実験小説『VS』

三文の得イズ早起き

『VS』1

 鳥取県米子市のとある民家の一室から窓の外を眺めていた吉澤圭一は、遠くで低く籠もった音を感じて布団から頭を上げた。何かが起きている、と感じていた。吉澤は起き上がってベッドの側に置かれた小さなテーブルに無造作に放り投げられていたスマートフォンを手に取った。

「VS」

 とだけ書かれたメールが届いていた。吉澤は「ぶい、えす」と声に出した。心当たりは無かった。もう一度スマートフォンに目をやりメールを見る。差出人は「ブイ・エス」とある。吉澤が登録したはずの名だが記憶になかった。ブイ・エスから届いた「VS」というメール。

 わからない、と呟きもう一度ベッドに横たわる。外からまた低い地響きのような不穏な音が聞こえる。


 青森県青森市の海に近い狭い一軒家で高松伸一は一人、鍵盤に向い歌を歌っていた。鍵盤といってもピアノやらエレクトーンやらの豪勢な楽器ではない。子供が遊ぶようなおもちゃのカシオ製のキーボードだ。高松はその鍵盤に向かい何やら歌を歌っている。

 その時、部屋のチャイムが鳴る。高松は誰かを確かめもせずにドアを開ける。

「ういっす」

「おう」

 入ってきた男は内藤慎二という高松の友人であった。内藤は高松と中学、高校と同じ学校に通い卒業してからは同じ店で働く仲間である。高松は内藤とそれほどに仲が良いわけではない。むしろ親しい間ではなかった。高松が内藤と親しくなったのは内藤の双子の兄、内藤慎一を通してだった。内藤慎一は高松伸一と遡れば小学生のリトルリーグ時代にまで辿れる程の古い付き合いだった。

「昨日の道馬さんの話だけどさ、結局は滝丘さんの勘違いだったんだって」

 と部屋に入るなり内藤慎二は言った。

「だろ? 滝丘さんってもういい歳してるんだから少しは俺たちの話も信じて欲しいよな」

 高松はそう言って冷蔵庫からビールを出して内藤に手渡した。高松と内藤が務めている大型スーパーで備品が盗まれるという事件があり、高松と内藤、それから同じく若手の社員である木村、そしてバイトの有坂、三島、常田、関の四人が犯人扱いされたのだった。犯人がこの中にいる、と騒いだのが滝丘であり、それをなだめたのが道馬だった。

「ただぶっちゃけ、俺は常田あたりがやってもおかしくないとは思ってたよ」

「そうだな。関が言うには常田は前にバイトでいた高島とか浜岡とか相田とかとはソリが合わなかったらしくて結構仲悪かったらしい。で、結構裏で言われてたんだけど、その中には常田は前科がある、なんてのもあったって言うからな」

 内藤はそう言うとビールを一口缶のまま飲んだ。

「でも、関の言う事なんて、なあ。俺は信用しないよ。だってこの前の真島さんと佐藤さんと小林さんで飲みに行った時の話聞いた? 関が元町中の沙村とタイマン張ってボコボコにしたって話。聞いた?」

「え? 沙村? 俺は岡島って聞いたけど。」

「いや、沙村だって。岡島は偉そうにしてたけど弱いよ。俺の友達の安達ですら岡島には勝ったから」

「安達って? 安達享の弟の安達?」

「いや違う、ほら飯島とか池田とかとよく遊んでた安達だよ。ほら弓道部の」

「ああ、あの安達か」

 その時、内藤が「なんか聞こえない?」と言って、二人は耳を澄ました。遠くの方で低くて鈍い振動が耳に伝わる。


 岐阜県東白川村の民家の一室で皆川義久は新聞を眺めていた。その日もいくつかの大きなニュースとその他の大きくないニュースが紙面を埋めていた。

「田所さんとこ、あれもう危ないぞ」

 皆川は台所で洗い物をしていた皆川路子にそう声をかけた。

「なに? 田所さんとこ? あら本当」

 路子はそう返答しながらも手を止めない。義久は新聞の死亡記事を熱心に読んでいた。皆、高齢者だ。大学の教授やら大企業の元社長やらが名を連ねる。今日の死亡者は松岡景住という大企業の元社長で九十六歳、もう一人が手塚忠徳という名の大学名誉教授で八十六歳だった。

「みんな長寿だなあ。この前亡くなった吉田のとこのじいさんなんて百四歳だからな。大変な事だよ」

「吉田さん? あのたいちゃんのとこの吉田さんかい?」

「そうそう。東藤さんのとこで診てもらってて、最後は結局近藤さんとこだったらしいけどな」

「ああ、そうかい。結局はそうだよねえ。近藤さんとこも良いっていうけどねえ」

「誰がそんな事言ってる? ヤブだよ」

「町田さんとか大橋さんなんかは近藤さんだっていうよお」

「三橋さんとこの凌ちゃんの話とか聞いたら怖くていけんわ」

「三橋さんって棚田の三橋さんかい?」

「ちゃうちゃう。中田の、ほら中田の幸生のとこの三橋」

「ああそっちか、なにあった?」

「何って、ほら吉川さんとこの、ほら、奈緒子が、あの旦那と揉めた時に」

 その時、低い音を感じて二人は会話は止めた。

「今の音、なんだ?」

「なんかどすーんって音したな」

「なんか事故か?」

 義久は路子にテレビをつけさせた。テレビはいつもと変わらない様子だった。

「事故じゃないし、地震でもなさそうだし。今の音、なんだ?」

「あら。綾ちゃんからメール来てたわ。なんだろ」

「あやちゃん? 斎藤さんとこのあやちゃん?」

「職場にバイトで入った子。一応私がいろいろ世話してるんだけど。前は小沢さんがやってたんだけど、前田さんから引継ぎなって結局土田さんが嫌だって騒いで藤田さんが皆川だって決めつけたらしくて。迷惑な話だよ」

「土田さんもなあ、あの人は昔からそうなんだ。あそこのじいさん俺よく知ってるんだよ。俺が村田さんとこで世話になってた時に吉田のたーぼうとか町田とかとよーくあそこのじいさんに奢ってもらったんだよ。今度町田に会ったら聞いてみな」

「なにこのメール。ぶい、えす、ってだけ書いてある」

「見せてみ」

 義久は路子のスマートフォンの画面を見た。そこには「VS」とだけ書かれた差出人・有坂綾のメールがあった。

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