図書室護衛管理委員会

 絶望的な恋をしました。僕の抱いたこの感情は、墓場まで持っていこうと思います。

 幸いなことに、感情を表に出さないでいることは得意でした。悲しい物語を読めば悲しい気持ちになりますし、面白い本を読めば楽しい気持ちになります。しかし、そんな感情の機微が、表情に表れることはありません。心に産まれた感情は、そのまま表に出ることなく心の中で消化されていくのでした。

 僕が恋した彼女は、毎日のように図書室にやって来ました。テーブルの窓際に座り、教科書や参考書の類いを広げ、カリカリとノートに文字を刻む小さな音を、静かな図書室に小気味良く響かせていました。

 そんな彼女と僕の接点は、ないに等しいものでした。図書室で同じ空間にいるというだけでは、互いの距離を詰める理由には足りません。僕は二年生なのに対して、彼女はきっと三年生。テーブルに置かれた教科書や参考書は、僕が学んでいる内容よりもワンランク上で、時折見える赤い本には大学の名前が見えました。

 まだ春真っ盛りの今、受験なんてまだまだ先だと思えるのに、彼女の周りにだけ本番直前の緊張感のようなものがありました。そんな彼女の集中力は相当なもので、窓ガラスを震わせるような爆音が轟こうとも、視線がノートから外れることはないほどです。

 図書室護衛管理委員会の保護監視区域となっている図書室には、リア充爆破委員会が爆発物を仕掛けることはありません。これは彼らとの間で結ばれた契約でした。図書室は静かに本を読んだり勉強したりする空間として不可侵領域であり続けるということ、数多く収められた本という文化財を守ること、以上二点が我々の委員会に課せられた仕事で、僕はその仕事に誇りを持っています。その胸中の片隅に、彼女の姿があることは否定できませんが。

 ただ彼女がこれから先も図書室にやって来て勉強してくれることを、そして志望校に合格してくれることだけを願っていました。そのために図書室で騒いでいる者がいれば追い出し、リア充爆破委員会には睨みを利かせる日々を過ごしています。

 そのことを幸せだと感じていました。それだけでいい、僕は満足しているのだ、と言い聞かせて。

 そんな彼女の名前が高槻凛だと知ったのは、つい最近のことでした。毎日のように来ていた彼女が、私が貸し出し当番である日に、本を借りたことがきっかけでした。その本は良くある高校生の男女の恋愛を描いた小説で、映画化が決まりテレビでも取り上げられているような作品でした。感動の押し売りのような言葉の羅列された帯が、本屋の棚の中で目立っていたのを良く覚えています。それが図書室に入っていの一番に借りたのが、彼女だったのです。

 本を借りるために提示された学生証に書かれた名前。さり気なく目に入ったそれは、記憶に深々と刻まれます。そしていつも遠くから眺めるしかなかった彼女の顔が、手を伸ばせば触れられる程に近くにあります。長い睫毛に白い肌。黒髪がさらさらと本の上で流れていました。遠目で見るよりも美人です。

 たったそれだけのことで僕の心は緊張でどうにかなりそうでした。しかし、その緊張が表面に出ることはありません。ただ無表情、いつも通りの仕事をこなす僕がいました。

 貸し出し手続きを終え、彼女が小さくお辞儀して去って行きます。

 ただそれだけ。彼女にとっての僕は、ただのモブだったことでしょう。


   〇


 ある日、リア充爆破委員会に名を連ねる一人の男が、図書室に入ってきました。かの卑しき委員会と図書室護衛管理委員会の仲は決して良いものではありません。学校の至る所に監視カメラや盗聴器を仕掛けているという噂がありますし、たとえ下っ端だとしても油断はなりません。

 棚の影から男の一挙手一投足から目を離さず、怪しげな動きをすればすぐにでも飛びかかれるように準備します。しかし、どうやら爆弾や盗聴器を仕掛けに来たという訳ではなく、ただ話をしに来ただけのように思われました。いえいえ、図書室を話し合いの場にしないでくれとは思いますが。なので注意しようとした矢先、飛び込んできた言葉は私の動きを止めるに値する内容でした。

「ここなら盗聴される心配もない。話を進めよう」

 と男は言ったのです。盗聴はされないが盗み聞きはされるということに男は気付いていません。

「これは戦争だ。思いを伝えることすらできなかった者達による面制圧。たとえ敵が魔王だとしても数で囲えば恐怖心は和らぐものだ。この戦いに参加出来なかった者は、一生の負け犬だ」

 流石に大声で周囲に聞こえるように話してはいません。所々、聞こえない箇所はありますが、彼の話す内容は奇妙でした。

「同時に告白できなかった者達が総出で告白するんだ。リア充爆破委員会の爆破が追いつかないほどに大勢で、一斉に」

 これはどういうことでしょう?

 彼は確かにリア充爆破委員会の一員であり、そこそこに優秀な参謀役だったはずです。しかし、話は委員会との敵対行為としか思えません。その言葉の真意を読み解こうとしますが、どうにも理解が追いつきません。

「キミの好きな相手は三年生の先輩だろ。もう少しで受験が本格化する。卒業式で想いを告げるつもりだった? ダメだ、ダメダメ。告白するなら今しかない」

 僕の脳裏には彼女の顔が思い浮かんだ。毎日のように図書室に来て勉強いている彼女。思いを告げたいという気持ちがないといえば嘘になる。でも、そんな僕の行動がきっかけで彼女が図書室に来なくなったら?

 僕にはとても耐えられない。

「そんな一般的な考えは全て高村慶介に読まれてる。いいか? つまりは、そういった告白に適した日っていうのは、妨害工作の準備に余念がないんだ。バレンタインも、クリスマスもそうだ。彼にとってそういった日は皆が狙ってくるから準備も万全なんだ。狙うなら何でもない日を狙うしかない」

 彼の目は真剣でした。

「もう一度言う」

 いつしか彼の言葉に必死に耳を傾けている僕がいました。

「五月の最終金曜日、一斉に告白する。何でもない日をかけがえのない日にしよう」

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