第11話 妖狐襲来


「哀しや……、あな哀し……」


 紫がかった白い霧が、あたかも雲のようにもくもくと本堂に流れ込んでくる。

 秋の夜風になびかれて、冷気を含んだ霧が真安と上月の足元にも、しのび寄ってきた。


「哀しや……」


 霧に阻まれた視界の中で、さらに白いものが蠢く。

 その者が足を進めると、また一歩、また一歩と霧の浸食が深まる。


「背の君と離れ、千幾夜。

 眠れぬ夜を過ごしたことか。

 それでも同じ空の下 生きているとこそ思えば……。

 いつかはこの日がこようとも 悪夢の底に思えども。

 よもや、よもやこんなに疾く逝かれるとは、

 思いもよりませなんだ……」


 霧の中から、鈴を振るような、ころころと澄んだ声が響く。

 朝日のようなすがすがしさと、夕焼けのような艶やかさを秘めた、なんとも色 香のただよう声だ。


(これは並みの怪ではあるまい)


 真安の頬をはたいて、彼の腕から逃れた上月は、油断なく袂に手を指し込み神宝をつかむ。

 神社の至宝である神宝「鏡」は、上月が生まれた瞬間から、常に上月と共にある。

 雨を操る強い力を持つ「鏡」は、怪の者をはじき返す力をも備えていた。


「やめな」


 袂に手を入れた上月の腕を、真安が掴んだ。

 大して力をこめているようにも見えぬが、上月の腕は真安の手の中でびく、とも動かない。


「お前、俺のおふくろ ぶっとばすつもりか?」


「え?」


 呆れた顔で言う真安に、上月は生まれてから数えるほどしか出していない、間抜けな声をあげた。


 そんな中、霧をまとって現れた者の姿が、本堂に入り、少しずつその仔細が見えてきた。

 長い、長い、銀髪。

 その髪には朱を刺した様に、紅い二筋の赤毛が混じる。

 その髪が歩くたびに、さらり、さらりと紗のすれるような音を奏でる。

 豊満な胸とくびれた胴は、白い滑らかな着物に覆われている。

 その着物からのびる手足は、これまた透き通るように白く、ほっそりとたおやかだ。

 年のころなら二十の半ば。

 それくらいに見える美女の姿が浮かび上がった。

 しかし、その女のあるべきところに耳はなく、白い美しい毛をたくわえた狐の耳が頭からひょこりと顔を覗かせていた。


「……妖狐に見えるが」


「だから、さっき言っただろうが。妖狐のお出ましか、と」


 しげしげと狐を観察していた上月の後に何時の間にか回り込み、すっぽりと 上月を包み込みながら、平然と応える真安。

 上月は無言で真安のみぞおちに肘をたたきつけた。


 そうこうしているうちに、狐は明安の亡骸が納められている棺に手をついた。

 この邑では死人は土葬にし、地に返すのが慣わしなのだが、故人の遺志により明安の亡骸は棺に入れたまま、本堂に置かれていた。

 さぞや、腐って臭いたつだろう、と思われた明安の棺だが、不思議なことに一向に腐臭が漂わない。

 気味悪がって、更に邑人が寺に近づかなくなったことは言うまでも無い。

 その棺に女は手をついた。

 そして、そっと棺にすがりつき、何かをこらえるように顔を伏せる。

 そして……、


「あ~ん!明ちゃんの馬鹿~!!

 こんなに早く鈴を置いていっちゃ、やだ、やだ、やだ~!!」


 激しく慟哭し始めた。


「信じらんない!も~!!

 『俺が死ぬときは、鈴と一緒だよ』って言ったクセに~!

 明ちゃんの、馬鹿、馬鹿、馬鹿~!!」


「……大概 寿命が違いすぎるだろう、親父……。

 無理があるんだよ、その台詞」


「そうか?

 お前が言ってることと大差ないような気がしないでもないが……」


 少女のように恥じも外聞も無く泣き喚く妖狐ー真安の母ーを見ながら、上月は袂に入れた手をそっと出した。

 警戒するもの馬鹿馬鹿しくなってきた。

 真安が妖狐と人間の子でも、なんでも、もうどうでもいい。

 懲りずにすりよってくる真安の足を、思い切り踏みつけながら思った。


(見かけと行動が対照的すぎる!やっぱり、親子だ、この連中!)

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