのだ。
通常時なら幸村とて、すぐに体勢を立て直して逆にガラ空きの腹部を狙うはずだった。
しかしこの時、兼続の「月光」を——腰を落とした構えから斜め上に振り抜く彼の剣技を常に警戒していた幸村は、自らその構えを捨て去るような兼続の動きに一瞬思考が止まってしまった。
それと同時に、動物的本能で危険を察知した幸村が一歩後ろへと下がる。
その瞬間。
「抜刀術。……『ニノ月・朧月』」
上段よりもさらに高い位置で静止した兼続の両腕、そこに握られた彼の愛刀が。
月光と同じく、まるで刀が生きているかのように。
奇妙な軌道を描いて飛び出し、幸村の身体を斬り裂いた。
異様に柔らかい手首のスナップを利用した、兼続の身体能力があるからこそできた新しい抜刀術。
習得してから実に六年以上という長い歳月の総決算、ついに完成した兼続だけのオリジナルである。
しかしこの時、兼続は心の中で小さく舌打ちしていた。
……まだこちらの踏み込みが甘かったのか、それとも相手が反射的に回避行動を取ったのか。
どちらにせよ、仕留め損なったと。
「なっ、……幸村様あああッ!」
「隊長、早くトドメを!」
彼らの部下達が言い終わるよりも前に刀を振り下ろした兼続だったが、それより先に飛び込んできた派手な格好の騎馬によって、寸でのところで阻止されてしまう。
「あっ、あれは……海野副長!副長自ら助けに来てくれたのか!」
「うおおお、副長!その男を成敗してください!」
周りの真田兵の盛り上がり様と、海野という名前に兼続は心当たりがあった。
海野六郎。
兼続と同世代にして、真田幸村の右腕とも言われる智将。
用兵術に長け、さらには矛術にも秀でた勇猛な将だと聞いている。
そんな六郎は、凄まじい形相で兼続を睨み付けつつも、彼と戦うことはせず周囲の真田兵に向けて口を開く。
「……我々の目的はこいつらの足止めだ!…私は幸村様の手当てに一度退がる、二十騎ついて来い!残りは頃合いを見て後退しろ!」
「…我らが逃すと思っているのか、貴様ら全員ここで…!」
周りを囲んでいた黒狼の隊員が口を挟んだ瞬間にそれを一撃で斬り捨てると、六郎は乱戦の外へと幸村を担いで走り出した。
「おい、海野様に二十騎…いや三十騎ついていけ!残りは幸村様の離脱を援護だ!」
「ヌオオオッ、ここで逃がせば黒狼の恥だ!なんとしてもその金鎧を討ち取れえ!」
しかしその後、黒狼は凄まじい追撃を仕掛けるも乱戦場が邪魔をして幸村までは届かず、主の抜けた玉槍も程なくして撤退を開始した。
これに合わせて武田軍騎馬隊も後ろに退がり、しんがりの300騎を討つ頃にはもうすでに、彼らの姿は見えなくなっていた。
このまま逃げた武田軍の後を追わなかったとして、もう奴らには、左翼を陥れるだけの戦力は残ってなどいないだろう。
それを悟った兼続と、負傷兵を除いた白虎・黒狼の四千騎は、すぐさま移動を開始した。
行き先は無論、今まさに渦中の只中にある上田城である。
彼らがそこに到着するまでは、およそ30分ほどかかる。
そしてその30分の間で、大事件と呼べる出来事が二度、起こることとなる。
その一つ目は、やはり。
「……ジジイ、思ったより早く会えたなあ…!」
「…ああ、とんだ親孝行だのお。……輝虎」
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