第 三 話 九月九日(一)

 地鳴りのような音で目が覚めた。


 ゆっくりと、腹にかけていた布を巻きなおした。寝返りを打ち、再度入眠を試みる。


 しばらくしてそれが鐘の音だと気が付いた。


 そうだ。今日は本祭ほんさいだ。明星めいせいが飛び起きるように体を起こした。

 寝てる間にはだけた着物を着なおし、居間の引き戸を勢いよく開けた。


「起きたか」


 長い白髪を後ろで結った男が、湯気の立つ鍋をかき混ぜながら振り向いた。


「今日は一段と寝坊がひどい」

「起こしてくれたっていいじゃないですか!」


 悪態をつきながら明星が走るように厠へ向かった。


 油断していた。今日は本祭の日だ。昨日考え事をしていたら寝つきが悪くなった。

 格子戸から差し込む光の角度で、まだぎりぎり朝の内と呼べる時間帯だとわかる。本行事ほんぎょうじが始まるのは午後だ。まだ間に合う。


 顔を洗い、急いで居間に戻ってきたときには、既に朝食の汁物が用意されていた。

 炉端に座り、栗色の中途半端な長さの髪を後ろに束ね、手を合わせる。

 汁物を掻っ込んだ。


「よっぽどの急ぎの用だな」


 明星の食いっぷりを見ながら、あきれるように白髪の男が言った。


「本祭を見に行きます」

「あぁ」


 箸を握ったまま、男が答えた。


「なるほど」

「やっとですよ、やっと」


 根菜の煮物を噛み砕きながら、文句のように明星が言った。


宇航うこうがいなかったら、今年もここから眺めるだけで終わってました」


 男が、それはよかった、とだけいい、何食わぬ顔で汁をすすった。


 明星が一段と強く煮物を噛み砕いて飲み込んだ。


 我が師匠は、ことごとく村の行事に参加をしない。行事どころか、平常時ですら村の人間とかかわりを持たない。里山の奥の奥、誰も入らないような場所で材料を集め、何日かこもって薬を作ったかと思えば自分を使いに出して銭に変える。訪ねてくる人間ですらよほどのことがなければろくな対応もせず、村へ出ることなんて考えようもない。

 この村へ来てから五年は過ぎたが、一貫してこの調子だ。

 薬師くすしであればこそ、村のはずれに居を構えさせてもらってはいるが、そうでなければ焼き討ちにあってもおかしくない。


「今日の本祭は、都からも人が来るらしいですよ」

「都」


 汁をすする男の手が止まった。


「こんな田舎によく来るもんだな」

「都に行く人間を集めるそうです」


 はっはと声を出して男が笑った。


「何のためにまた」

「若い人間を集めて、どうのこうのとか」

「なら、私は別に対象ではないな」


 明星が箸を椀にたたきつけた。


「師匠もたまには村に出てくださいよ! こういう重要な行事にこそ出ておけば、少しくらいはよそ者でも受け入れてもらえたりするんじゃないんですか!」


 明星の怒気に、困ったような顔で男が汁をすすった。


 あまりの手ごたえのなさに、明星の肩が落ちた。


「俺が十五になっても本行事に参加できなかったら、絶対に師匠のせいだと思います」

「それはまぁ、そうかもしれんなぁ」


 根菜の煮物を口に含みながら、男がしみじみと言った。


 箸をおき、椀をもって流しへ向かった。


「もう行くのか」

「宇航と出店を見に行きます」


 水を張った桶に椀を入れ、洗いながら明星が答えた。


「ちょっと待て」


 男が、箸をおき奥にある作業場のほうへ姿を消した。


 作業場へ行ったまま、白髪の男が戻ってこない。何かしらものを取り出す音が聞こえるが、それきり何も反応がない。


 土間で立ったままの明星が、作業場の方へ耳をすませた。


 もしかしたら、外に行く用意か何かでは。いや、そういう期待はしない。持つだけ無駄なのである。ただ、極まれに、師匠は笠をかぶって用事で村へ出ることもある。もしかしたら、さっきのやり取りで、村の人間と交流してくれたりしないだろうか。


 ないだろうなぁ。そういう人間だったらとっくに村の人間とやり取りができている。


 思ったよりも時間をかけた後、作業場から白髪の男が中身の入った包みをもって来た。

 明星の体に、袈裟懸けで包みを括り付ける。


「ついでに、村の薬屋に頼まれていた薬をもっていってくれ」




 返事をせず、無表情のまま戸を閉めて出かけた。

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