伊勢川ミホカの再会

第2話 伊勢川ミホカの再会

 町は日ざかりの日を浴びて、うるさかった。


 時は夏休みの初め。いちめんに太陽の白い光が降り注ぎ、蝉たちが2億年くらい前から鳴いていそうな大声で鳴き続けている。

 ミーンミンミンミンとかツクツクボウシツクツクボウシとか、なんだってあいつらは、あんなに人間じみた声を出すんだろう?


 案外あれが、いま人が喋ってる言葉の先祖だったりするのかもしれない。『バベルの塔が崩壊する前は、世界中のみんなが同じ言葉を喋っていた』というアレだ。はたして蝉がバベルの塔周辺に生息していたのか、検索する気にもならないけど、彼らは今年も熱心に祝詞を上げ続けている。

 こんな馬鹿げたことを考えるのも、茹だるような暑さのせいであろう。


 おれ――麻賀多シント――はこの日、用事があって学校に行き、電車を降りて自宅への道を歩いていた。

 電車も乗客が少なくて、降りてからもマトモに人に会わなかった。もしかしたら、日が強すぎて何か注意報が出てるのに、おれだけ聞き逃したのかもしれない。昔から、大事なことをよく聞きそびれる。

 

 横断歩道の前で立ち止まった。トラックや乗用車が、陽炎の立つ道路を通りすぎていく。

 揺らめく大気の先には、公衆電話があった。中に誰か、金色の髪の少女が入って、電話をかけている。

 このあたりでは、見かけることの少ない髪の色だ。服装は白いワンピースで、ウエストが高い分スカートが長く、袖がなくて細い腕を剥き出しにしている。夏らしく涼しげだった。

 少女は話をしているというより、電話が繋がる瞬間をじっと待っているように見えた。


『珍しいな、あれで電話って―――』


 ふと思う。そこに電話ボックスがあるということ自体、いま気づいた。今どき公衆電話を使う機会なんて皆無と言っていいだろう。何か携帯から電話できない事情でもあるんだろうか、家に置き忘れたとか電池が切れたとか。


 なんてことをボンヤリ考えていると、

 少女と、ふと目が合った。

 ちょうど走ってきた車が、おれたちの間を通過する。


「あれ?」


 車が通りすぎたところで、思わず声を漏らしてしまった。電話ボックスには、誰もいなかったからだ。

 信号が青に変わる。早足に横断歩道を渡った。

 やっぱり、そこには誰もいなかった。四角い電話機だけが、寂れた店の招き猫みたいな格好で待機を続けている。

 ガラスには日光が反射して、色鮮やかな七色のプリズムが居残っていた。

 ――ヘンだな、と思い、急いであたりを見回した。あの娘はどこに行ったんだろう? まさか幽霊だったなんてことは……?


 いや、いた。少女はいつの間にか、反対側の歩道を歩いていた。夏の風に金色の髪と白いスカートを靡かせながら、公園の方に入っていくのが見える。あたかもおれを、不思議の森に誘なうかのように―――って、これはさすがに自意識過剰か。


 あそこは池や遊歩道のある、広い公園だ。

 そう言や、あの公園しばらく行ってなかったっけ? 小さい頃はよく遊びに行って、派手に転んだこともあったっけ。かなり血が出たものだからビックリしてえんえん泣いて、付き添いの大人を困らせた憶えがある。


『久しぶりに、あそこ抜けて行くか』


 金髪の少女に続くようにして、おれは夏の公園に足を踏み入れた。


 この公園は、表面積の半分がアスファルトで炎天下にさらされているが、もう半分は芝生で林になっているから、うまく道を選べば石焼きにされずに通過できる。

 こんな日に散歩する物好きもいないようで、他に人影もなかった。案の定、木陰の方は涼しくて、無駄に曲がりくねった散歩道を、木枝の影踏みでもするように歩いていった。

 しばらくそうしていると、足下に影がさした。木の影では、ない。

 目を凝らして見つめた。


 それはこれ以上ないほどよく出来た、女の子の影法師だった。


 膝上にかかっているのはプリーツスカートで、頭頂からは流麗なポニーテールの髪が流れていた。(明らかに、さっき見かけた少女とは別人である。)

 シルエットからすると、たぶん制服姿の女子校生だろう。それは年頃の女の子を表わすものとしては、これ以上ないくらい完璧な影絵だった。


 なんだか、顔を上げて実物を見るのが怖い気がした。実物を確かめたら――たとえそれがトップアイドルも目じゃないくらい可愛い子だったとしても――この影の完璧さが、壊れてしまうような。そんな気がしたからだ。


 だけど、1ヶ所、妙なことに気がついた。

 女の子の足の、踵のあたり。そこが妙に膨らんでいるのだ。まるで溶けかけの生クリームのように。

 好奇心に駆られ、視線を上げる。


 おれは、そこで〝彼女〟と再会した。

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