#14『奥にいるもの』


 遊びに行っていたはずの息子が慌てて帰ってきたので、何事かと聞いてみると

「猫が、猫が……」

と半ば放心したように繰り返すだけ。いくら聞き直しても、埒が明かないので雄二ゆうじは重い腰を上げ、息子の導くままに家を出た。


 いつの間にか日は傾き、街はオレンジ色の夕日で染まっていた。日曜日の夕方、街路を行く人の顔はどこか気怠く、名残惜しそうだ。


 連れて来られたのは公園だった。人影はまばらで、そのほとんどが後片付けをしているか、帰り支度をしているところだった。

 息子は水道のそばまで行くと、指をさし「猫……」と悲しそうに言った。


 指差す先を見ると、蛇口の下にグレーチングのかかった排水口があった。大きい枡状になったその受け口の一方には水を逃がす穴が開いてる。

「猫の声……」

 息子のたどたどしい言葉に首を歪めながら、排水口に耳を近づけてみた。

 少し耳をすませていると、「にゃあ」というかすれるような小さな泣き声が排水口の中に反響した。

なるほど、雄二は息子を見て頷いた。

 子猫がこの排水口の中に誤って入り込んでしまったに違いない。息子はそれを取ってほしいと自分に頼んできたのだ。


 グレーチングを外し、腕をまくると排水口の中に手を入れた。当然のことながら、排水口は濡れそぼっていた。ぬるぬるした塊が指先に触れ、湿った汚泥の欠片が手の甲や腕に当たる。

 その間もか細い鳴き声が、排水口の奥の方から聞こえてきていた。

 感覚で、腕の第一関節ほどで目的の猫に辿り着くような感じがあった。しかし、やがて肘が排水口にぶつかるとそれ以上入らなくなってしまった。

 

 指を激しく動かすと、指先が一瞬何かに触れた。猫だ。腹ばいになり、雄二は腕を可能な限り伸ばした。あと少しだけでも奥へ入るように腕を捻っていると、ずずっとほんの数センチだけ腕が中へ進んだ。


 瞬間、雄二の掌が何かに強く握り返された。太い指の感触。湿っているが温かく、肉感がある、それは人間の手であった。

 声が出なかった。恐怖におののきながら、腕を引くとそれは大人しくするりと離れていった。


 慌てて排水口を覗き込んでみたが、そこには真っ黒い闇がどこまでも続いているだけで、何もなかった。

 そして、「にゃあ」という鳴き声が奥の方からまた聞こえた。


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