僕の生きない理由と彼女の死にたい理由

アル

僕の生きない理由と彼女の死にたい理由

「課題のノートみんな提出したー?」

 クラス委員長が教室の前方、教卓の位置から呼びかけた。

 クラスメイトのノートを集め終えたところだった。

「じゃあもう持って行っちゃうね」

「あのっ、僕のも」

 忘れられていた自分のノートを委員長に差し出す。

「あー、ごめんね」

 笑顔で受け取ってくれた委員長が視線を僕に向けると、顔色が変わった。

「ごめん。今度から気をつけるから、そんなに睨まないでよ」

「いや、睨んでるわけじゃ──」

 言い終える前に逃げるように行ってしまう。

 教室を出るときに委員長は二人の女生徒と合流し、ノートを職員室に届けに行く。

 二人の女生徒は「なにアイツ」とこちらを見ながら、僕に聞こえる声で言ってくる。

 

 その日の放課後、進路相談があった。

「お前さー、成績は良いんだからもっと態度良くしろよ」

 三十人ほどの机が置いてある教室に今は僕と担任の若い男性教員二人きり。

「なに睨んでんだよ。今注意してるだろ!」

 僕が視線を向けると教師は勝手に語気を強めた。

「そういうつもりは──」

「あー、もういいや」

 僕の言葉を全く聞かず、呆れたように教師が先に帰ろうとする。

「あの、まだ進路相談されてません……」

「もう良いでしょ? 自分で決めろよ。進学でも、就職でも」

 と全く相手にされない。

「お前のその態度だったらどっちも無理か」

 挙句そんなことを言いながら、大きく笑い出した。

 そのまま進路相談など行われずに、教師は教室から出て行った。


 下校しようとするとポツポツと小雨が降っていた。

「碧、帰ろうぜ」

 傘をさして、帰ろうとすると声をかけられた。

 声のした方にいたのは幼馴染の「修二」だった。

「う、うん」

 修二は毎日決まって、僕と一緒に帰る。

 二人で傘をさしながら帰っていると、毎日同じような場所で同じような内容を修二が僕に話してくる。

「なぁ俺たち親友だよな?」

 問われる。僕がなにも答えなくても修二が続ける。

「俺がお前をいじめから助けてやったんだもんな?」

 ここら辺から修二の言葉に脅迫性が現れる。

「じゃあさ、金貸してくんね。……裏切ったら分かってんだろ?」

 いつもの日課だった。こうしていつも僕は学校からの帰り道、お金を巻き上げられる。

 お金を渡すと修二は、

「じゃあな、また明日」

 テンプレ化された別れの挨拶を言ってきて、どこからか現れた派手な仲間たちと合流する。

そして、家ではないどこかへ向かっていく。

「あいつなに? お前のパシリ?」

「いや、俺の奴隷だよ」

 修二は、僕に聞こえても構わないような声量で仲間達と会話をしていた。

 僕がその言葉を聞いても「また明日」がやってくる限り逃げる事はできないから。


 それから僕は一人、家へと帰る。

 家と学校のちょうど真ん中の距離にある橋に着くと、降っていた雨が強さを増した。

 橋の下の川は今にも氾濫しそうだった。

 ──ここから飛び降りたらどうなるだろう? 

 気づいたときには持っていた傘を落とし、全身に痛いくらいの大量の雨が当たる。

 目下の川に注目して、両手を橋の手すりにかけた。

 あとはその両手で体を持ち上げ、橋の外に投げ出すだけ。

「アンタなにやってんの?」

 そのとき、声がかけられた。その声で現実に意識が戻される。

 この雨に辺りの暗さが相まり、その声の持ち主は顔がよく見えなかった。

 ただ声から女性ということは分かる。

 彼女はこの暗闇でも輝いている無数のピアスを耳につけていて、そんなピアスに似合わない単色のワンピースのような服を着ている。

 そのくらいしか分からないのに、いや、そのくらいしか分からない他人だからこそこんな行動ができたのかもしれない。

「なんで邪魔するんですか!」

 久しぶりに強い感情が表に出てきた。

「僕は死にたいのに……」

 頬を雨か涙か、が流れていく。

「は? なんで私がキレられてるし」

 目の前の彼女が僕の気持ちなどなにも考えず、失笑気味に聞いてくる。

「誰も僕の気持ちを考えてないんですよ! 誰もちゃんと見てくれない! あの委員長も、あの教師も、あの友達ぶってるやつも、……母親だって」

 彼女に言ってもどうしようもない事は分かっているのに、なぜか口走ってしまう。

「……だから死にたいの?」

 彼女の声のトーンが今までと変わる。

 二人の間に無言が続く。

「なーんだ、勝手に死ねば?」

 そう言って彼女は歩き出す。

 ──彼女が言ったその言葉はどこか儚さのような、寂しがっているような、残念がっているような、そんな雰囲気を孕んでいた。

「なんで?」

 僕は咄嗟に彼女を呼び止めるため、声を出した。

 彼女は立ち止まり、こちらを向いて、

「君のそれは死にたい理由じゃなくて、生きたくない理由だよ」と。

 僕は一人になってからも、その日は死ねなかった。


「ただいま」

 雨の中をただ無気力に歩き続け、自宅に着いた。

「……いや……いや」

 リビングの方から母親の咽び泣く声が聞こえてくる。

 数年前、父が他に女を作った。そのまま捨てられた母は、仕事もままならないほどにおかしくなっていった。

 情緒が安定せず、今日のように弱々しく泣いている時もあれば、別の日は僕に強烈な暴力と罵倒をしてくる時もある。

「大丈夫だよ……」

 母の隣で背中をさすって落ち着かせる。

「碧は裏切らないでね、母さんとずっと一緒にいてね」

 声が絶え絶えだったはずが、その部分はハッキリと言葉にした。

 その言葉は僕を呪いのように縛り付てくる。


 結局なにも変わらないままいつも通りの毎日を過ごす。

 学校では毛嫌いされ、帰り道に脅される。

 ボロボロになりながら、家に帰ると母親が待っている。

「クソっ!」

 今日は荒れた日だった。

 帰るや否や、頬をぶたれた。突き飛ばされ、馬乗りでビンタされる。

 もう慣れていた。なにも考えず、口答えせず、痛みに耐える。

 そうしたら、いつか終わる。

 そして終わったら泣きながらこう言うんだ、

「ごめんね。こんな母親で……」

 僕が許すと、続けて命令してくる。 

「じゃあさ、お酒買ってきて」


 近くのコンビニに行った。

 同じ種類の酒を数本レジに持って行く。

「身分証明書、お願いします」

 今と同じような夜の時間に、何度か酒を買いに来たことがあったが、初めて聞かれた。

 レジに居たのは若い女性の店員。耳にはたくさんのピアスを付けている。

「君、未成年だよね。未成年には売れないので」

「あの時のお姉さんですか?」

 雨の日、橋の上で聞いた声と同じだった。

「あの時?」

 彼女は少し考え、そして思い出したように話し出した。

「ああ、もしかして自殺くん?」

「……自殺くん。まぁそうです」

 あまり褒められたものではないあだ名に違和感を持ちつつも、渋々受け入れる。

「自殺の次はお酒? 君、大人しそうなのに意外とおかしな人なんだね」

 彼女は小さく笑いながら、茶色がかったロングヘアーをふわりと揺らし、香水のような香りを漂わせた。

「いいよ。私が買ってあげるよ」

 店に僕と彼女の二人きりであることを確認し、レジ打ちを再開した。

「いいですよ、自分で買いますから」

「だから、未成年には売れないの。……買ってあげる代わりに私のお願い聞いて?」

 彼女はレジ打ちを終えるとポケットから財布を取り出し、会計を済ませた。

「じゃあお願いね。……また死にたくなったら、死にたい理由を見つけたら私のところに来て」

 レジ袋に入れた数本の缶ビールを僕に差し出してくる。

「分かりました」

 そのレジ袋を受け取るとコンビニを後にした。


 家に帰り、母親に酒を渡すと眠気が襲ってきた。

 こんなこといつもはないのに、「死にたい理由を見つける」という生きる意味ができた途端、体は明日に備えるように眠りにつこうとする。

 そんな眠りも遮られる。

 夜中、「ガチャ」と玄関の扉を開く音が聞こえた。その音に目を覚まされる。

 母親がこの家から出て行くことない。ましてこんな夜中に。

 考えられることは一つ、誰かが入ってきた。

 注意を払いながら、慎重に玄関の方へと向かう。

 そんな考えは杞憂に終わった。


 アパートの駐車場で男と一緒に、見た事ないほど楽しそうに笑う母親の姿があった。

 相手の男は担任の若い教師。

 二人は車に乗ると夜の街に消えていった。

 心臓の鼓動が速くなる。

「ゔっ」

 一人になった家のトイレで吐いた。

 ──苦しんでいたのは僕だけだった。母親は違かった。

 僕のことを縛るだけ縛って、自分は人生を楽しんでいた。

 もういいや。

 見つけたよ。

 

 すぐにコンビニに駆け出した。

「もう来たんだ」

 彼女は僕を見つけると微笑みかけ、手を取った。

「行こ」

 どこに行くかは分からない。ただ無言で彼女に身を委ねる。

 そうして着いた場所は僕たちが初めて出会った橋の上だった。

「じゃあ、初めに君の話聞こうかな」

 なにを話せばいいかは分かってる。

「見ていなかったのは僕の方だったんですよ。あいつら分かってる。僕が見ていないのが分かってて、僕を閉じ込めてた」

 一つ深呼吸をしてもう一度言葉を続ける。

「だから、あいつらから逃げてやるんですよ。どんな顔するんでしょうね? ……それが死にたい理由です」

 彼女は「そう」と呟くだけ。

「じゃあ今度は私ね」

 そして彼女は自分の話を始めた。

「実は私のお腹には赤ちゃんがいるの。だけど、この子には父親がいない。妊娠が分かるとすぐに逃げて行ったよ」

 もう空っぽになった僕は驚くこともできない。

「妊娠が分かったのも遅かったから、中絶もできなかった。……私には両親がいないし、誰にも頼れないの。一人で育てるしかない。

そんなの無理だからさ、せめて一緒に死んであげるの。……それが私の死にたい理由」

 彼女の頬を涙が流れていった。

 そして彼女は一度深呼吸をし、自分を落ち着かせると僕の方に向き直した。

「ここからは、私のわがまま。……死ぬのはとても怖いんだよ? 私は何度も失敗した」

 間近で見る彼女の目は、助けを求める悲しい目をしていた。

「もしそれでも死ねるなら、……私も連れてって。それが本当のお願い」

「……いいですよ」

「ありがと」

 僕は右手を差し出し、彼女が掴む。

 手を繋ぎながら二人で橋の手すりの上に立ち、最後の会話をする。

「君やっぱり頭おかしいね。名前も知らない相手と死のうとするなんて」

 と彼女。

「いいじゃないですか。一緒に死んだ、それだけの仲で」

 と僕。

「あっそ」


 そして僕は一歩踏み出した。

 続いて、彼女も一歩踏み出した。


 












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