第9話 お引越し

 からりと晴れた空と、日向ぼっこにちょうど良い気温。

 こんな日の冒険者は揃いも揃ってクエストに臨む。かくいうリジーも前のパーティのときにはアインスたちに振り回されながらクエストに奔走していた。

 冒険者を続けているうちはそうであろうと思っていたリジーだが、今日に限っては――


「よい、しょ……っと!」


 荷物の入った木箱を床へ下ろし、リジーは額に浮かぶ汗を拭う。

 腰を伸ばして柔軟ついでに周囲を見渡した。


 年季は入っているが丁寧に掃除がされた部屋だった。窓はふたつあり、採光は十分。

 部屋の広さは以前リジーが住んでいた宿の2倍はあり、思わず両手を広げてぐるぐる回って遊んだのは秘密である。

 そして一番リジーが驚いたのが、この家の至る所に刻まれた魔術文字だ。建てた人間は魔術師だったに違いない。これだけで家の価格が数十倍に跳ね上がるのだが、耐久性も格段に上昇するので、料理術師のリジーとしては非常にありがたい。


(前の家だと長時間の煮込みすら気を遣ったし……魔法食材の調理なんてもってのほかだったから、ここなら色々試せる!)


 今からワクワクが止まらない。勢いよく木箱の蓋を外したそのとき、階下からリジーを呼ぶヒューの声が聞こえた。



 *



 リジーを落ち着かせたヒューは、再度彼女に申し込みをした。


「ということで、俺に料理を作ってほしい。リジーの料理の効果を調べるためにも、一緒に暮らしているほうが便利だから」

「ほ、本当にそれだけの理由……?」

「……正直、俺は燃費が悪くて倒れることもあるから、誰かと一緒に住むほうが安心……ってリジー、どうした? 眠いか?」

「違うけども!」


 テーブルに突っ伏したリジーを見てヒューが不思議そうに首を傾げる。

 リジーも年頃の娘だ。こんなイケメンが一緒に暮らそうと誘ってきたら、頭で理解しているつもりでも、やっぱり心のどこかで好意があるのではと期待……もとい警戒する。そんな彼女を責める輩はいないだろう。

 しかしそんな淡く可愛い乙女心をあっさり裏切るのがヒューという男だった。


「俺が住んでいるところも2人だと手狭になるし、キッチンが大きいところがいいよな」

「……ソウダネ……」


 リジーのことを考えてくれるから、好意はあるのだろう。ただし純度100%の仲間愛だろうが。

 これ以上考えていても仕方が無いと首を振ったリジーは意識を切り替える。こほん、と咳払いをした。


「でもキッチンが大きくて、部屋数のある宿なんて空いてるのかな?」

「宿を探す必要はない。家を借りる」

「は?」

「そっちのほうが自由が利く」


 冷めかけた料理を口に運びながらヒューは何でもないように言った。


「家って、そんな簡単に見つかるの?」

「当てはある」


 しっかり頷いてくれるヒューは頼もしかったが、その頬に料理が詰め込まれていなければもっとかっこよかったなあ、とリジーはひとりごちた。



 *



 ――そして時は現在。


 ヒューはそれからわずか1日で家を借りた。

 築50年の小さな屋敷だが、造りはしっかりしていて魔術文字まで搭載し、修繕は必要だが家具も一通り残ったままだった。なのに家賃はひと月大金貨1枚。リジーが今まで暮らしていた古宿が、この金額の半分の金貨5枚だったことを考えると破格と言っていい。


 こんな良い家をどうやって探したのか、ヒューの伝手が一体どういうものなのか気になるリジーだったが、何を聞いても無表情でだんまりを決め込んだ彼に、尋ねるのは早々に諦めた。

 リジーが階下へ降りるとヒューが大小の紙袋を抱えてキッチンにいた。


「ヒュー、どうしたの? それなに?」

「もうすぐ昼だから買ってきた。早く食べよう」

「わざわざ買ってきてくれたの!? ごめんなさい、私が作らなきゃいけなかったのに」

「リジーだって荷解きがあるだろう。俺は荷物も少なかったから早く終わったしな。いくらリジーの料理が食べたくて一緒に住むんだとしても、負担をかけすぎるのは良くない」


 ヒューの気遣いにじんわりと胸の奥があたたかくなる。

 アインスたちはリジーがどんな状態でも食事の用意をしなければ怒り、時にはお仕置きと称して魔術の標的にさせられていた。

 それが異常だと分かっていても、逆らえば行き場を失うと思っていたリジーに抵抗の選択肢は無かったのだ。


 堪らずお礼が口をついて出る。


「ありがとう、ヒュー」

「……? 礼を言われるようなことはしていないが」


 不思議そうに首を傾げるヒューに笑みがこぼれる。

 分からないならそれでいい。


 紙袋の中身はサンドイッチで、瑞々しい野菜とこんがり焼いたチキンを挟んでいてボリュームがある。

 リジーは両手で掴んでなんとか食べられる大きさだったが、ヒューはそれを片手で持ってしかもたった3口で食べ終えた。


 もう見慣れてしまった彼の食べっぷりに、さらに笑みが深くなる。


 頬張ったサンドイッチは、優しい味がして、ほんの少ししょっぱかった。

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