第2話 天才漫画家の朝食事情

「はぐはぐはぐっ」


 アメリアに制服まで着せたところでラウンジへと戻ると、そこにはもしゃもしゃとトーストとハムエッグを頬張る侵略者が幸せそうな顔でテーブルについていた。


「……って、なにしてんすか絵麻センパイ!」

「おーっす! いやあ幸せだよねえ、朝ごはんを他人が用意してくれる生活って」

「他人の朝ごはんを略奪する生活の間違いでしょうが! それは俺とアメリアの分として作ったやつなんですけど!」

「そういうえこひいきはよくないぞ、ノリフミくん! わたしだって、ご飯作ってもらいたいんだもーん!」

「もーん、じゃねえ! つーか、センパイは自分で料理作れるでしょうが。人のもん横取りすんの、いい加減やめてくださいよ」


 そう指摘すると、不機嫌顔で絵麻センパイ――保竹ほたけ絵麻えまが頬を膨らませた。


 絵麻は、文則の通っている、私立明星付属明星高校の大学部に通う三年生だ。年齢は二十歳。プロポーションは抜群で顔立ちもいかにも大人っぽい、色気の香る容姿をしているのだが、性格が子どもっぽいのが玉にきず


 極めて奔放で、やや生真面目なところのある文則からは時として理不尽に感じることもある相手だった。


「へぇーそーゆーこと言うんだー。やーらしいの」

「やらしいって……何がですか」

「べぇーっつにーぃ? 自分の心に聞いてみればー?」


 とか言いながらも、ちゃっかり二人分の朝食を平らげている絵麻である。


「あーもう。また準備しなきゃじゃないですか」


 仕方なく、再びキッチンに向かう文則。アメリアは、とりあえずテーブルで待たせておくことにした。


「朝から働き者だなー、ノリフミくんは。わたしも見習わねばなるまいな!」


 そんなことを言いながら、絵麻が取り出したのはディスプレイのサイズが大きいタブレットだ。


 Proを称するだけあって高性能なそのデバイスは、イラストレーターや漫画家にも液タブのサブデバイスとしてイラストを描くのによく使われているらしい。スタイラスペンをどこからか取り出した絵麻は、さらさらと馴れた手つきでペン先を画面に走らせた。


「今はなにしてるんすか、絵麻センパイ」

「次の動画の絵コンテ作成~。今度は久々に二次創作おあそびで」


 言いながらも、画面には次々とコンテが産み落とされていく。


 卵とベーコンを落とした鍋に蓋を重ねて、文則も後ろから画面を覗き込んでみる。彼女の絵を描いている姿は、正直すごい。引かれる線はいずれも的確で、無駄なところが一つもない。まるで奇跡を目の当たりにしているかのようですらある。


「しばらくは仕事オリジナルをやってたけど、そっちの納期は昨日終えたからね~。漫画描く息抜きに漫画描こうかなって」

「……それ、息抜きになるんすか?」

「え、なんかおかしい?」

「いや、おかしいかどうかは分かんないすけど……」


 本当に、こういう話をするたびにこの人の頭の中身はどうなっているんだろうと文則は思う。


 絵麻は……プロの漫画家にして、漫画動画の制作者でもある。動画編集のもう一人と組んで、彼女は漫画の方を担当。


 絵麻が動画サイトで発表していたのは、いわゆる同人作品だ。アニメや漫画の二次創作作品を作っては、それを動画の形にしてネットで公開していたのである。

 元々は、絵麻が趣味で行っていた創作活動。二次創作ということもあり、広告収入を得られるわけでもなく、ただただ彼女が、自分が良いと思うから・・・・・・・・・・行っていた活動。


 しかし、そんな彼女の活動は、ある日物議を醸すようになる。


『これ、原作よりも遥かに面白くね?』


 そんな感想が、動画ページのコメント欄に書き込まれたのが発端だった。

 これを皮切りに、コメント欄での論争は加速。


『原作より面白い』『まず、絵が原作より百倍上手い』『このキャラこんなに可愛かったっけ?』『二次創作が本家ってどういうこと?』『この動画のせいで原作楽しめなくなった。面白すぎ』『これがアマチュアってプロ涙目だよな』『振り込めない詐欺』『この動画で原作買ったけど面白くなかった』『はよ単行本出してくれ』『実はこれ作ってるのプロだったりしないの?』『←それはない。こんな上手い絵を描く漫画家がいたら確実にもっと有名になってるはず』『←秀同』『←逆になんでこんなやつがアマチュアなのか説明つかないレベルじゃね?』


 こんな感想が、同人作品として公開したはずの動画に寄せられまくった結果……多くの原作者が筆を折った。あるベテラン漫画家は引退を表明し、あるアニメ化作家は連載中の作品を投げ出して実家に逃げ帰り、あるメディアミックスを控えていたはずの漫画家は遺書を残して首を吊ろうとしていたところを、家族に見つかり取り押さえられた。こうして、都合十人程度のプロ漫画家が、心をへし折られ作品を発表することができなくなった。


 だが、これでは済まないのが、保竹絵麻という名の暴走機関車である。


「こんなことで引退なんかされたら悲しいも~ん!」と言い出した絵麻が次に行ったのは……励ましのファンレターを、原作者全員に送り付けること。


 そのファンレターの分量は、400字詰め原稿用紙にして、250枚を軽く超える。そしてその内容はというと、「あなたが漫画を描き続けるべき百の理由と、わたしの思うあなたの作品の可能性について」というもので、早い話が「あなたの作品、こうなったらわたし、もっと好き!」というものだ。


 それがまた、バキボキ折った。徹底的に、アマチュアの同人作家のはずの絵麻が、プロ漫画家の心を折りまくった。


 あるベテラン漫画家はこれまで描いた自分の原稿をすべて炉にくべ、あるアニメ化作家は大好きだったはずの漫画やラノベを本棚ごと処分に出し、首を吊ろうとしていた漫画家は世俗を捨てて寺に入った。


 こうして、都合十人程度のプロ漫画家が、クリエイターとして再起不能なレベルまで徹底的に打ちのめされたのである。


 なにがひどいって、絵麻には一切の悪意がなかったことである。ただ好きだから漫画を描き、ただ好きだから公開し、ただ好きだからファンレターを送った。そこにあるのは、悪意どころかむしろ善意で、子どものように純粋な好意と憧れと楽しさを探求する心のみなのだ。


「わたしは、ただ、楽しいことや面白いことをみんなでしたいだけなのにな……」


 普段は朗らかな絵麻が、そんな風にして憂いの言葉を呟いていたのを、文則は今でも覚えている。そんな風に誰かの心をへし折りながらも、絵麻は作品を作ることはやめられなかった。新しい、面白い作品に出会うたびに、心がワクワクして、胸がドキドキして、彼らの物語の続きを見たくて体は勝手に絵を描き始めてしまう。


 そんな絵麻に、ある日目をつけたのが、奥嶋ユーサクという作家だった。

 奥嶋ユーサクは、四クールに渡ってテレビアニメが放映された漫画の原作者だ。そんな彼が、絵麻のSNSアカウントにこんなメッセージを送りつけてきたのである。


『貴様のバイタリティを見込んで、私が餌を恵んでやる』


 そのメッセージに添付されていたのは、まだ公表されていない漫画の脚本だった。分量は、漫画動画にしておよそ十分から十五分程度。ジャンルはファンタジー系のバトルアクション。そして、脚本の最後には、『描けるもんなら描いてみろ』とあからさまに挑戦と分かる言葉が刻まれていた。


「じゃあ、描く!」


 その挑戦を当然のように受け取った絵麻は、さっそく制作を開始。そして出来上がった、絵麻初のオリジナル漫画動画、『金翼のボルガノン』は、再生初日であっさり300万再生を突破。その後も再生回数は伸びに伸び続け、一ヵ月と経たないうちに8000万再生を達成したほどだ。


 現在、このオリジナル漫画動画は、とある有名漫画雑誌で連載されており、先月発売された単行本は、当然のようにネット予約での売り切れが続出し、販売前に急遽大量に重版がされたほど。売上は一巻の時点で、すでに一千万部を超えている。


 文則も、その動画サイトに公開されたオリジナル漫画を見た。


 そして、気づけば……泣いていた。絵麻がその漫画を描いたことを知っていて、最初から身構えながら見たにも関わらず、知らない間に引き込まれてしまっていた。


 その時、文則は思ったのだ。圧倒的って・・・・・こういうことか・・・・・・・、と。


 しかもその漫画は、原作こそついていたが映像的な演出や絵コンテの考案、実際のネーム作成から執筆に至るまではすべて絵麻が行ったのである。文則からしてみれば、その作業量はとんでもないものに思えた。


「……なんつーか、すごいっすね。絵麻センパイは」

「そうね。絵麻はすごい」

「ありがとよ! 二人とも! へっへっへ、とっころっできょ~うのた~わわ~はた~わわ~かな~♪」


 親父臭い歌を歌いながら、絵麻がアメリアの胸に掴みかかっている。それを抵抗もせずに受けるアメリア。完全に無表情だった。


 その光景を見ながら、「これで変人でさえなければな……」と思う文則。本当に、素直に尊敬しづらい先輩なのであった。

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