第7話 日は昇る。

 喫茶店は少しずつ人であふれてきていた。知らぬ間に隣の席にも学生らしい女の子が、参考書を開きながら勉強しているようだった。


 その少しの喧騒の中で、和史は今までの感じとは違うトーンで言った。


「なあ浩司、俺は今、お前がどんな状況なのか知らないけど、俺に言えないこともあるんだと思うけど、お前にもそう思える時が来るから。間違いなく、きっとな」


 広川は「な、なんだよ。急に」と不意をつかれて戸惑いながら、言い返した。


 和史は、急に真顔になった。


「実はさ」っと一呼吸おいてから、話し始めた


 「一週間前ぐらいに、奈須さんに用事があって、その話のついでに浩司が東京に来るって言ったら、なんか浩司が中国語劇の監督になったけど、やっぱり何か以前とは違う感じなんですって言ってたんだよ。」


 広川はさっぱり訳が分からず、和史に聞いてみた。


「話が良くわからないんだけど、なんで奈須さんと和史はそんなことを話しているんだよ?学生時代、そこまで交流があったわけでもないのに」


「あれ、奈須さんから聞いてなかった?俺と奈須さんは一緒の会社で、偶然にも一緒の部署で働いている同僚なんだよ。ほら、前の時、奈須さんが出張で大阪に行ったときに、浩司に会ってたんだろ」


「そんなこと奈須さんは一言も話してなかったよ」


 広川は少しむっとした口調で言った。


「そうだろうな。そんなことを話せる雰囲気でもなかったみたいだしな」


 騒がしい店内の中で、和史は少し語気を強くして真顔になって言い返した。


「どういう事だよ、それ」


「浩司、奈須さんにけっこうきつく言ったみたいだな。出張から帰ってきた奈須さんが、かなり落ち込んでいて、仕事が上手くいかなかったのか、と聞いてみたら小さい声で『広川さんと会ってた』って言うんだよ。正直あんな奈須さんを初めてみたよ。いつも元気一杯の彼女が落ち込んでて。まあ浩司には分からないかもな。彼女の普段の凄さが」


 一気に話をする和史は、さっきの話をしていた和史とは違う人間に見えた。ただ広川も負けずに言い返した。


「お、俺だって彼女に才能があることなんて、前会ったときに感じたよ」


「いや、浩司は何もわかってないよ」


「どういうことだよ。それに彼女がどれだけ、この中国語劇や中研の同窓会に全力で取り組んでいるのか知ってるよ」


 広川は精一杯反論したが、和史はそれに対しても首を振って、ため息をついた。


「やっぱり浩司は何もわかってないな。彼女が前の出張から帰ってきた時に、俺になんて言ったか教えてやろうか。まあ今の浩司に何を言っても信じてもらえそうにないけどな」


 広川は暫く和史の顔を見た。反論したい気持ちをぐっと抑えて一言「教えてください」と言った。


 和史は、「いやに素直だな」っというと、体を正して話し始めた。


「彼女、浩司と会った経緯とかを話した後、泣きそうな声で、『広川さんが自分の作った劇のシナリオを他の人に任せて劇をやってもらえればいいって言うんです』って言うんだよ。実は最初それを聞いたとき、俺もピンとこなかったよ。別に出来上がっている物なんだから、浩司ではない他の人が監督をしてやっても、いいじゃないって思ったんだ」


 和史は少し広川の顔を見た。


「それで、彼女は涙を堪えながら、言ったんだ。『シナリオの内容もとても良かったですけど、広川さんがいたから、あの語劇ができたのに……私だけではなく、あの頃の同級生だった劇員は皆知っています。広川さんが必死にあの語劇に取組んでいた姿を…』彼女、少し間を置いて、続けて話したんだ。『私が言うのもおかしいですけど、広川さんって学生時代は、普段前に出るようなタイプじゃなかったですよね。どちらかというと、目立たない感じだったように思います』って。俺はこの点には賛成だったな。思わず心の中で手をたたいたよ」


 和史は思い出したようにハハッと笑ったが、広川が睨んでいるのに気付いて、また直に真顔に戻った。


「それで『正直な話をすると、広川さんと練習を始めた頃は、他の先輩に比べて頼りなさそうな感じがして不安もありました。なんか話し方もたどたどしくて、練習終りに私たちの前で次の日の予定を話す時もすごく緊張したりして。なんでこの人が、中国語劇の運営委員長をしようと思ったんだろうって』って。俺ここまで聞いたとき、この子、良く浩司のこと見ていたんだなって、感心したよ。ホント」


 和史はに笑いをこらえているようだった。それを見た広川は不機嫌な面持ちをした。和史はその雰囲気に気付いたのか、「悪い、悪い」とかぶりを振って話を続けた。


「でもさ、それから、彼女は言ったんだよ『でも、一緒に活動をしていく中で、その思いも少しずつ変化していって。広川さん、私たちが楽しく練習できるようにゲームを考えて一緒にやってくれたり、たまの休みには一緒にドッジボールやサッカーして遊んでくれたり。なんか、練習の内容よりも、そっちの思い出の方が多くて…』彼女さ、そこまで言うと泣き始めて。俺もびっくりしたよ」


 和史はそこまで話すと、少し一呼吸置くと、また話し始めた。


「でさあ、彼女が涙を拭きながら、また少しずつ話し始めたんだ。『そこに何か語劇に対する熱意や必死さと私たちへの愛情を感じて、緊張感もあったけど、嫌な思い出は何もなくて、学生で純粋だったっていうのもありますけど、あれ以上の思い出はなくて。だから、今回も絶対一緒に皆で語劇をして同じ思いをしたいって思って広川さんに話をしたのに。あんなふうに断られて。なんか情けなくて……』って彼女がまた口ごもりながら、目を抑えてさ」


 和史がそこまで言うと、広川はため息をついた。


「ああ、そうだな…情けないよな…俺…」


「いや、それは違うんだよ。彼女は、浩司が情けないっていった訳じゃないんだ」首を振りながら、和史が話をすると、広川は、「え?じゃあ、どういうことなんだよ」と複雑な表情をして質問をした。


「俺はさ、この子は浩司が昔のように、中国語劇を積極的に取り組んでくれると思ってたのに、全然話が通じなくて、広川のことを情けないと思っていった言葉だと思ったんだ。だから、俺は慰めるつもりで、『浩司はひどいやつだな』って言ったの。そしたら、彼女、それからまた涙を流しながら、『そうじゃないんです』って強く否定して、言ったんだ。『情けないのは私なんです』って。それで、『だってあの語劇の為に、必死に頑張ってた広川さんが、あんなに強く断ってるのに、私は、最近の広川さんが今までどんな風に生きてきたのか、詳しくも知らないのに、私は能天気に一方的に自分の話をして、中国語劇を一緒にやりましょうって、そうしたら広川さんがどんどん嫌な顔をしてて。あの時、広川さんがどんな気持ちで、私の話を聞いていたのかも、分からず。その気持ちがわからかった私が情けない』って言うんだよ。俺、ホントにびっくりしたよ。そんな悲しみ方があるんだって」


「そんなことを言ってたのか…彼女が…」


 広川は目を抑えた。二人の間にまた沈黙が流れた。その沈黙に耐え切れずに、和史は少し前のめりになって話し始めた。


「ああ、そうだよ。それでその場はなんとかおさまったんだけど、それからの彼女、テンションが下がって、会社でも彼氏と別れたのが原因かとか、そういえば俺と話をしてから泣いてたと変な噂が立ち、上司の部長から俺が何かひどいことを言ったのかと厳しく怒られたりしてて大変だったよ」


 そう言い終ると、和史は中身が入っていないマグカップを持ち、カップの中がからっぽだと確認すると、また置いた。


「それから数日たって、ある日彼女がすごいテンションで俺の前で言うわけよ。最初は、何を言ってるのかわからなかったけど、浩司が監督をしてくれるって、LINEのメッセージが入ってきたって。また泣きながら、話をして。そうかと思ったら、また今日からしっかり頑張りますって言って、自分の机に戻って行ったよ。確かにそれからの奈須さんの頑張りはすごかったよ。まあ正常に戻ったと言った方がいいけどな」


「そんなことがあったのか…なんか悪いことしたな」


 広川は、下を向いた。 


「あ、でもこの話は絶対に奈須さんには内緒だからな。こんなことを話したことがばれたら、奈須さん、俺に対する扱いが厳しくなるから。ああ見えて、彼女は会社では厳しい感じだからな」


 広川は「へぇ」っと相槌をした。


「なあ、浩司。俺、別に今回の中国語劇には関わらないでいようと思ってて、奈須さんからもグループラインに誘われたけど、結局参加はしてないんだよ」


 広川は、それは見ていればわかるとつっこもうとしたが、止めておいた。


「だってさ、俺あの時、ほとんど中国語劇の活動には参加してなかったし、奈須さん以外はほとんど知らない人ばっかりだから、参加しても気を遣われるだけだと思ってさ。奈須さんから直接言われても、関係ないって言ってたの。でも、彼女がああまで言うことってないから、一度浩司には伝えておかないといけないって思ってたんだ。余計なお世話かもしれないけど、ごめんな」


「ああ、確かに余計なお世話だよ。でもありがとう。和史」


 和史は恥ずかしそうに言った。


「やめてくれよ。そういうの。俺は別にいいんだよ。この語劇がどうなろうと。いや、ホント。でも、なんていうか同僚の奈須さんがあのままだと、仕事にも影響が出るっていうか困るからこんな話をするだけで…」


 広川が笑うと、和史もそれにつられて照れ笑いをした。


「俺、いいなって思ったよ。俺にも思い出の場所はあるけど、あんな風に思える場所や記憶があるのは、本当に素晴らしいことだと思う。そして仲間がいるってことが、どれだけ大事なことかと感じたよ」


 広川は軽く「そうだな」と答えた。


 和史は、「なんだよ。その反応は。もっと喜べよ」と浩司の肩をポンとついた。


「これは俺なりの喜びの表現なんだよ」


「うわ、分かりにくいな。それ」


 二人は、暫く笑い続けた。外はもう既に日が昇ってきていて、日差しが強くなっていた。そして、和史が軽く言った。


「浩司、頑張れよ」


「分かってるよ」


「ああ、自分らしくな。誰も浩司が上手くできることを期待はしてないから」


「はっきり言うなよ。自信がなくなるだろ。せっかく頑張ろうと思ってるのに」


 広川はわざとふてくされるように言った。


「いや、悪い。そういう意味じゃないんだ」


 和史は、今度はそう断った。


「奈須さんが、浩司のことをここまで思い出すのは、何も浩司が作ったシナリオの内容が良かったとかではないと思うんだ。そんな、形があるものじゃないんだ。きっと彼女の心に残ってるのは、浩司が精一杯自分の等身大で彼女やあの時のメンバーに向き合って接していた姿なんじゃないかな。だから彼女は、今でもあの頃のことを懐かしく思い出すんじゃないかな」


 和史は自分の気持ちを確かめるように胸を押さえて、少し間をおいて言った。


「まあ上手くやろうとするなよ。不器用に失敗しても、その度に頑張ればいいじゃん。今浩司を必要としている人たちの事を、考えていれば、やるべきことはきっと見つかるから。難しいことを考えなくても、お前なら大丈夫だ。俺、人を見る目はあると自信があるから」


 和史はそこまで言うと、照れくさそうに「じゃあもう時間だから、行くとするか」と言って、和史は席を立った。


 広川も「そうだな」と言って、立ち上がり、店を出た。


 途中、たわいもない話をした。駅前にはフリーマーケットが開かれていて、二人は一通り見回った後、駅の改札口に向かった。


「和史、今日はありがとうな」


「お礼を言われる筋合いはないから。奈須さんが元気になれば、会社に行くのも楽しくなるからな」


 広川は、もう和史が何を考えているのかわかってきて、それには反応しなかった。


「ああ、和史らしい言い方だな」


「ま、そういうことだ。俺の役目はもう終わりだな」


 和史は照れくさそうに、空を見た。そして、また顔を広川に向けて言った。


「じゃあ、また元気でな。2月の同窓会は、行く予定だから。楽しみにしてるから」


「ああ、絶対に来てくれよ」


 和史は「ああ」と答えると、軽く手をあげて、「気を付けてな」と言った。


 広川も「じゃあな」というと、改札の方に向かい、歩いて行った。

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