多様性

タツマゲドン

逮捕

「何故入った」


 六畳も無い蛍光灯に照らされた殺風景な小部屋、四本足だけのテーブルの席に座った中年の警官は問い詰めた。


 彼が向かい合うのは一人の若い男。反省の態度は見受けられず、そっぽを向いて時折腕時計を確認していた。


「大人しく答えれば早く解放してやるから、さっさ楽になれ」

「……仕方ねえだろ、ウンコが漏れそうだったんだから……」


 若い男は呆れていた。疲れた目で無実を訴えるも、警官は優しく諭すどころか鼻で笑ってくれさえしない。部屋のドアに見張りがもう一人居るが、話を聞いているのかいないのか、ぼうっと前を見たままこちらには視線さえ合わせてくれない。


「いくら急いでいるとはいえ法律を破って良い事にはならないんだぞ」

「でも“身体的になら男”のトイレなんだし、細かい事言わないでくれよ」

「規則は規則、例外は無い。いいかね、性別というのは身体の性だけでは決まらん。心が男性か女性か両性かで三種類、そして恋愛対象となる性が男性か女性か両性かの三種類、これ

らを全て掛けて十八種類の性があり、それら性別を基にした決まり事は守らなくてはならない。些細な事なら、と見逃していては社会全体が緩んでしまう」

「分かってら……」






 取り調べや手続きを受けて一時間、やっと解放された。


 今日の出勤が午後からで良かったが、昼飯はゆっくり食えなさそうだ。健康志向のサンドイッチでもテイクアウトするか。


 そう考えた矢先、駅のホールに行列が出来ていた。


 またか──イライラが混じる人の列の先には、♂、♀の記号の組み合わせと、青、赤、緑で識別された、十八種類の性別標識。


 行列のあるのは二箇所――俗に言う、身体男精神男の異性愛者、身体女精神女の異性愛者――それだけだった。他のトイレには全くと言っていい程人は来ていない。


 市民の脳にはマイクロチップが埋め込まれ、人類は管理される……というディストピアSFじみた事は無かったが、登場から殆ど形態を変えていない板型の携帯端末がその代用となった。


 例えば公衆トイレの監視システムは端末の個人情報を読み取り、違う性別であれば通報される。強姦の防止が名目上ではあるが……俺も一時間前に行列を避けようとしてここで逮捕されたばかりだ。大事には至らずに済んだが、新型ゲームハード買うのは来月にしよう。


 飲食店コーナー向かって進む途中、駅のすぐ外の広場に人だかりが出来ていた。通行人が白々しい目を向けるそれらは何か怒っているらしい。


『我々無性別者を無視するな!』


 辛うじてそれだけは聞こえる。他の罵声もプラカードの主張も大抵同じだろう。


 精神医学の発達と複雑化は、心にも性愛対象にも性別特徴が殆ど、あるいは全く見られない者達の存在をも発見した。身体性も稀に存在しない奴も突然変異的なもので居るそうで。


 しかしそこへ目を付けたのが社会活動家とかという連中だ。何ならこのデモにも明らかに性別のある男や女が見える。


 どうせ何も考えずソーシャルメディアにでも感化されて訳も分からず怒ってるんだろう。少なくとも無駄に多いトイレのせいで俺は罰金を払わされ、今もきっと腹痛を訴えながら用を足せない人間が居るってのに。


 今でも馬鹿げた話だが、かつての性同一性障害者が身体性の違う、つまり精神性が同じトイレに入った事件をきっかけにトイレをその分設けろ、って頭おかしい主張が流行り始めた。


 公共トイレはまだいい。問題は更にこれで経済まで動いてしまう事だ。勿論悪い意味で。


 少し昔にフェミニストとかいう奴らが女性の社会参加においてある職業の女性比率を一定以上にしろという過激思想があったが、結局は既存の有能な人間から職を奪うだけだった。


 少数性別の奴らも同じ事を繰り返そうとしている。まあ俺は多数派に気をつけてくれりゃ少数派に文句を言う事はない。


 精神病の基準を設けた結果、今まで普通だと思っていた人物が異常者のレッテルを貼られる事態となってしなった。


 ともかく、アカウント作成は筆記試験でも設けて合格制にでもしてくれ……


 と悲観を心の内に歩き続け、目的のサンドイッチ店に着いたが、レジ前は行列が並んでいた。


 見渡しても、他の店も行列。断食はしたくない主義だ。俺は携帯端末を取り出した。


「すみません課長、ちょっとトラブルがありまして、五分程出勤に遅れそうです」

『そうか、分かった、気を付けてな。企画のデザイン案はバッチリだろうな』


 やや年配の電話の声の主は何かを心配するようだった。


「ええ、ベストは尽くしましたよ……」

『すまんな、こんな上からの注文に真面目に応えてくれて。まさか身体性男精神性女恋愛対象両性を対象にしたファッションの考案だなんて……』

「性がここまで分別され、ターゲットを絞るにも対象は少数だし、売上は大丈夫なのでしょうかね」

『最近は無性別者を狙った商品企画まであるらしい……私も無理だと分かってるさ。だが上層部が組織の活動方針をこうも社会思想、よりによってこんなひねくれたものを基準に決めつけては……』

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