巡り

何年も前に、反抗心の引っ込みがつかず、そのまま逃げるようにして上京してきた。

ずしりと重みが肩に食い込んでくる楽器ケースと、なけなしの荷物を詰め込んだキャリーケースを携えて、東京駅を歩く。

行き交う大量の人々は、俺の事なんて気に留めやしない。

荷物を引きずる音もあっという間に喧騒に吸い込まれてしまった。


住むところは、知り合いのつてでシェアハウスに転がり込んでどうにかできた。慣れない東京の街並みを眺めながら、何度かライブハウスに足を運ぶうちに、メンバーが足りなかったバンドへの加入が決まった。近所の店で始めたバイトの休憩中には、夢を語る仲間もできた。そうこうしているうちに、帰るなどという選択肢はあっという間に断たれてしまった。

目に映る何もかもが新鮮で、きらびやかで、足りないものなんて何もない。東京という街はこの世の天国みたいな所だった。



「お疲れー、かんぱーい!」

ライブが終わったバンドマンには打ち上げがつきものだ。なんならステージ上よりもこちらの方が生き生きとしているような奴もいる。

最初こそ、俺ギリギリ二十歳になってないんだけど、とビクビクしていた。でも、音楽馬鹿同士の会話はジョッキの中身と共にどんどん流れ込んでくる。そうなればもう目の前の楽しみだけが場を支配してしまった。今日のステージの感想や、なけなしの金で揃えている機材の話をすれば、ああ俺らって最高にカッコイイって酔えた。

音楽の話が尽きる頃、出身を聞かれた時だけは少し緊張したが、田舎者だからといって馬鹿にされる事は無かった。というよりは、単に興味が無いだけなのかもしれなかった。たまに「それってどこ」と聞かれたりはするが、特にそこから会話が広がる事も無く、へぇ、と気の抜けた返事が返ってくるのみだ。俺の出身の田舎についてなんてどうでもいい話は、あっという間にセンセーショナルな話題の波にさらわれてしまう。東京に住んでいれば気にも留めないような、似たような県が並んでいる場所の話なんてしようとは思わないのだろう。

東京は巨大な都市だけども、本当はネイティブの東京人なんてのは少なくて、大部分がお上りさんでできているのだと耳にした事がある。きっと俺以外のバンドマンはもちろんのこと、スタッフにも、ライブに来てくれるお客さんにも地方の出身者は多いんじゃないのだろうか。そんな人達も、普段は「東京の人間」に顔を塗り替えて生きてるんだろうか。


全国ツアーに回るようなバンドなら、そこでライブをした、これが美味しいよね、なんて話を広げてくれるのかもしれない。でも悲しい事に、ここにいるのは全員、束になっても下北の小さなハコすら埋められなくてひいひい言っている連中ばかりだ。

最初は誰もが「まずは武道館」という。

恐ろしいのが、勘違いした若者はこれで謙虚なつもりなのだ。ゆくゆくはアリーナとかドーム視野に入れてますけど、ゆくゆくはね?  というニュアンスが滲み出た「まずは」なのだ。

それがだんだんZeppになっていくが、それでも身分不相応な願いなのだとしばらくは気付けない。バンドのキャリアが長くなっていってようやく、語られる会場はどんどんキャパが小さくなっていく。



俺らを置いてあれよあれよと売れていった若手バンドのSNSの告知を見ながら、一回だけ対バンした事あるんだよなあ……とぼんやりと考える。

あの時は確かに同じ空間で同位置の点にいたはずが、どこで何が変わったんだろう。


いや、あの時偶然にすれ違っただけで。


あの時にはもう違っていたのか。



大学卒業を機に、辞めていったバンドがいた。

あいつらは所詮お遊びのサークル程度だったんだよ、俺らは本気だからな。なんて居酒屋でクダを巻く。

二十代半ばに差し掛かり、道を考え直した奴らがいた。バイト先に誘われて就職する事にした、とある日の対バンライブの楽屋で告げられた。

それなりの年数、ステージ上で切磋琢磨してきた奴らがいなくなってしまう。寂しさとも、悔しさとも、不安ともつかぬ感情が渦巻く。

後ずさりする自分の背後に、本当はどんな景色が広がっている?

俺だって心のどこかで分かっている、と叫びそうになる感覚を、押し込めて。

暗い舞台裏から華やかなステージへ上がる。



継続は力なり。

時にこの世と自分の実力の無さを呪いつつも、なんとか続けていれば、それなりにファンがついてきてライブの動員も増えてくるものだった。

その代わりというわけでもないが、貧乏暇無しとは言ったもので、ひっきりなしにぐるぐると日本中を巡る。

東京に戻ってきたかと思えば、息つく間も無くまた地方に出掛けていく。


大阪に行って、静岡に行って、また広島まで行くような、融通の利かないルートを通ったりもした。ただ目の前のライブの音を、熱を、この形を保つ為に、この瞬間を受け止めるのに精一杯でいた。


それでも、地元に行くことはなかった。



ツアー中にライブの告知をしようとSNSを開くと、バンド仲間のくだらない投稿に交じって、見慣れないアカウントが目についた。

確か、中学の時の……。サジェスト機能で見つけたのか、いつの間にか友達になっており、一応知り合いだしと俺も惰性でフォローを返していた奴だ。

写真をタップしてみると、当時のおぼろげなイメージよりふくよかになったそいつは多くの人に囲まれて、地元名産の野菜を手に満面の笑みを見せていた。

地元の食文化の発信を掲げた、祭りへの出店が大盛況だったという。楽しい事なんて一つも無いと思っていた灰色の地元で、かつての同級生は色鮮やかなハッピを身にまとい、生き生きとした表情をしていた。

心の底にしまっていたものが、ざわざわとした。



「俺、辞めるわ」

ツアーを終えてからのある日、リハーサルスタジオでギターがそう言った。それまでそんな素振りを見せた事も無く、突然の出来事だったのに俺はどうしてか、「そうだよな」と納得していた。

バンドのその後について、わざわざ話し合うまでもなかった。一番の音楽的支柱がいなくなるからだ。

たぶん、次のバンドを探そうと思えば探せるだろう。それなりの年数やっていれば人脈もあるし、他のバンドにサポートで入った実績もある。でも、

「もう、いいのかもなあ」

交代で機材車を運転していた日々を東京に置いて、俺は新幹線と在来線を乗り継いで故郷へと向かった。


ガラガラとキャリーケースが耳障りな音を立てながら、田舎のアスファルトの上を歩いていく。

嫌でも身に沁み込んだ家路の果てで、連絡も入れずにチャイムを鳴らしたら、玄関先で母ちゃんに絶叫された。

「帰ってきたよ」

それしか言葉の出て来なかった俺は、あの日東京からとんぼ返りしてきた家出少年みたいに思えた。


さっき食べちゃって残り物しかないからね、と怒られながら昼飯を用意してもらう自分の情けなさに、俺は現実逃避かのようにぼけーっとするしかなかった。あまり回らない頭で懐かしの実家を眺める。俺が住んでいた頃から変わっていないな、と本棚に近付いたら、よく目立つ位置にギョッとするものが鎮座していた。

「なんで、デモテープ……」

間違いなく、俺達のバンドのものだった。デビュー前の、馬鹿みたいに音を歪ませてればカッコイイ、と勘違いしていた頃のやつ。かなり初期にしか使っていなかったロゴが描かれているのだから、間違いない。

頭が真っ白になっているうちに、母ちゃんがお盆にご飯茶碗と味噌汁茶碗と、なんとか欠片をかき集めたような豚の生姜焼きの皿をのっけて、茶の間に入ってきた。こんな時でも「あ、大好物ラッキー」なんてつい考えてしまった自分が、とてつもなく間抜けくさかった。

「それねえ、こっそりあんたのライブ観に行った時にもらったのよ、近くにいた女の子に。私みたいなおばさんがいて珍しかったんだろうね」

「えっ……観に、来た?」

母ちゃんが? ライブハウスに? どうやって?

いや、そんな事じゃなくて。そういえば、長年ライブに来てくれているファンの子に「お母さん観に来てましたよ! 友達に貸そうと思ってたデビュー前のデモテープあげちゃいました!」なんて声を掛けられた記憶がある。絶対他人と勘違いしてるだろと思っていたけど本当だったのか。

「私にはうるさいだけで全然分かんなかったけどね」

それは合っている。ただうるさいだけで聞けたもんじゃないと俺も思う。全員が音量や勢いで誤魔化していた代物だ。

「でもね、『息子さんかっこいいんですよ!』なんて言われてさ……私はうるさいのが気になるばっかりだったけど、あんたが頑張ってる事とか、それを認めてくれる人達がいるんだなあっていうのは伝わってきたよ」

テーブルを片付けたりしながら、母ちゃんはこちらを見ないまま話し続けていた。食べ終わったら食器は下げろ、と念を押すと立ち上がり、背を向けたまま母ちゃんは続けた。

「こっち帰ってくるんでしょ。またやったらいいじゃない、東京だけが音楽やれる場所ってわけじゃないんだから」


巡り巡って辿り着いたゼロ地点が、こんなにもあたたかいものだなんて想ってもみなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Loop Novels Go Around 朝樹小唄 @kotonoha-kohta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ