三時間目 言ったじゃろ。トイレって




 「こんなものか」と俺は玄関の姿見に自分を写しながら呟く。

 防虫剤の匂いが鼻をつく。あらかじめ姉弟子に用意された服は、いかにも高学年の女子が着ていそうなデザインの服だった。

 まさか女装までするとは思わなかったが、引き受けた以上はやり遂げなければならない。

 そして俺が玄関を出て家の門をくぐると、JとKの二人と目が合った。

「え、なにそれは。」「お前朝から飛ばしてんな。」

 驚かれた。だろうな。

強敵ともに頼まれてな。買い出しだ。」

「女装して?」「お前いい加減断るってことを覚えたほうがいいぜ? 人から頼まれたこと全部やるじゃん。」

「俺は人の頼みは断らない。なぜなら最強を目指しているからだ。お前たちは?」

「駅前行っておもちゃ屋はしご。」「THE・うんこシリーズのTHE・リアルうんことTHE・見ようによってはうんこ手に入れるぜ。フルコンプだぜ。」

「なんでわざわざうんこの形したゴムボールなんて買うんだ。」

「おいおいあれをただのゴムボールとか女子みたいなのは顔と服だけしとけよ。」「見た目だけでなく質感にも拘ったシリーズだぜ。イライラしたときに壁に叩きつけるとスカッとして最高。」

「……駅前か。途中まで行こう。」

「お前それで外出んの? いやもう出てっけど。」「でも似合って……いやないな。なんだろな、顔は女子っぽいのに女子の服着ると女装にしか見えないな。じいちゃんの影響?」

「やめろ。」

「いつもはボーイッシュな女子にしか見えないんだけどな。あ、信号赤だぜ。」「おっとあぶねー。あ! わかったわあれだわ、首が太いんだ。えりの部分がピチピチしてるから変なんだ。」

「喧嘩士だからな。」

「喧嘩やるやつっていうか、お前と同じノリで喧嘩する奴ってみんな首太いよな。あ、信号変わった。」「なんでそんな首筋鍛えんの?」

「喧嘩士同士の喧嘩では、地面が硬いコンクリやアスファルトになる。そうなると投げ技や極め技がかけにくく、自然に立ち技が主体になる。だが喧嘩士は意識が無くなるまで喧嘩するから喧嘩士だ。」

「それで?」「首筋関係なくね?」

「逆だ。だからこそ首筋が重要になる。互いに立ち技を、つまり打撃主体であることを理解しているからこそ、打撃ではノックアウトが難しくなる。だから決着をつけるためには、相手に打撃への防御だけをさせるまで追い込み、最後に首を絞め落とす、というのがセオリーだ。」

「どんなセオリーだよ。」「それ死なね?」

「相手を殺すような喧嘩士は三流だ。」

「お前らやっぱ現代日本にいちゃいけない連中だわ。」「道徳観が蛮族すぎる。あれ? ここにこんな店あったっけ?」

「ああ、商店街の方から移ってきた。」

「おいあれTHE・うんこじゃん!」「THE・うんこと言われればうんことTHE・うんこよりのうんこがワゴンで売ってやがる!? 何だこの店神ってんだろ!」

「良かったな。」

「グレートですよこいつは。ちょっと見てくるぜ。」「俺ら寄ってくわ。どうする?」

「人と待ち合わせてるんでな。午後は空いてるが。」

「んじゃ久々にお前んち集合な。おいK! THE・ちんこもあったぞ!」「ヒャッハァこの店パネェ!」

 俺はうんこの形をしたゴムボールで盛り上がる二人と別れて駅前へと向かう。

 ニ十分ほど歩いて、待ち合わせ場所に着くと、姉弟子は既に来ていた。

 ……姉弟子がスカートを履いている。ロングとはいえ、珍しいな。これまで二三度しか見ていない。春らしい淡いピンクのスカートに、シンプルだが小さくフリルの付いたブラウス。そして同じくピンクのカーディガン。極めて珍しい女子らしい服装だ。

 惜しむらくは、足元がいつものスニーカーとスポーティな靴下であること、上下のピンクが悪い意味で色合いに差があること、それとポニーテールを作っているリボンが馬鹿に大きすぎることとフィンガーグローブを着けていることぐらいか。フィンガーグローブは俺も着けているのでそこは人のことを言えないが、なんとなく、ファッション雑誌のコーデをありあわせのものでなんとかしようとしたらチグハグになったという感じがある。

 ……まずい、姉弟子の目つきが悪い。早く動き出すか。

「待たせましたね。」

「いや、今来たところだ……なんか今の恋人っぽくなかったか!?」

 どちらかというと、それは男側が言うセリフだと思う。

 さて、時間より早く合流したが、今から向かえばちょうど開店時間だろう。急ぐ用でもないが善は急げとも言う。早速行こう――む?

「姉弟子、どうしました?」

 なんだ、姉弟子が俺を見てプルプルと震えている。

 着付けを間違ったか? コーデがアレだと思ったのを悟られたか?

「なんで……なんで、私が着るよりもカワイイんだ……!」

「……顔、ですかねぇ……」

「フンッ!」

「む!」

 姉弟子の正拳突きを額で受け止める。

 よし、いつもの姉弟子に戻った。



 姉弟子の買い物に付き合ったシーンはカットだ。

 姉弟子が選んでくる下着がどれもセンスが悪かったり、店にクラスメイトがいたり、クラスメイトが店の創業者の孫だと知ったりしたが、どれも喧嘩には関係の無いことだ。

 それよりも。

「なぜ、俺の家に?」

 姉弟子の家は駅を挟んで真反対のはず。

 何が目的だ。

「フェアリーさんに買ってきた下着を見てもらおうと思ってな。」

 お祖父さん目当てか。確かにファッションのことについては第一人者だが……

「お祖父さんなら今朝出かけましたよ。」

「午後には戻ってくるんだろう?」

 なぜ俺でも知らないことを。

「フェアリーさんから久々に家にいらっしゃいと言われてな。そもそも、私に下着を買うようにアドバイスしてくれたのもフェアリーさんだ。」

 お祖父さんいったいなんてアドバイスをしてくれたんだ。

「しかし、久々に来るとちょっと変わってるな。あそこに新しい駐車場ができてる。あ、あそこにも。あそこも駐車場であそこも……駐車場ばっかだな。」

「今どき、どこもそんなものでしょう。この辺りで一番古い家は、もう少しで我が家になりそうです。」

「……あ! あそこには新しい店が……え、なんだあれは。」

「あぁ、あれは商店街から移ってきたおもちゃ屋です。」

「なんで店先にうんこが重なってるんだ?」

「THE・うんこシリーズです。流行ってるんですよ。」

「え、なにそれは。」

 俺の女装を見たKと同じリアクションをされた。

 男子から見た俺の女装は女子から見たうんこのおもちゃだった……?

「しかし、店の一番目立つところにあんなものを山積みして大丈夫なのか? 流行ってるのかもしれないけれど、知らない人が見たら警察呼ばれるぞ。」

「実際、そういうクレームも多いらしいですよ。もう学校ではアレを買わないようにとプリントが回ってきました。」

「だろうな。心なしか、なんか嫌な臭いまでしてきたぞ……」

「臭いは別のシリーズの香水で着けるもの、とJとKが言っていました――」

 俺と姉弟子は、同時にアイコンタクトした。

 なんとなくだが、喧嘩士としての勘が告げている。

 この近くに喧嘩の種の臭いがする。

 なぜ突然そう思ったのか、それは喧嘩士だから、としか言いようがない。

 たとえば給食が大好きなやつが匂いを直接嗅いだわけでもないのに料理の出来上がりを正確に察知するような、そんな感覚に近い。

 足音を立てぬよう、忍び足で店の周りを歩く。

 店の裏側。違う。ここでは無い。

 斜向かいの家の庭。遠ざかった。ここでもない。

 ……路地だ。車一台分が通れるほどの幅。なるほど、店の正面からだと見にくいが、二股に分かれていたのか。なんとなく、だが……

「〜〜〜〜〜ッッ!? J! K!」

 当たっていた。

 店の近くの路地に入り少し行ったところのゴミ捨て場にJとKはいた。

 ゴミ捨て場に、ゴミのように横たわり、そこに立ちションをされていた。

 スカートの裾を両手で釣り上げ、パンツを足首まで降ろし、ビチャビチャとションベンが折り重なって倒れる二人へと降りかかる。

「保土ケ谷互柔賛拳会第一位、横浜市立丘小学校五年一組、武田ルイです! 対戦よろしくおねがいします!」

 その立ちションをしている女の背中に、喧嘩士特有の挨拶をしながら放った飛び蹴りが受け払われ、道の上を転がる。

 受け身を取りながら理解した。

「その動き……双円舞そうえんぶ流……喧嘩士か!」

速水はやみ双円舞流そうえんぶじゃない、白畑しらはた双円舞そうえんぶ流じゃ。元は同じ双円舞そうえんぶ流だーけど。」

 跳ね起き体勢を立て直す。

 この女、ほぼ不意をうった俺の蹴りをいとも簡単に捌いてみせた。恐ろしく強い相手だ。

「それと、うちはおのれらみたいな喧嘩士じゃない。そこんとこ勘違いされたらかなわんなぁ〜、未希みき?」

 しゃがんだ体勢をゆっくりとクラウチングスタートの形へと持っていく。

 最高速の一撃、それ以外に通じる手はない。

 下手なフェイントは見切られる。

 ならば、スタートの直前でフェイントを入れるフェイントを入れ、そこからの急加速で一手反応を遅らせたところを叩く。

空虎そらこ……こっちに戻ってきていたのか……」

「せんどぶりじゃあ、少し見ん間におせらしゅうなって……で、そっちのチビっ子のけったいなカッコなに? こっちで流行っとんの、女装?」

「気をつけろルイ! こいつただもんじゃ「いのくな。」――ギャッ!?」「J! しっかりしろ!」

「待て! なぜ今更こんなことを……双円舞そうえんぶ流の本家争いならば私を狙えっ。」

「あんま伊達こかんといてくださいよ〜、未希みきさん……話、通ってないか……ちゅーか、うちはおのれみたく家元がどーとかキョーミないんですよ〜? ただぁ……」

 隙ィッ! 今ァ!

「――ただ、トイレしに来ただけですぅ!」

 ――違う――誘われた――狙いが読まれ――「ガアッ!?」

「「ルイ!?」」

「人の話は最後まで聞きましょう……幼稚園で習わんかったん? ボク?」

 ――やられた、打たれた、何をされた、カウンター? わからない、飛びかかったと同時に、一瞬意識が、飛んだ――

「いねむり禁止じゃ。」

「ぐふぅ!?」

 がぱあっ!? なんだ、意識が戻った……意識を失っていた? なぜ……俺は一体何を……まずい……意識が……意識を……

「かあっ!!」

「……へー、タフじゃないがい。」

 意識を保たねば! 何かまずい! 攻撃を受けている! いや違う! 受け終わっている! にも関わらず! 見逃されているッッ!!

「……大したガッツじゃ。まあ、気絶するまで止まらんのが喧嘩士かぁ……」

「……ふぅ〜〜〜〜〜……姉弟子、この女は何者です。」

 立ち上がり聞く。

 俺の肉体ガタイはまだ動く。

 いや、動かせる程度に手加減された、と見るべきか。

 先のカウンターの後の一撃、あれはおそらく打撃ではなく活法。

 つまりは格闘技の技術を用いて行われた、気付けであると考えられる。

 似たものを、気絶したときに姉弟子から受けたことがある。痛みや衝撃で強引に意識を覚醒させるのだ。流派が近いのなら同種の技があることも不思議ではない。

 つまり――長く喧嘩するために手加減をしたということか。

「こいつは白畑しらはた空虎そらこ。私の……同業者、だな。」

「喧嘩士ですか?」

「……ああ。だが……」

「いっしょにせんといてよ、あんな社会不適合者共と。」

 俺は再び体勢を低くする。

 こうして話している間に受けたダメージは回復しつつある。

 それはヤツもわかっているはず。

 つまり、それだけ余裕を見せられる必勝の策があるということ。

 対してこちらは、奴の動きを見切れていない。

 攻撃されれば、防御も回避も間に合わない。

 さりとて速攻では心理戦で飛び込まさせられ負ける……

「……酷い言われようだ。ねえ、姉弟子。」

 ここはまだ時間を稼ぐしかない。

 全身ガタイ中からダメージを抜けきらせて、反撃の一手を思いつく。

 そうしなければ活路は無い。

「だってそうじゃろう。どっちが強い、人を殴りたい、暴力で勝ちたい……どれもマトモな人間の思想ちゃうわ。それを美学だなんだといい、あまつさえ正義だなんてゆー始末……始末に悪いっちゅーのはまさにこれじゃ。」

「言いたいことはそれだけか。」

「じゃあまだよらせてもらうね。喧嘩で破けた服は誰が直すん? 飛び散った血しぶきやゲロは誰が掃除するん? 折れたり気絶したりしたら誰が病院まで運んで誰が治すん? だいたい、殴り合いで勝った方が正しいなんてそんなわけあるか。なんで人を傷つけるのが上手いやつが正しいことになんねん。いつも勝つ奴っちゅーのはそんだけ人を傷つける奴じゃ。」

 くっ……こいつ、喧嘩士の弱いところを的確に……口喧嘩も強いのか……だが。

「わからないな……それで、なぜJとKにションベンを……?」

「言ったじゃろ。トイレって。」

「……」

「喧嘩士はよくゆーじゃろ、息するように闘いてえ、とか、バトルが無い人生なんて、とか。息ならしゃあないわ。息しない人間おらんもん。そうでなくてもついうっかりで人を殺しかける人種やし。のう? 未希みき。」

「っ……」

 こいつ、姉弟子のことも……

「まあ……うちも同じじゃ……身体から毒出すデトックス、排泄行為……これを息なんて呼ぶのは失礼じゃ。クソみたいな奴らがクソ垂れ流しとるだけの話よ。」

「だからションベンを。」

「そ。クソったれにクソブッかける。トイレは決まった場所でせんとアカンよね?」

 そう言うと、地面に転がっていたTHE・リアルうんこを蹴飛ばす。

 ポーン、ポーン、と跳ねて、どこかに消えていった。

「ほいじゃ、そろそろさっぶいさっぶい自分語りも飽きたし、初めよか。もう闘れるじゃろ?」

「ああ。問題無い。」

「よせルイっ。お前に勝てる相手ではないっ。私ほどではないとはいえ一般人が戦っていい相手じゃないんだ。」

「ほーんと、ナチュラルにムカつくことゆーのお。そういうとこが嫌いじゃ。」

 なるほど、好都合だ。

 つまり、コイツを倒せなければ姉弟子を倒すこともまたできないということ。

 それに――

「売られた喧嘩は買う……それが喧嘩士です。」

 クラウチングスタートの体勢から、中段よりの下段の体勢に。

 初速は劣るが取れる技の幅が広がる。

 そのことをフェイントに、フットワークで撹乱して足首を潰す。

 ヤツはこれまで一歩も動いていない、足を使う戦法なら……

 ……待て、一歩も動いていない?

「よーゆーた。ほいじゃ、いつでも。今ノーパンじゃから足技はやめといちゃるよ。」

 ヤツはフィンガーグローブを着けながら言う。

 コイツ……ここまでの相手か!

 俺が飛び蹴りを放った時、ヤツはパンツを足首まで降ろしていた。

 つまり、ヤツのフットワークは死んでいた。

 にもかかわらず、飛び蹴りを受け払った!

 一歩も動かず足技も使わずグローブまで!

 JとKをボコられた挙句にここまでナメられるだと!

「ナメるなメスガキぃ!」

 このフットワーク! この踏み込み! 後ろをとったぞこの一撃が避けられるか――!



 パシャパシャパシャパシャ。

 パシャ。

 ポタ。

「しゃーからよーたやろ、クソったれにはクソブッかけるって。」

 声が聞こえた。

 臭いがした。

 鼻にツンとくる。

 頭の中を一万匹のアリが行進している。

 手足が動かない。

 目も開かない。

 いや、開いている。

 なのに何も見えない。

「負けたのか。」

 そう声に出したはずだった。

 耳が聞こえなかったのか口が回らなかったのか。

 自分が言ったはずの言葉が聞こえない。

 俺はそのまま意識を失った。



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