第7話

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「体が慣れるまでここにいろ」

「はい」


 ヴィヴァリーが促した部屋はエリザベート・バートリー邸の一室。


 分厚いカーテンに天蓋つきのベッド、まるで西洋の城の一室のようだ。


 部屋の隅には縦長の鏡と化粧台とクローゼット……その向かいには天蓋つきのベッド。そして室内は暗い。


 全身が火照っている。濃い吸血鬼の血が体を蝕んでいる。今の下位の屍奴隷から上位の吸血鬼となるために、まだ人間として残っている要素を犯していた。


 屍奴隷(グール)と吸血鬼の境目は実ははっきりしていない。屍奴隷(グール)は文字通り、人間として死んで吸血鬼に隷属している化け物。吸血鬼は上位の吸血鬼に逆らうことは出来ない。


 屍奴隷(グール)も含めて全体が吸血鬼。そして吸血鬼の世界には親と屍奴隷(グール)という絶対主従の関係がある。


「希美」


 熱が膿んでいる頭でぼうっとしていると、エリザベート・バートリーの女執事ヴィヴァリーが呼んできた。


「はい?」


「お前もこれで私たちの一員になった。これから我等と共にエリザベート様に尽くせ」


 否応無い。どっちにしろ、吸血鬼は血による上下関係に抗うことは出来ない。


「はい」


「エリザベート様の永遠の命の中、気を損ねる事が無いように」


「わかっております」


「裏切るなよ」


「……はい」


 この女執事は侮れない。熱で自身の様相が定まらないのが幸いだった。体調に余裕があれば、カマをかけられた反応でも見せてしまうところだった。


「せいぜい腹の中を見定めさせてもらう」


「私にはそのような事は考えておりません」


 二、三ほど嘘でも混ぜ込もうかと思ったが、余計なことは言わない方が良いと踏みとどまった。今は変に口を出すよりも、体調のせいにしてこのまま流してしまった方が無難だろうか?


「そろそろ体が……」


「まあいい、ひとまず休んでおけ。しばらくは私と行動を共にしてもらうぞ」


「はい」


 最後に、ヴィヴァリーは着替えがクローゼットの中にあると告げ、就寝の言葉も無くドアを閉めた。


 足音が遠ざかっていく。


「…………」


 足音が完全に聞こえなくなったのを澄ました耳で確認してから、来ていた服を一気に抜いだ。


 服を絨毯の上へ放り投げ、足で蹴飛ばし、下着も脱いで化粧台の隣にあった縦長の鏡へ全身を向ける。


 全身のうだるような火照りは全く見えない。全身白い肌。死体のよう。


 顔を両手で覆って皮膚をうごめかせる。


 めり、めりめりめりごき、ごきごき――


 覆った手をどけると、鏡には本当の自分の顔が映っていた。


 不意に思い出す自分の姉。自分の顔と同じ、だけどどこか違う顔つき。


 同じ親同じ血、同じ遺伝子、同じ性別。ただ違うといえば、年が一つ違うだけの、姉と私。


 今度は両手で自分の両肩を抱く。冷たい。


 二の腕をなぞり、首もと、胸、腰、腹を撫でる。どこも冷たい。


 顔を撫でる。姉と同じ顔のはずなのに、冷たい。


(もうとっくに、人間じゃなくなってるのに……)


 いまさら確認している自分が、


「馬鹿みたい。何しているんだろ?」


 腕は探るのをやめて力なく垂れ下がった。


「私はとっくに、人間じゃないでしょ? もう終わってるんでしょ?」


 鏡の鏡面に手を触れた。体よりも冷たくて硬かった。


「人間じゃなくなってて、もう戻れなくて、私は私じゃなくなっててもう死んじゃって……お姉ちゃんじゃなくなってて……じゃあどうしろっていうの?」


 このまま棺桶の中におとなしく入っていれば良かったのか? 火葬場で意識のあるまま燃やされて灰になって消えていれば良かったのか? 今からでもそうなれば良いのか?


「私はまだ生きてる。生きてるんだから」


 鏡面に触れていた手を握る。手のひらに爪が食い込む。少し痛い。


 手が震えるほど強く握って痛みが来る。痛覚が、生を教えてくれている。


「まだ死んでないなら、人間に戻れないなら……死にたくないなら、この化け物達の中で生きて行くしかないじゃない」


 握っていた拳を鏡面から離し、開いた手のひらを見る。皮膚は裂けていなかったが、爪の跡がくっきりと残っていた。


 化け物の中にしか居られないのならば、その中で生きていくしかない。


 好きな人ができたら、それを叶えるには仲間に引き込むしかない。


 戦っていくしかない生き残っていくしかない。


 化け物の一員になって――。


「……お姉ちゃん」


 寂しい。


 いつの間にか眼に涙がにじんでいた。鼻をすすって両目を腕でこする。


 ひとしきり眼をこすり続けて一息つけると、肩で大きく息を吐いた。


(まだ、まだ途中だから)


 当面をどうするか考える。


 自分の目的は生き残ること。誰の使い走りにも奴隷にもならず、自由になる事。


 少なくとも、これで屍奴隷なんて使い捨ての道具か雑兵のようなモノではなくなった。ヴィヴァリーは私を怪しんで勘繰りをしているが、結局ふたを開ければ自分は、ただ生きたいだけ。それだけだから。叩いても埃すら出ない。変な方向へ勘違いでもされない限りは何て事もないだろう。


 ヴィヴァリー自身の血を得たのだから、彼女とは血による上下関係は無くなっている。命令されても聞くかどうかの判断は自分で行える。だから先ほどあのような釘を刺してきたのだ。


 ただし問題は二つある。


 自分の上にいるエリザベート・バートリーと、ヴァンパイアハンターになった自分自身の姉。


 下位のグールから一気に上位の吸血鬼になれたとはいえ、エリザベートには逆らえない。


 もしあの残虐な吸血鬼の主に死ねと言われたら私は死ななければならない。まして、暇だから拷問で良い悲鳴を上げろと言われでもしたら、それだけでぞっとする。


 たぶん……不幸中の幸いといってか、助けになっているのは、あのエリザベートが吸血鬼――永遠の命を得たことで、老いに恐怖することも無く、死ぬことも無く、ただ永劫に続く人生で、暇をもてあましているという……ただの究極の暇人になっていると言うことだ。残虐な趣向を持つあの化け物。今は親玉の機嫌さえ損なわせなければやっていける。


 いっそどうにかして倒してしまえないだろうか? そう思うも、その手段が無い上にヴィヴァリーが勘ぐっている……今は思考の範疇から除外しておこう。それこそヴィヴァリーの望み通りとなって、自分の身が危うくなる。


 ――そして厄介になってしまった姉。


(なんでお姉ちゃんは、ヴァンパイアハンターになんてなってしまったの?)


 いっそ、姉の珠枝を自分が吸血鬼にしてしまえば……だが仲間もいる。一時休戦と言う形で手引きをして、ヴィヴァリーやらエリザベートを倒してもらおうか? そう上手くいくだろうか? もしその途中でヴィヴァリーに気づかれたら……。


「へっきし!」


 気が付けば裸のまま部屋中をうろうろと、行ったり来たりしていた。体温がほぼ無いのに外気を感じてくしゃみが出るとは。


 とりあえず。


「何か着よう」


 クローゼットを開けて、着替えを取り出した。


 真面目に考え込んで全裸で部屋を行ったりきたりして、あまつさえくしゃみで我に返るとは。


「しっかりしろ私。この間抜けめ」

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