第弍部 第四話 甲斐の虎

「怯まず進めえ!信濃の地を汚さんとする下衆どもを止めるのだ!」

「押し負けるな武田歩兵団!後方の騎馬隊に道を開けるぞお!」


信濃国と甲斐国の国境地帯、八ヶ岳。


雪化粧を済ませたその深山の麓ではすでに、信濃の辺境防備隊10000と甲斐の武田歩兵団30000による、壮絶な潰し合いが行われていた。

他の戦線はすでに先遣隊が壊滅し、特に正体不明の一軍との戦線などは後方まで大きく押し込まれてはいるものの、この対武田の急造防衛線はまだその均衡を保てている状態であった。


その理由の一つとして、信濃がもともと甲斐との前線地帯にかなりの戦力を割いていたことが挙げられる。

数年前に憲政が引退してからというもの、信濃側から他国に戦争を仕掛けることはほとんど無かった。

しかし依然として、因縁の相手である強国の甲斐との小競り合いなどは頻発しており、必然的にそこの防衛線の層を厚くなる。


そして二つ目。


「……妙だな」


この非常事態に防衛線の現場指揮を行なっていた上杉軍の将が一人、藤本照久は首を傾げていた。

たしかに相対す敵は、あの武田軍の兵で間違いないだろう。


しかし、寄せられる敵襲の報告。

その全てが歩兵である。


照久とて、二十数年にわたるその戦歴の全てを、最前線にて武田軍との戦いに捧げてきたほどの男だ。


武田の戦い方は、全て頭に入っている。


だからこそ、武田軍が戦国最強と自負している”あの部隊”が出てこないのはあまりにも奇妙なのだ。


すると、どこからともなく聞こえてきたドドドドドドドドッッという無数の足音に、照久の頬を冷や汗が伝う。


ついに来たか。


地を震わせるほどの蹄の音とともに姿を現したのは、八ヶ岳の斜面を埋め尽くすほどの巨大な一団。

武田軍が天下に誇る最強戦力、武田騎兵大隊。

その数二万五千のお出ましである。


ひとくちに騎兵隊といっても、越後の白虎隊や暴雷騎兵団のような騎兵中心の強部隊というだけであれば、そんなものはどの国も持っている。


しかし武田の有する騎馬の力はそんな生易しいものではない。


彼らが持つ強さの秘訣は、その巨大な集団全体に行き渡る圧倒的な質。

末端の一騎兵に至るまでが高度な馬術や馬上での戦い方などの個人戦術と、あらゆる状況に対応できるだけの集団戦術を叩き込まれた彼らは。


恐らく史上初の、歩兵を用いない「騎兵のみで構成された軍団」である。


しかしここ十数年、隣国信濃との戦場にしか現れていないこの騎馬隊の存在を知るものは少ない。


実に五つの国が正面からぶつかり合うこの大戦争、後の世に言う”信濃・上田城決戦”を契機として、武田軍騎馬隊はその脅威を天下に知らしめることとなる。




「歩兵団。前方三列を残して乱戦を解き、即時隊列を組みなおせ!」


照久のその声に、彼によって練兵に練兵を重ねられた辺境防備隊は瞬時に隊列を組んで整列する。


「さあここからが本番だ!お前たち分かっているな!?……岩流の陣だ!」

「「オオオッ!」」


瞬く間に形を成していく、上杉憲政が自ら考案した防陣の一つ。


岩流の陣。

一つあたり50人の盾兵をぐるりと四重に巡らせた球形の固まりを陣内に100個以上配置し、外からは決して見えない場所に”狩り場”となる槍兵や弓兵たちの集団を置く。


一度内側に入ってしまうと力業で抜けることもできず、盾兵の固まりによって誘導された進路を進むしかない。

そして途中途中に見えるあたかも突破口のような綻びに入っていけば、そこには予め作られた狩り場が大口を開けて待っているという凶悪な作り。


それはさながら、巨大な岩石ひしめく濁流のように。その名前の通り、中に入った獲物を粉々に打ち砕く超攻撃的な防御陣形であり。


若い頃の憲政によって考案されたこの防陣であるが、初めて実戦で用いられた時から演習を含めて今日までの間、一度も敵に突破されたことはない。


憲政の持つ数多くの戦術の中でも、一際高度で強力なものでもある。


しかしそんなことはお構いなしに、武田の騎馬隊は突撃の勢いを一切緩めることなく向かってくる。


その先頭を走る、派手な格好の2騎。


六文銭を模した装飾が胸部に施された甲冑の男が、隣を走る虎の頭部を再現した兜を被った男に話しかける。

二人とも、歳のほどは輝虎とそう変わらない若い男だ。


「殿、この防陣は少し手強そうですね」

「…そうか?こんなもん、単純だろ」

「ハッハッ、さすがは我が主。…それではこの幸村めに、あれの破り方をご教授いただけますか」


そう言う間にも、岩流の陣、その第一陣は彼らの目と鼻の先である。


「要するに、この丸っこい奴らが騎兵を狩り場に流してるんだよ。……じゃあこうすりゃいいんだよ」

突撃陣形を組んだ総勢25000人の騎馬の軍団、先頭の男に引っ張られた彼らはなんと。

岩流の陣が機能するための要であり、そしてもっとも強固な部分。


各所に敷き詰められた、盾兵の固まりを狙ったのだ。


本来なら、これだけの密度を持つ盾兵の集団に正面からぶつかるのは愚策中の愚策である。

なぜなら、ぶつかる側の馬とその上の騎兵の両方ともが危険にさらされ、なおかつ肝心の速度も殺されるからだ。

しかし先頭を走る男は、まるで目の前に何もいないかのような速度で数多くの盾兵集団を打ち砕きながら、防陣の真ん中を突き進み続ける。


「おっ、おい……あの騎馬部隊、真っ直ぐこちらへ……ッ!」

「…照久様、早くお逃げを!もはや本陣守備が機能しておらず、このままでは……!」


そして彼らは、長年武田の騎馬隊を相手に戦い続けてきた古豪、藤本照久の経験則から来る予測すらも完璧に打ち破り。


「クッ……お許しを、憲政様…どうかご武運を!」


果敢にも剣を取って向かってきた照久の首を、地に叩き落としたのだった。


「…て、照久様ああ!」

「そんな…何者なのだ、こいつらは!」


彼の部下たちの悲痛な悲鳴が響き渡る。このまま一気に崩すには、何をするのが最も効果的か。


「……全ての旗を掲げろ!」

「ハハァ!」


さきほど幸村と、自分のことをそう呼んだ男の言葉に従って後列の全ての旗持ちが掲げるはニ種類の巨大な旗。


一本目の、全体として赤色にしつらえられた旗には「金色の六文銭模様」が。


そしてニ本目、全体が金色に刺繍された豪勢な旗には「信」の一文字。  


その様子に呑まれ、呆然と佇むしかない信濃兵に対し、先頭の男は叫ぶ。



「敗軍の兵たちよ、貴様らの主に伝えるがいい!此度の武田軍は、副将、真田幸村!そして総大将はこの俺、甲斐国新国主の武田信玄であると!!」














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