第10話 災い、襲来


「へ? なんだって??」


 いつにも増して意味の解らないことを言い始めた浅間に困惑する。けど彼女は説明を続けて、


「夏休みまではそんなことなかったのに。いま麻賀多くんの魂は、七色に――虹の色に、耀いてるの。伊勢川さんの魂も同じ色をしてて、だからきっと、魂触たまふりの儀式をしたんだと思…」


「ちょっと待った」


 おれは浅間の言葉を遮った。


「タマシイがどうとかって……それ、どういう意味?」


 やっと話が通じていないことを悟って、浅間が言葉に窮する。


「えっと……。………。ううん、やっぱり、なんでもない」

 彼女は少し考えてから、小刻みに頭を振って話を止めた。 


「なんだ、気になるじゃん。あ、もしかして―――」


 浅間が変なこと言い出すのは今に始まったことじゃないからな。けど今回は、思い当たる節があったので追ってみた。


「――あの小説の話か? いつも浅間が、メールで送ってきてる」


 昨晩も、浅間澪那がおれに送っていたメール。

 その実態は、何を隠そう、主人公が魔法を使って戦う自作のファンタジー小説である。

 浅間が書く物語の中で、彼女とおれは魔法を自在に使いこなして、世界を混乱に陥れるモンスターや魑魅魍魎と戦っている。

 浅間澪那がおれだけと親しい理由。それは、彼女の妄想ストーリーにおれが付き合っているからだ。

 そうした事情があるので、『それはメールで送ってる物語の話か?』と尋ねたわけである。まあ魂がどうのこうのって言うんだから、現実の話であるはずないんだけど。

 浅間はおれの質問に対して、


「えっと………うん、あれも魂と関係あるよ。あの物語には魔法のことが出てくるけど、現実で魔法を使いこなすには、魂を解放しないといけないから」


「ははあ、やっぱりな」


 要するに小説の話ということた。どうやら2人きりになったので気が緩み、そういう話を現実にし始めてしまったらしい。


 校内では交流のあるおれしか知らないが、彼女はこんなふうに、かなり妄想癖のある少女なのである。いったい何の漫画やゲームの影響なのか知らないが、時々ホンキで魔法が使えるみたいなことを言ってくるので困るんだ。そんなのは夏に観た映画の中だけで充分だっていうのに。


「この際だから言っておくけど。魂だの魔法だの、そういうファンタジックな話は、あんま人で前しない方がいいぞ?」


「どうして?」


「どうしてって………なんていうか、アニメや映画から変な影響を受けてるって思われるだろうし。最悪、現実と空想の区別がつかない奴だと思われるかもしれない。そんなふうに思われるのは、浅間だって嫌だろ?」


「そっか……助言ありがとう。でも大丈夫。あたしのは空想じゃなくて、本当のことだから」


「? 本当のこと?」


 何が本当なのだろう? 書いてる小説の内容か、それとも魂や魔法がどうのこうのいう話か。どちらにせよ、意味が通じないことに変わりはないが。

 おれはもたれていたテーブルから身を離しながら、


「ま、浅間の気持ちも分かるよ。おれもそういう、少年マンガみたいな話は好きだからな。けどそういう話をするのは、浅間の趣味が分かるやつだけにしておいた方がいいよ。さっきはミホカも、ちょっと戸惑ってたみたいだし」


 なんだって想像するのは自由である。我々は憲法によって妄想・童心の自由が保証されているのだ。思想・良心の自由だった気がしないでもないが、これもその一部だということにしておこう。


「うん…判ってる。一般人に秘密が漏れるのはキケンだから、麻賀多くんにしか言わない。でも……」


 さっきから、浅間のそわそわした気分は収まらないようで、視線をあらぬ方向に向けたまま、


「虹色の魂はすごく珍しいから、ふたりとも、何か良くないモノに狙われるかもしれない。だから………だからもし、ふたりに何かあったら、あたしが護ろう。これは魔法使いの末裔に課せられた、大切な使命なのだから―――」


 完全に自分が書いている大魔法使いになりきって、神妙な面もちでそう言うと、浅間澪那は空き教室から出ていった。


「……本気かよ」


 浅間のやつ、とうとう現実と虚構を混同し始めてしまったらしい。


 やれやれ、あの以来、彼女と話をするようになって楽しかったのは事実だが、いささか与太話に付き合いすぎたか。ここまで来ると、軽く後悔だ。

 思った以上に浅間澪那の妄想癖は、末期なのかもしれない。相手がミホカだったから良かったものの、他の奴だったら恥ずかしい目を見ていたところだ。二度とこういうことがないよう、今度しっかりと言い聞かせてやることにしよう。


     ○


 というおれの救いようのない間違えは、完膚なきまでにぶちのめされ、叩き直されることになった。


 1人で帰路に着き、電車を待つ駅のホームにて。


 屋根の下から、雨が降りそうな空模様を眺めた。

 嵐でも近づいているのか、さっきから風が強くなってきている。もよおしている曇り空も、家に着くまでこらえてくれるといいが。


『あ、そういえば……』


 浅間澪那が昨日送ったというメールを、まだ読んでいなかったことに気づく。

 帰ってからだとまた忘れるかもしれない。朝にも催促されたし、明日も同じやりとりを繰り返すのは忍びない。

 おれは携帯を取り出し、新着表示のままだったメールを開いた。

 内容の予想はついている。どうせまた、魔法や剣でモンスターをバッタバッタと退治する、中二も驚く妄想ストーリーが――



From:浅間澪那

件名:夢の記憶

【かなり身体が重い。まずそれを感じた。「……朝か」ゆっくりと起き上がった。夏休みも終わり、今日から新学期である。かなり憂鬱だ。誰が好き好んで学校へ行きたがるだろうか? 少なくともジントは行きたくはないと思っている。】



 本文の内容は、予想とは少し異なっていた。


『なんだ、今度は現代が舞台か? しかもおれたちと同じ、夏休み明け初日とは……毎度ながら突拍子もないな』


 そう思って、微笑ましさがこぼれそうになるのを抑える。

 この物語、基本は魔法をテーマにしたファンタジー小説なのだが、ジャンルという概念が存在しないのか思いつき次第でいろんな場所に行き、いろんなことをする。

 この前まで異世界で、ギリシャ神話をモチーフにしたモンスターと戦ったりしていたんだけど、今度は舞台が変わって現代風な世界に来てしまったらしい。まあその破天荒さが、この物語の面白いところでもあるのだが。

 画面をスクロールし、テクストを目で追っていく。



【駅までもう少しだった。この信号を渡れば、駅はすぐそこである。

 やっと信号が青になった。ふと、時計を見るとまだ電車がくるまで15分はあった。

「早く出過ぎたか………」

 呟いたその時である。

 彼の横をとても神秘的な雰囲気を漂わせる美少女が、金の長髪をなびかせながらとおりすぎた。

「………え………っ!?」

 急いで振り返る。傘の下で金色の髪が揺れている。

「今のは……?」

 どこかで会った……いや、よく知っている少女に似ていた。

「誰だ………? 思い出せない………!」

 そのとき、すでに信号は赤となっており、車がクラクションを鳴らしていたのに気付き急いで元の場所に戻った。】



 画面を送っていた指を止める。


「神秘的な、金色の髪の少女……?」


 その描写が、なぜかどうしようもなく気になった。

 もちろん金髪の少女なんて、小説ではありふれていると言っていい。変わった特徴とさえ言えないだろう。

 でもこれを読んでいると、どこかでその少女を本当に見かけたことがあるような……。少女が本当に、実在するかのような……。


 浅間が書いた小説なのだから、作り話であることは百も承知だ。けど、無関係だと思っていた話に急に知っている人が出てきた時みたいに、心の中の何かを突っつかれていた。



【「………」

 先ほどの少女のことがとても気になり、いそいで来た道を戻る。が、いっこうに少女の姿は見えてこない。違う方向に行ったのだろうか?

 一度引き返してみることにし、また信号機の前まできた。

「いない……」

 そこで彼は無意識のうちに左上を見た。そこには道路の上を通るための橋がかかっているのだが、雨の日は滑るのであまり人は通らない。だが、そこには誰かが立っていた。

 もしかしたら……と思い、そこまで駆け出す。傘は邪魔になるのでたたんだ。雨が全身を濡らすが、そんなことは知ったことではない。

 やっとの思いで橋の中央まできた。】



 そうだ―――あの、夏の日。


 思い出した。電話ボックスで、ずっと電話が繋がるのを待っていた少女がいた。

 彼女は、とても不思議な雰囲気を纏っていて、金の長い髪をしていた。この小説で舞台になっていると思われる場所も、駅前の陸橋だとすると、彼女を目撃した場所に程近い。


 でも、だとしたら。

 どうして浅間澪那が、夏におれが見かけた少女のことを、知っているんだ……?



【そこには先ほどの少女が傘もささずにただ空を見上げていた。

「何を……やってるんだ…?」

「空を…見ているの」

「傘もささずにか…?」

「あなただって、同じでしょう?」

「……君は誰だ? おれは君のことを知っているはずなんだ………だけど」

「思い出せないんだね? まぁ、無理もないかな? フフ……」

 その少女は微笑った。どこか悲しげに………。何故そんな微笑いかたをするのかわからないのが、ひどくもどかしかった。

「あなたは、忘れてしまったの………記憶をね。そう、いろいろな記憶を……ね……。だけど、無くしたのではないから………いずれ思い出すよ。全てを、あなたの………運命としてね」

「お前は…………?」

「フフフ……それもいずれ思い出すよ…。あなたとの約束、私だけは未来永劫……忘れはしないから……」

 そこに一陣の風が舞った。水しぶきが視界を覆う。

「……待て……っ! おれは……おれは………おれはどうすればいい!?」

 叫ぶが少女は何も答えない。最後に一言だけ残して………


 ――次は現世で、逢いましょう――


 そして元からそこにいなかったかのように姿を消した。

「おれの………おれの記憶はどこだ………っ?」

 一人残されたジントは、少女と同じように空を見上げた。】



 メールを読み終えたおれは、石膏像にでもなったかのように硬直していた。


 「運命」? 「現世」? なんのことだ?

 さっき浅間が語っていた、おれとミホカの、魂がどうのという話。もしかして、あれも何か意味があったのだろうか? こちらから詳しく聞くことは、しなかったけれど……。


 そこまで考えて、おれは大きくかぶりを振った。

 何を馬鹿なことを考えてるんだろう。似たような少女を、おれが勝手に関係あると思って結び付けてしまっただけだ。この辺に少ないってだけで、金髪の少女なんて世界中にゴマンといる。今日はいろいろと、調子が狂うようなことが続いていたから、それで。

 考えてみれば、どうということもなかった。そんなことで一瞬でもドキッとした自分が恥ずかしくなり、照れ隠しがてらプラットホームから線路を覗いた。


 見れば遠くから、短く警笛を鳴らして電車が近づいてくるところだった。おれの心の中のことなど、誰にも知られる気遣いはないから別にいいのだが。

 そう思って、周りを見た時。


「え……?」


 声を失った。

 さっきまで一緒に電車を待っていたはずの乗客たちが、全員、いなくなっていた。人っ子一人、気配がない。


 なんだ……何が起こったんだ?

 訳がわからない。ドッキリでもくらった人間のように右往左往する。


「誰も………いない?」


 まず、人間は完全に消え去った。この駅が無人になったところなんて、これまで見たことがないのに。

 それだけじゃない。

 そこらを飛んでいたはずの鳩や烏も、姿がなくなっている。コンクリートの隙間から顔を出していた雑草や野花も、枯れたように色味が薄くなっていた。

 音も匂いも色も寂寞として死に絶え、まるで辺り一帯から生命の息吹が消え去ったかのようだった。

 それだけに、そんな中で動いているものがあれば、どうしても目立つ。


 いつからそこにいたのか。

 それは1匹の――2m近い背丈がある、巨大な――白い鳥だった。


 鳥といったのは、羽根があったからだ。その鳥は今し方着地したところらしく、何度か羽ばたきをした後、その翼を大儀そうに畳んだ。

 しかし異様なことに、そいつの身体には毛もなく、目もなく、嘴もなかった。

 口だけは鮫に似て大きく、歯医者で見る模型のように整った歯が櫛比している。肉食恐竜のように発達した後ろ足と短い前足をもっていた。


 例えば、同族争いの果てに滅んだ古代の猛獣がわずかに生き残っていて、中途半端に人間へ進化してしまったとしたらどうだろう?

 そんな醜悪さを、その生き物は(それが生き物だとしたらだが)湛えていた。


「なんだよ……お前…」


 後ずさりながら呟いたのは、まさか言葉が通じると思ったからじゃない。

 けど、もしかしたら理解したのかもしれない。

 その化け物は、質問に答えるように満腔の笑みを浮かべ、

 そのまま、ポリ袋よりも大きな口を開けた。

 人間を一呑みしてしまいそうなその口の中に、映像が流れる。


 映像? そう、たしかに口いっぱいに、映像が塗りこめられていた。


 すぐに判った。それはおれの――おれ自身が、産まれてから死ぬまでの――記録だ。


 母親でさえも見られなかったであろう、出産の瞬間。どこかの産婦人科で、赤子だったおれが取り上げられる。

 記憶にも残っていない家。休日にカメラを回す父親に見守られながらハイハイをして、はじめて二本足で立ち上がる。

 それから、ケーキにロウソクを立てた誕生日だの……七五三だの……他の子供と遊んだり喧嘩をしたりしてるところだの……小学校の入学式だの……。


 それが全部、自分の姿だと、見てとれた。

 どこにでもある人の一生だ。世界中で何万、何億、何兆回と、繰り返されてきた出来事の数々。

 なのに、なぜだろう。それはむしょうに哀しかった。


 正面から、冷たくて強い風を浴びた時のように、うまく息ができない。おれは涙を流し、洟を垂らしていた。

 ただ、呆然と、おれは自分自身の人生の前に立ち止まり、そして―――



「魅入られるな!!」



 厳しく、心強い声がかかった。


「……あさ、ま――?」


 そう尋ねてしまうくらい、凛とした横顔。


 でも、おれの前で黒っぽいマントを羽織り、襟元に群青のリボンをはためかせているのは、見紛いようもなく、浅間澪那その人だった。

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