第3話

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 珠枝が分厚い木製の扉を開けると、白いシーツのかぶさった長テーブルのある部屋に出た。その奥には、おそらくエリザベートが待っているだろう扉が。


 そして、奥の扉に待ち構えていたのは希美だった。珠枝が口を開く。


「お母さんに会ったわ」

「……そう」

「殺したわ、私が殺したのよ」

「そうなんだ」

「私がさしたのよ、最後を!」

「私にはできなかった」

「それであなたは――」


「私、エリザベートに逆らえなくなっちゃった……だからお姉ちゃんを倒さないといけない。そうしなきゃならなくなったの」


「……哀れね」


 長テーブルの端と端でのやりとりで、希美は持っていた金の槍と盾を構えた。


「たとえあなたが吸血鬼でも、あなたは私の妹よ」


 持っていたライフルを構える。


「うん」


 一瞬静まった室内の中、まるで合図でもあったかのように、両者が動いた。


 長テーブルを挟んで、お互いに左手の方向へ――時計回りに回る。こちらがライフルを撃つと希美は金の盾で防いだ。テーブルが邪魔で足元が狙えない。


 希美がテーブルの上へあがり、槍で突いてきた。銀の鎖で編みこんだ外套に刃先がかすめ、肩口が破れる。かまわずにライフルで希美の脚を狙う。


 希美の槍は振り下ろされた、構えたライフルを狙って。ライフルがくの字どころか真っ二つに両断される。ライフルの残った部分を捨て、腰に下げていた銀の刀を引き抜き、こちらも長テーブルへ乗り上げる。


 銀の刀身で金の槍を受け流し、首を狙って薙ぐ。金の盾によって防がれる。ヴァンパイアの怪力からか、希美の扱う金の槍と盾からまったく重量を感じさせない。対してこちらには、受け流されて分かる金素材の重量。弾かれただけでも、手に持った銀の刀から衝撃がびりびりと伝わってきていた。


 人間と吸血鬼。身体的能力の差。明らかに不利だった。


(このままでは後手にまわる――)


 バックステップで距離を開け、手榴弾を取り出す。ピンを抜いて希美の足元へ。素早く場を離れた。


 爆発。


 希美は盾で爆発の勢いを防いだが体ごと吹き飛ばされ、粉々になった長テーブルの破片の中を転がった。


 向こうが立ち上がってくるよりも先に、希美へ走り出す。


 手を突いて立ち上がろうとした希美の――盾へ、足を振り下ろして踏み込んだ。


 半ば盾の上に乗っている状態で、銀の刀で槍を押さえ込む。開いた片手で銀の外套の中にあったハンドガンを取り出し、フルオートで発砲。


 希美は数弾を受けたが、盾をあっさり離して距離を開ける。盾を奪い取った。


 希美が槍を両手に持ち替え、切っ先をこちらに向けてくる。


「お姉ちゃん、卑怯すぎ。ちゃんと戦えないの?」

「ええそうよ、これが私の戦い方だから」


 事実、力比べなどしたところで人間と吸血鬼では雲泥の差。人間が吸血鬼に勝るためには、吸血鬼の優位にさせず、隙を狙い、虚を突き、先手を打って、罠をはり、裏をかいて出し抜く。それが『師』から叩き込まれた戦闘スタイルだった。


 希美との間にこう着状態が生まれる。


 じりじりと希美の足が動き、こちらも出方を探り、緊迫した時間が流れた。


「希美、あなたは悔しくないの? こんな事になって」

「悔しかったわよ。でも、そんなことより、この中で生きていくほうが辛かったわ」


「…………」


「もう、あの頃の事は。遠い昔なの、もう無いの」


「……私は、そうは思わない。ハンターになると決めた私にとっては、そんな遠い出来事じゃないのよ」


 両手に持った、銀刀とハンドガンを握り直す。グローブから伝わる硬い感触を実感して。


「私にとっては、今でも」


「――もう、あの頃には戻れないよ!」


 ハンターとしての技術を教え込んでくれた師からも言われた。ヴァンパイアハンターになるということは、ヴァンパイアになった母と妹と敵同士になる。ハンターになった時、必ずそうなる。と――


「……そうね」


 しんと静まる。静止する。

 止まりきった両者の間で、

 叫んだ。


 お互いに、ほぼ同時に――悔しさも復讐心も、ふがいなさも弱さも、この時のために積み上げた歳月も想いも、立ち阻む絶望も潰えた希望も渇望も――全てを振り払うように叫んだ。


 金の槍が一直線に向かってくる。

 銀の刀を力任せに振るう。


 銀と金の刃がぶつかり合い――銀の刀が甲高い音を立てて砕け折れた。


 しかし、体の勢いは止めず、突き進んでくる槍の下側へ、姿勢を低くして潜り込むように前転した――お互いの立ち位置が背を向け合って入れ替わる。そして、


 振り向く。希美も同時に振り向いて槍を真上から振り下ろしていた。集中しすぎた視界の中、全てがスローモーションのようにゆっくりと流れる。


 刀身の折れた銀刀を捨てる。ハンドガンを両手に持って、振り下ろされてくる金の槍にもかまわず、希美の胸の中へ。


 両手で銃を持った姿勢にいつの間にかなっていた――『師』から叩き込まれた銃の扱い、その基本姿勢を無意識のまま維持していた――低い姿勢から希美の胸の中へ潜り込み、ハンドガンの銃口は希美の心臓に――。


 何度撃ったか分からない。ハンドガンを撃ち続けていた。弾丸が貫通し、希美の背中が赤く弾けていても止まらない。


 金の槍はこちらのすぐ脇を通り過ぎている。


 最後に、最後の弾丸が――希美の額に打ち込まれた。


 金属の空薬莢が地面で鳴り響く。


「おねえ、ちゃん……」


 金の槍を手放して、倒れこむ希美を正面から抱きかかえた。


「希美……のぞみっ!」


 心臓が破壊され、額を貫かれた希美。体が塵よりも細かく、崩れていく。


「希美!」


「やっぱり、おねえちゃんにはかなわない、ね」


 まるで泡でもつかんでいるかのように、希美の背中をまさぐる先から、その感触が消えていく。さらさらと流れるように、希美の姿が消えていく――


 どれだけ強く掴んでも、離さないようにと思っても、手のひらから消えていく……


「お願いします。どうか」


 希美の姿はもうどこにも無くなった。残っていたのは、希美が着ていた衣服だけ。


「私は地獄に落ちてもかまいません。どうか……お父さんをお母さんを、希美を……天国へ、連れて行って、あげてください……」


 誰に祈ればいいのか、願えばいいのか、答えは静寂だけだった。

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