#2『ある蛇の最期』

 飢えというものをその蛇は知らなかった。


 彼の知る世界、つまりは広大な荒野にはエサが少ない。もしも自分の知る蛇が全て満足な食事にありつける場所があれば、それは翅と足のない鳥が転がって、無防備な卵が敷き詰められているに違いないと蛇は考えていた。


 現実にはそんなことはあり得ない。鳥は大空を舞い、卵は見つけるだけでも至難の業だ。蛇はその生涯で無数の死体を見てきた。無論、飢えと渇きで死んでいった同類たちの死体だ。


 だが、蛇は幸運だった。


 奇形とも呼べる、変異した彼の尾がの効果をもたらしていたのである。チロチロと岩陰からその尻尾を動かすと獲物たちは自然と寄ってくる。

 そこに論理的な推量があるわけもなく、偶然に起こった事象を繰り返すことで蛇の脳に、自分の尾にエサが寄ってくるという事実だけが刻み込まれていた。

 幸運、という概念を蛇は知らない。



 しかし、今日はどうも様子が変だと蛇は思っていた。


 日が昇り、鳥たちが空を飛び始めた時からもう数時間も炎天下で尾を構えて待っているのだが、一向に獲物にはありつけていない。焦りとむかむかとした感情が、空腹から来ていると蛇には分からなかった。


 ただ漠然とした不安が起こった。


 暑さに耐えきれなくなり、丁度太陽が天中に浮かぶころ、蛇は退散することにした。体を冷やすため、崖の方へ這って行った。

 ひんやりとした岩肌の感触に心を落ち着けながら、岩の間を縫っていた時、蛇は匂いを嗅いだ。


 匂いは空腹になった腹の底を擽り、野生の感覚を一瞬で蛇に呼び起こさせた。匂いを辿ることなど、今の彼には朝飯前だった。


 匂いは岩の間から染み出ている。体を滑り込ませると、組み合った岩の隙間が向こうの方まで続いているのが分かった。

 隙間は深く、体をピンと張りつめ、尻尾が隙間からはみ出したところでやっと匂いの正体に出会った。


 卵であった。


 彼でも滅多にありつくことのできない大きな卵が4つ。

 それは、岩肌に作られた鳥の巣であったのだ。

 蛇は大喜びでその卵を一つずつ、すべて綺麗に飲み込んだ。

 解放されるような満足感。空腹とそれによって起っていた不安や焦りは消え失せ、今彼は幸福の頂点にいた。


 はた、と気が付いた。

 丸呑みした4つの卵が岩肌と組み合い、身動きが取れなくなったのである。

 動かそうと意識を働かせてみると、穴からはみ出した尾だけが激しく動くのであった。



 卵を吐き出そうとしてみたが、もはや岩の隙間にがっちりと挟まった体は動くことが出来ず、程なくして諦めた。しかし、焦りはなかった。

 今の彼には満たされた空腹と満足感がある。この涼しい穴の中で消化を待ちながら眠るのもまた一計である。


 うつらとしてきた彼の身体に、鋭い痛みが走ったのはその時であった。

 痛みは体の下、尾の方からしている。痛みに身をよじる暇もなく、続けて激痛が尻尾を襲う。

 何か鋭いものが自分の尾を食いちぎろうとしている。見えぬ何かを叩こうと、尾を動かせば少しの間攻撃は止む。それも寸秒の間で次の攻撃がすぐまた襲ってくる。

 逃げたくとも身動きが取れず、見えない何かはゆっくりと蛇の尻尾と体力を蝕んでいった。



 蛇は死ぬその瞬間まで、反撃に出た自分の尾が虫と勘違いした鳥によって執拗な攻撃を受けていることを知らなかった。

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