第 四 話 九月九日(二)

薬師くすし殿は、本当に筋金入りですなぁ」


 薬屋にいた若い女が、何が面白いのか楽しそうに笑いながら明星の包みを受け取った。


「まあ、そういう性分の方なのかもしれませんわなぁ」


 漆を塗った小さな木の台に、包みを広げ中身を確認する。小分けにされた包みの中を手際よく分類し、器用にそろばんをはじいていった。


 そういう性分の方、という一言で片付けられたらたまったものではない。薬の包みに筆を滑らせていく指を見ながら明星は思った。


「あらぁ?」


 小さく驚いた声が女から出た。


「こんなん注文してませんけども」


 薬の包み袋の中から、短冊状の細長い紙をつまんで出した。自分の顔の前に突き出し、店の入り口から入ってくる光に透かすように掲げる。


「なんですかそれ」

「あら」


 ひらひらと表裏を見せる。


明星めいせいさんご存じでなかった」


 八角形の印の中に、何やら小難しい漢字がみっちりと書かれている。字画が多いうえに流れるように書かれているからか、ほとんどの文字が何を書いているのか全く読めない。


「初めて見ました」

「でしたら、これは薬師殿が間違って入れたか――」


 神妙な声を出しながら、にやにやと女が紙を明星に渡した。


「明星さんに渡すものですわなぁ」


 受け取った紙をまじまじと見た。

 墨の匂いが強く残っている。書かれてそれほど時間がたっていないのかもしれない。

 あの作業場での長時間は、これを書いていたからなのか?


「なんなんですかこれ」

「まじないの一種ですわぁ」

「まじない」


 のんびりした口調で女が答えた。


「いうて、私もそんな詳しいわけじゃないんですけども。なんやら書かれてるその文字やらなんやらで、お守りにもなれば呪いにもなるそうですわぁ」

「呪い」

「少し前、いうてもう二十年以上前ですけどね。都で立て続けに流行病やらなんやらで死人が大量に出たときがあったのをご存じです?」

「いえ」

「私はまだその時今の明星さんよりも小さなころで、都で高名な薬師の方の部屋住みの侍女をやっていたんですけども。そのときの先生がお守りにこういうのお持ちでしたわぁ」


 高名な薬師も持つまじないの紙。

 怪訝そうに紙を見る明星に、女が何かに気が付いたように両手を叩いた。


「明星さん、今日この後本祭にいかれますでしょう」

「はい」

「ほらやっぱり」


 女が合点がいったような笑いをした。


「それ、薬師殿が気を利かせて入れてくれたんですわぁ。初めての本祭でしょう。お守りですよ、お守り」


 あからさまに、明星の顔が嫌そうな表情になった。


「そういう気の利いたことができる人ではないです」

「そうですかねぇ」


 笑いながら女が続けた。


「まあ、一緒に住んでる人に対して私が言うのもなんですけども。薬師くずれで薬屋なんてやってますとね。薬を通して、その薬を作った人の質というような何かが、なんとなくぼんやりと見えるようになりますんよ」

「はぁ」

「今までいろんな薬師の方とよろしくさせて頂いてますけど、明星さんとこの薬師殿がおつくりになる薬は質がよろしいと評判なんですわぁ」

「質ですか」


 女が、包みに入っている小さな薬包を一つ手に取り、言葉を続けた。


「こんなんただの粉にしか見えませんでしょう。でも作った人によっては違いましてね。それはもう薬効やら飲みやすさやら、全然違うもんなんです。生薬の生える土に水、煮るなり干すなりなんやから。全部考えたらそれはもう、手間も手間の大仕事ですわぁ」


 女が、大げさに顔を作りながら熱を込めて語っている。

 話が長くなってきた、と明星は思った。


「つまりまあ、飲む人のこと考えて作らんと、こういう薬にはなりませんのです」

「はぁ」


 ぴしゃりと言い放った女を見ながら、明星から気の抜けたような返事が出た。


 あのセミの抜け殻のような覇気のない師匠が、そんな気の利いたことをしている。いまいち信じがたい。勘違いではないだろうか。


 仰々しい文字が一面に書かれている紙を、入り口から入る日に透かしながら再度見た。


 遠く、鐘を突く響き渡る音が、店の中まで聞こえてきた。


「もう、お昼ですわなぁ」


 薬の入っていた包みを女が器用にたたんでいく。

 礼をして包みを受け取った。


「本祭、いいことあったらいいですなぁ」


 手を振って送る女に、明星が頭を下げて店を出た。





 寺の敷地の入り口となる小さな山門を抜けた参道では、両脇に小さな出店が所狭しと立ち並んでいた。


 しばらく、目を奪われていた。

 こんなに人がいるのか。突き抜けた参道の奥、広場へ続く本山門までの間、何人いるのかもわからないほどの人が参道を歩き回っていた。

 ふいに、明星の耳に笛の音が入り込んできた。流れてきた笛の音の先、階段下の広場では、小さな猿を抱えた笛吹きの周りに人だかりができていた。


 何もかもが見たことがなかった。自然と、参道の中へ足が歩みを進めていた。


 強烈に、鼻を刺激する煙が流れてきた。

 匂いにをたどるように足を進めると、簡素な出店の中でハマグリが焼かれていた。


「お」


 腹の出た色黒の店主だった。食い入るような明星の視線に、こたえるように炭火の上をうちわで煽り始めた。

 

「食うか?」


 小さな、焦げるような音がたった。炭火で焼かれている身の厚いハマグリが、貝の殻から小さく汁を噴き出したかと思うと、小気味いい音を出して匂いとともに煙になった。


 得意げに店主が醤油を垂らし始めた。無言のまま口を半開きにした明星に、追い打ちをかけるようにうちわで扇ぎはじめた。貝の殻からこぼれた醤油と汁が炭火に落ち、じゅゎという小さな焼ける音と共に明星の鼻を容赦なく――


「ください」

「何ハマグリ食ってんだお前は」


 いきなり後ろから首を絞められた。

 明星の首に腕を回し、締め上げるように持ち上げてくる。


 この声は確実に宇航うこうだ。


「お前、こんな時間になるって午前中何やってた」

「悪い」


 明星がハマグリを食べながら答えた。


「薬屋によってた」

「そんだけじゃこんな時間にならねえだろうがおい」


 なんとか腕からすり抜けた明星が、笑いながら振り向き体勢を整えた。


 視線の先を見て、目を丸くした。

 宇航が、上下真っ白の袖のない服を着ていた。本行事で使う、動きやすさを重視した簡素な祭専用の装束。宇航の日に焼けた肌が、より一層衣服の白さを際立たせていた。


 食い入るような明星の視線に気づいた宇航が、白い襟を引っ張りながら興奮気味に言った。


「本行事の衣装だ。一年前から用意してたのをやっと着れたぞ」

「いいなぁ」


 明星の口から、思わず素の言葉がついて出ていた。


 にやけながら出店に突っ込んでいった宇航が、平べったく圧し潰された焼き団子を四串もって帰ってきた。


「薬師殿は相変わらず来ねえのか」

「来ないね」


 団子を受け取りながら明星が答えた。


「――なら、私は対象ではないな」


 朗々と、今朝の調子をまねしながら明星が声を出した。


「とか相変わらず適当なことを言って出てこないね。そのうち日にあたらな過ぎてカビでも生えるんじゃないかと思う」

「なんかそういう制約でも受けてんのかね」


 明星が、串ごと嚙み砕く勢いで醤油で焼いた団子を食いちぎった。


「もう本当に何だっていいんだよ。とにかく人前に出てもらわないとどうしようもないんだからさ。どうやったらあの人を村の行事に参加させられると思う?」

「無理なんじゃねえか?」

「はぁ?」


 明星のあからさまな怒気に、宇航が団子を口に突っ込みながら答えた。


「いやだってもう、お前らここにきて五年もたってんだろ? それで村の普請ふしんに薬師殿の名前が載ってねえってよ。ここまで村とかかわりを持たないってなるともう、なんか理由とか裏とか信念があるとしか俺は思えねえけどね」

「裏」

「顔が知られると困るとか」

「どんな理由で」

「薬師殿は、手配を受けている」

「ああ——」


 明星が、閃いたような表情で足が止まった。


「なるほど。それで——」

「いや、ただの冗談だけど」


 参道の入り口、簡素な山門のほうからどよめきが起こった。


「なんだ?」


 宇航が団子を食いながら騒ぎの方を見た。


 異様な、風体をしていた。

 先導する村長の息子の後ろ、山門の階段から、法衣を来た人間がゆっくりと歩いてきていた。


「あれが、噂の――」


 宇航から、小さく声が出た。


 今までに見たことのない服装だった。すっぽりと、とがるように突き出た桃色の布を頭にかぶっている。異様な頭も目立つが、それよりも異様だったのが法衣だった。一枚の布を巻きつけるように身にまとう桃色の法衣が、引きずるほどの長さで裾に広がっている。

 何よりも、顔を隠すようにかかる一枚の布が異様だった。


 参道に溜まっていた人波が、割れるように両脇へ移動していった。

 おそらく、都から来るとかいう客なんだろう。


「すげえな」


 宇航から、ぽつりと小さな声が出た。


 あまりの見慣れぬ光景に、先ほどまでの参道の賑わいが嘘のように静まり返っていた。

 困り顔の村長の息子が、顔をひそめていた。着ているものは、本行事で使用する真っ白な衣服。村では見慣れた定番の服装。それが異様な風体の客人を先導している。それがまた、よりいっそう後ろにつく法衣の者の異様さを際立たせていた。


「すげえなぁ」


 宇航が、再度つぶやいた。明らかに興奮した声になっていた。


 団子を加えたままの明星が、ただ黙ってうなずいた。

 異様なのはわかっていた。ただ、宇航ほどには感じるものがなかった。もしかすると、宇航にとってはこの異様なものも本祭の一部のように感じられているのかもしれない。自分もまた初めて本行事に参加することになっていれば違ったのだろうか。


 出店の前で固まっている二人の眼前を、ゆっくりと二人が横切っていく。


 そのまま参道を抜け本堂へ消えていくのを、しんとしたまま見送った。


 鈍く、強く鐘の音が響いた。

 参道で硬直していた人々が、にわかにざわつき始めた。


 広場にある櫓の上から、再度鐘の音が響いた。ゆっくりと、より早い拍子で打ち鳴らされていく。


「始まるぞ」


 団子を焼いていた出店の店主が二人に言った。


「そっちのほう、本行事に出るんだろ。早く本堂の方に行ってこい」


 うちわを向けられた宇航が、手に持っていた団子を一気にかき込みうなずいた。


「宇航!」


 走り出そうとしていた宇航を呼び止めた。

 振り向いた宇航に、明星が袖から短冊状の紙を取り出した。器用に丸めて、糸状のこよりにしていく。

 宇航の後ろに回り、帯の隙間に落ちないよう入念に突っ込んだ。


「お前、何やってんの」

「お守りらしい」

「らしいって」


 いぶかしがる宇航の顔面に、明星が無言でこぶしを突き出した。


「行ってこい」


 明星の言葉を聞いた宇航が、はっとしたように自身の両頬を強く叩いた。


「おうよ!」


 こぶしを強く突き返し、真っ白な服をまとった宇航が本堂のある本山門へ走っていった。





 最後を締めくくるように、一段と強く鐘が打ち鳴らされた。


 雲一つない晴天だった。

 本堂前、本山門を抜けた広場では、白い衣服を着た男たちが肩が擦りあうほどにひしめき合っていた。


 晩秋も終わり暦上は冬に入ったとはいえ、容赦のない日差しが広場を汗で蒸していた。逆を言えば、本行事にふさわしい晴日でもある。

 広場を見下ろす形になる本堂の中で、体躯のいい老人が陰の中に座っていた。


「今のところ、これがうちの村の活きのいい男連中ですな」


 隣に座る桃色の法衣を着た女に、老人が小さく耳打ちをした。


 境内の階段を下りたところで、村長の息子が紙を広げ行事の口上を述べている。それ以外の音が何もない静かな中、老人と女が静かに終わるのを待っていた。


「あの口上が終わって」


 老人が、櫓の上の鐘を閉じた扇子で指した。


「あの鐘が鳴る。それが打ち終わったら、そっから本行事が始まる。そうしたら、この前にいる若い衆が全部、村中を駆け回って戻ってくる。んで、一番に戻ってきた人間がその年の幸運を全部授かるっていう、まあ単純明快な行事ですわ」


 女が小さくうなずいた。


 息子の述べる口上の間、手に持った扇子を、ただひたすらに老人が開いては閉じていた。


 境内の下、浪々と述べていた口上が終わった。

 遠くに立つ村長の息子が、静かに老人を振り返った。


 老人が、再度女に耳打ちした。


「今説明しますか? それとも行事の後にされます?」

「そう、ですね」


 桃色の法衣を着た女が、一呼吸置いた後、口を開いた。


「今のほうが望ましいでしょうね」


 立ち上がろうとした女が、静かに老人の方を見た。


「先日、あの場でお渡しした鈴。今お持ちいただいてますか」

「そりゃあ、もちろん」


 老人が、腰に結び付けていた鈴を取り出した。


「それはよかった」


 顔にかかる一枚の布の下から、小さく笑う口元が覗き見えた。

 女が、小さく両の手を併せて声を出した。


「それでは今、少しばかりお借りいたします」


 鈴を受け取った女が、ゆっくりと立ち上がった。

 境内の階段を降り、村長の息子に一礼をし足を止めた。


 広場から、わずかにざわめきが立った。例年にない、異様な風体の客人。それが何かを始めようとしている。

 村長の息子が、どうしたものかという表情を浮かべながら場所を譲った。


 女が、桃色の袖に隠れた右手をゆっくりと前に突き出した。

 指の先に、虹色に光る透明な鈴を垂らしている。


 静謐だった。ゆっくりとした動きが舞にも見えた中、広場の男たちが息をのみながら次の挙動を待った。


「村の皆様方、初めまして」


 女が、冷たくとおる声を放った。


 持っていた鈴を、緩やかに回転させ始めた。


 瞬間、立っていられないほどの地鳴りが始まった。

 広場に生えていた古木から、身をひそめていた鳥が一斉に鳴き飛び立った。人であふれた広場では、一斉に身をかがめた男たちが怒号を上げていた。櫓の上に立っていた男が、滑り落ちる鐘を必死に抱えたまま鐘ごと地面へ叩き落された。


 境内の入り口に立つ女が、何一つ揺れることもなく鈴の回転を速めた。


 まずい。

 床に這いつくばる老人が、反射的にへりを掴み立った。理屈ではなかった。老人の何かが訴えていた。


 あの鈴。あの女の鈴を止めなければ。


 本堂の中、構成する材木のへし折れる音を無視して駆けた。倒れてきた燃えるろうそくを手ではじきながら、女のもとへ走った。


 立っていられないほどの揺れの中、女がさらに鈴の回転を速めた。


「誰かあの女を止めろ!」


 老人が叫んだ。


 届かなかった。

 真っ黒な何かが、声を無視するかのように本堂を突き上げ老人の体躯を吹き飛ばしていた。

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