第8話 ヒント

 広川は、神戸に戻ってから、早速智恵が作ってくれたシーンごとのグループを細かく見直すことにした。始めて約一週間もたっていなかったが、少しずつメッセージの数が増えているのを感じた。


 以前の全体のグループと違うのは、劇や中国語の練習風景をシーンごとに動画で載せている人たちが増えたことだった。その動画に対して一緒のシーンに参加している人たちが意見やアドバイスを積極的に入れていた。時には全体のグループでは話せない最近のことやどうでもよいと思える話で、盛り上がっていて楽しくやっているのが伝わってきた。


 一緒に練習ができないという難点も依然あったが、各個人ごとにスマホで自分たちの練習風景を撮りながら、そのイメージを繋ぎ合せて、それぞれのシーンを作ろうとしているのが一つ一つの動画から見て取れた。その其々の練習風景には、家族の人たちが協力してくれている姿や声が動画に入っていて、それも微笑ましかった。


 中国語のセリフも、昔自分たちが劇員として練習していただけあって、最初の頃は少し稚拙だったのも、何回も練習しているうちに、少しずつ上手くなっているようだった。


 広川はそれらを見ながら、何か発言しようといきこんだものの、しばらく考え込んだ。


 その時、和史が言ってくれた“等身大”という言葉を思い出した。そして、少しずつ当時自分がこのシナリオを作った背景や思いを、各シーンのグループに整理して書くようにしていった。時間が経っていて、記憶が曖昧になっている部分があるかと不安でもあったが、書いた内容に対して様々な反応があり、それが昔の記憶を色鮮やかに呼び覚まして行ってくれた。


 それと、当時どんなふうに練習していたのか、後輩たちの思いも聞くことができた。広川は連絡を取り合う中で、あることに気付いた。今までは、グループラインで沢山の人たちがいたため、発言していなかった人たちが、シーンごとのグループでは発言していた。智恵が別にグループをシーンごとに作った意味を浩司は今更ながら理解し、すごいなと心で感謝した。


 全員が参加するグループラインでは、発言する人が決まっており、そのメッセージの内容を見る人が多くいた。それは、遠慮やこの語劇に対する思い入れの違いによるものもあったが、それ以上にグループでは発言しにくい空気感があったと広川は考えた。だから智恵はそれを感じて、シーンごとのグループラインを作るように提案したのだと思った。


 それから、シーンごとの練習が少しずつ具体的に進み始めた。仕事や家庭を持っているメンバーがいるので、毎日練習ができるわけではなかったが、シーン毎の責任者が一週間ごとに一度は全体で話し合う時間を調整して、一つ一つの問題点をあげては解決していった。


 ただ、英一が出演していた最後のシーンは未だ解決できない課題があった。広川はこのグループのメッセージを少しずつ読み返して行った。


 ここには女性の主人公役だった恵子やその父親役だった勝島信二たちが出演していた。 


 信二は動画で見る感じでは、今ではかなりハンサムでスラッとしたサラリーマンのようだった。当時話しをする時に少し横に揺れながら話をする癖があって、智恵や副部長だった柿谷悦子たちに「ほら、そこは動いちゃダメ」と厳しく注意をされていた。


 だから今でも、広川よりも女性の先輩に対して怖いイメージを持っていて、彼女たちの言うことには今でも従順な感じだった。


 “英一がいないところ、どうしよっか”


 信二がぽつりとメッセージを送っていた。今まで漠然とした中で話をしていたので、気に留めていなかったが、具体的な劇の話になると当り前すぎる問題が見えてくるようになっていた。


 英一の役は、22世紀にいる89歳のおじいさんの設定で、曾孫役の曽手修が二一世紀に向かうタイムマシーンの前で手を振りながら見送る役だった。広川は、しばらくそのグループのメッセージを見ていた。


 信二 “あのセリフ良かったよな。英一がタイムマシーンの前で主人公に言う言葉。二一世紀に行って、もし私のお父さんやお母さんに会ったら元気でやっているから。って伝えてほしいって。


 恵子 “私、あのセリフすごく感動して、なんか劇中に泣きながら手を振ったこと覚えてる。本当にもしあの主人公が21世紀のおじいちゃんたちに会ったらどんな感じになったのかなって……“


 信二 “そうだったな。練習の時はセリフを言うので精一杯だったけど、最後の公演の時に隣を見たら泣いてたよな”


 しばらくすると修がメッセージを入れていた。修は、少し変わった感じの後輩だった。どこか広川と似ているところがあり、実直で少し間が抜けていて、それが皆に愛される人柄だった。メッセージを読み返すと、今はミャンマーで働いているようだった。


 修 “あ、そういえば、最後に英一が主人公たちに手紙を渡すシーンがあったよな”


 恵子 “そう言えばあったね。これはオリジナルの台本にはないから、元々私に配られている台本にはないんだけど”


 これは、練習を続けていて、英一が考え付いたアイデアでもあった。


 広川は一連のメッセージを見終わった後、“手紙の話だけど、あの中身はなんだったの?”とメッセージを送ってみた。暫くすると、恵子からメッセージが送られてきた。


 “実はあの中身、英一が私に劇中では渡してくれたけど、直にやっぱり恥ずかしいから見ないでくれって”


 信二 “そういわれると見てみたかったな。今になって、英一がどんなことを考えて語劇のあの役をしていたのか、わからないからな…」


 修 “そうだな。あの時もっと話しておけばよかったな……”


 少しの間、誰もメッセージを送らなくなり、皆何か考えている様子だった。そうすると、当時2年生で劇員として参加してくれた梅森博が珍しくメッセージを送った。


 “あの手紙の内容は僕も知らないけど、もしかしたら遺品にあるんじゃないかな”


 博は、当時2年生だった時に3年生と1年生の間を上手く調整してくれて、現実的な意見をしてくれる存在だった。広川が運営を進める時に、上手くいっていないと思うと、広川の上級生としてのプライドを傷つけないように暗にヒントを出すような発言をしてくれていた。当時はそれに気づくこともなかったが、時が経ち、その当時の事を思い出して初めて気づくことが多かった。


 皆、博のメッセージに反応して、質問をし始めた。そして、博がまたメッセージを送り返した。


 博“たぶん、英一のお父さんに会ったときに、そんなことをいってた覚えがあるよ。僕もそのことを忘れていたけど」


 博は英一と住んでいる地域が同じで、英一の父親である和幸と何度か面識があった。


 広川にも、その手紙らしいものに、思い当たるところがあった。英一の家に行った時に、古い色が褪せた封筒らしきものがあったことを思い出した。ちょうど、語劇最終日に撮った写真の隣に置かれていたような気がした。


 博 “一度、英一のお父さんにそのことを聞いてみます”


 博のメッセージに皆が大きな希望を見出し、感謝のメッセージを送り返していた。


 広川も、 ”ありがとう“と短くメッセージを送った。


 その数日後の夜に、博から広川に電話があった。広川は着信ボタンを押すと、博は軽く挨拶をしてから、本題の話をし始めた。


「さっき、英一の家に行ってきました。本当は、グループの中でみんなに話した方がいかと思ったんですけど、その前に広川さんに相談しようと思って」


 広川は、軽く「そんな気を遣わなくていいよ」と言った。


「あの時に話をしていた手紙の事を、英一のお父さんに電話で聞いたら、英一が大事そうに保管していて、大学時代のファイルに挟んでいるのを、遺品整理の時に見つけたようです」


 広川はそれを聞いたとき、英一が大事にとっていたことを嬉しく感じた。


「それで、直接家まで訪問して、今回の同窓会で昔にした中国語劇の話をした経緯を伝えて、その手紙を見てみたいと言ったら、快く応じてくれて手紙を受け取ってきました」


「さすが。博」


「いえ、どういたしまして。僕も、もっと早くに思い出していれば良かったですね」


 博は少し照れ笑いをした様子で話をした。


「それで、どんな内容だったか、博はもう読んだの?」


「実はですね」博は、少し間をおいてまた言った。


「その手紙、僕まだ見てないんですよ」


 広川は、「え、そうなの?」と答えた。博の意外な言葉に不思議に思った。


「英一のお父さんとも話をしたんですけど、広川さんに一度見てもらったらどうかなって言われました」


 広川はまた不思議に思った。遺品なら、英一の父親である和幸のほうが知っている。それに、博と和幸の間柄であれば、見せても良いのではないかと思った。


 博は続けて言った。


「僕も少し不思議に思いましたけど、英一のお父さんにも何か考えるところがあるのかと思い、今回はお父さんから直接広川さんにその封筒を送ることになりました」


「そっか…」


 広川はやはり和幸の気持ちが良く理解できなかったが、博に対して言った。


「英一のお父さんがそう言ったのなら、その手紙は僕が見させてもらうよ」


「僕もその方がいいと思います。今日の郵便で送ると言っていたので、また到着したら見てくださいね」


「ああ、ありがとう。楽しみにしてるよ。また連絡するから」


 広川がそういうと、スマホの終了ボタンを押した。広川は、暫く画面を見つめた。ふと立ち上がり、部屋から出て外に出かけた。外は既に暗くなっていて、時折すれ違うサラリーマンや犬の散歩をしている主婦らしき女性が歩いていた。広川はそれを横目に見ながら、暫く歩いた。博との会話が頭の中で巡っていた。


 当時の手紙が残っていたことは、広川にとっては何よりうれしいことだった。英一があの時の事を大事に思ってくれていたんだと思うと素直に嬉しい気持ちになった。しかし、一方でもうその英一とゆっくり会って話せないと思うと、寂しい気持ちにもなった。広川は少し歩みを緩め、暫くすると立ち止まった。そして空を見上げると、薄暗い雲の中に少し月がうっすら見えた。雲に隠れて消えていきそうで、消えない月が印象的だった。


 広川は「よし」と自分に言い聞かせるように、呟くとまた来た道を戻って行った。

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