第4話 餌付け

「朝飯食ったろ」

「デザートは別腹って絵麻が言ってたわ」

「あの人の言うことは、基本的には聞いちゃダメなんだよ」

「絵麻はすごいわ」

「すごいけど、でも、ダメな人なんだって」


 お前とよく似ている、という言葉は飲み込む文則。


 そんな風に問答していると、ドーナツショップの扉が開いて中から人が現れた。凄まじくチャラそうだが、同時にとんでもないイケメンでもある男だ。


 髪はかなりきつめにブリーチしているのか、輝くような金髪。背は高く、やや日焼けした肌は服の上からでもかなり鍛えられていることが分かる。左右の耳にはピアスをいくつもあけており、服の襟元からはシルバーアクセサリのチェーンがちらりと見えている。


 今は服に隠れて見えないが、その男が左の胸とヘソにもピアスをしていることを文則は知っている。『チャラ男』という概念をそのまま具現化したような男であった。


 チャラ男はこちらに気づくと、「おっ」と言いたげな顔つきで寄ってきた。


「朝っぱらから美少女侍らして登校とは、文則、いいご身分だなあ」

「……雄星さんこそ、朝帰りなんてゴキゲンな毎日送ってるじゃないですか。今日の講義、一限からだったはずのくせに」

「女が多いと、むしろご機嫌取るのに苦労するけどな。だけどまあ、女の子はそういうところも可愛いからいいんだけど」


 そう返しながら、雄星……仲真なかま雄星ゆうせいは爽やかな笑顔を浮かべる。彼もまた、『ハイツ柿ノ木』の住民で、文則とは間に部屋を一つ挟んだ103号室に居を構えている。


 こんな見た目と性格の雄星だが、通っている明星大学には首席で入学。学費免除の待遇を受けている特待生だというのだから、世の中ちょっと間違ってると文則はたまに思う。


「苦労するなら、いい加減一人に絞ったらどうなんですか。そのうちほんとに刺されますよ?」

「無理無理。オレの愛は平等だもんよぉ。それにまだまだ、枠も埋まり切っていないし?」

「枠って、あんたね……」

「ってわけで、どうかな? アメリアちゃん。オレの彼女になってみない?」

「文則。ドーナツ」


 雄星の言葉を無視して、アメリアは再びそんな言葉を口にする。指差している方向が、ドーナツショップから雄星が手に持つ紙袋へと変わってはいたが。


「お前ね……」

「ぶははっ、相変わらずお前らおもしれーのな」


 呆れる文則と、きょとんとした表情をするアメリアを見て、雄星が笑う。


「しっかしここまできっぱりと無視されんのも面白くねえな。よし、それならこういうのはどうだ、アメリアちゃん。ドーナツならくれてやろう」


 と、雄星は手にした紙袋を掲げた。

 アメリアの目が心なしか輝く。そんな彼女に、ニっと笑いかけつつ、雄星が言葉を続ける。


「しかし交換条件として、オレの彼女になるってのはどうだ?」

「ドーナツ……」

「そうだドーナツだぞ~。それがなんと、今ならオレと付き合うだけで手に入る! どうだ、魅力的な提案だろう?」


 いつの間にか雄星が悪い顔になっている。しかし、アメリアがそのことに気づいている様子はない。その視線は食い入るように、ドーナツの入った紙袋に注がれていた。


 しばらくそうやって悩んだ様子を見せたのち、諦めた様子でアメリアが目を伏せた。それから、今度は指差す場所を紙袋からドーナツショップへと変えて、


「文則。ドーナツ」


 と、言葉を繰り返した。


「結局、食いたいんかい」


 額にチョップで突っ込みを入れる文則。

 雄星はフラれたにも関わらず、爆笑していた。


「はー、いやいや。強敵だな文則。オレ、これでもモテるんだぜ?」

「それは知ってますって。俺がどんだけ雄星さん宛ての手紙押し付けられてると思ってるんすか。今月だけで50通ですよ、50通」


 文則とアメリアの通う高校は、明星大学の付属校である、明星高校だ。


 その高等部、大学部を合わせても最もモテる男が、この男、仲真雄星なのである。文則の叔母曰く、


「甘いマスクで釣り上げて下半身で女に言うこと聞かせてる、典型的かつ計算高いジゴロ野郎」


 というのが彼の評価だ。


「わりーわりー。いつもありがたく読ませてもらってるって言っといてくれ」

「なんで俺が……」

「でもなー。高等部の子だと、彼女作るのはちょっとなー」

「未成年相手だと、やっぱ雄星さんでも躊躇うんすかね?」

「いや、そういうんじゃなくってさ。同じ場所で何人も彼女作ると修羅場になるじゃん。そういうのは面倒くさいから、高等部の子だとあくまでオレはアメリアちゃん狙いってだけ」


 そんなことをさらっと言えてしまうのは、やはりモテる男だからだろうか。


「……なんつーか、そういうのすごいとは思いますよ。人としてクズだと思いますけど」

「褒めんなって。恥ずかしいだろ」

「いや、全然褒めてるつもりとかないですけど。それに、絵麻センパイの漫画動画だって……」


 雄星は、絵麻の幼馴染で、漫画動画の動画編集担当だ。


 絵麻の描いてきた漫画に、演出を加えて送り出す役割を担っている。絵麻の漫画の動画チャンネルを立ち上げたのも、雄星だ。


「いや、あれは絵麻がヤバいだけだって。それより、ほら。やっぱドーナツやるよ。うまいよな、ここのドーナツ」

「ちょ、雄星さん。アメリアに餌付けしないでくださいよ」


 話を逸らしたがっている気配を雄星から感じて、文則はそれ以上突っ込んだりはしなかった。


「嫉妬か~? 田舎者の嫉妬は見苦しいぞ~、文則~」

「うっさい! そんなんじゃないっすよ!」

「つーか、田舎者っつったらさ。文則って、確かこの辺りの出身じゃなかったよな? なんで一人暮らししてまで、こっちの高校に通おうと思ったんだ?」


 そんな雄星の質問に、文則の表情が苦々しいものになった。


 今となっては、浅はかな理由。本当に、ただガキっぽいだけの動機で引っ越してきてしまったと、最近は後悔することも多いのだ。


「……って、思ったんですよ」

「ん? 声、小さくね?」

「都会に来れば……自分なんかでも、なにか特別なものが見つかるって思ったんですよ!」


 恥ずかしすぎて、むしろ叫んだ。本当にガキかと、我がことながら思ってしまう。あまりの恥ずかしさに、顔面が熱を持って赤くなっている自覚があった。


「……うわ。思いのほか下らねえ理由」

「うっさい。自分でも、そんなこと分かってます。放っといてくださいよ」

「ま、でも、いいんじゃね? そういう、アホみたいな理由で後先考えずに行動できるのも、今のうちだけだぜ? オレはそういうバカってけっこう好き」

「……結局それ、俺のことめっちゃバカにしてるじゃないですか」

「わははっ。まあ、笑ってもらえるだけまだマシだろ。つか、もう時間がだいぶアレだけど、いいのか? 学校行かなくて」

「時間? って、やば!」


 スマホの画面を確認してみれば、もう八時近くになっていた。話し込んでいるうちに、随分と経っていたらしい。


 かなり早めに朝の支度を整えたはずなのに、アメリアが起きなかったり、朝食を奪われたり、朝食を食べたあとにアメリアが二度寝を始めたりしていたから時間もギリギリだ。だいたいアメリアのせいだ。寝坊と二度寝と遅寝が趣味とは、本当に恐れ入る。


「アメリア、急ぐぞ!」


 と、アメリアの腕を引っ張って走り出そうとする文則だが。


「文則。ドーナツ食べる?」


 パクついていたドーナツの端っこをちぎって、アメリアはその欠片をこちらに向かって差し出してきていた。


「食ってんじゃねえ! 急がないと遅刻だぞ!」

「ドーナツ、おいしいのに」


 と、上目遣いで見上げてくる顔が可愛いから困る。風に吹かれて、桜色の髪の毛がさらさらと揺れるのも無駄に魅力的で仕方がない。

 おまけに、文則がドーナツを食べるまではどうにも動き出しそうになかった。


「……っ、分かったよ。食えばいいんだろ、食えば」

「食べたいなら言えばいいのに」

「俺、そんなこと、一言も言ってませんよねえ!?」


 そんな二人のやり取りを見て、また雄星が爆笑する。笑いの沸点が低い男である。


「わははっ、お前の方が餌付けされてるじゃねーか」

「そこの野次馬も、さっさと消えろ! 消えてください本当に!」

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