第29話 引き篭もり

「ヒスイ〜。出てきてよぉ〜」


 私の部屋のドアが叩かれている。ドアの前の彼女は一日中私の部屋のドアを叩き続けているが,飽きないのだろうか。


「ヒスイ〜。お腹空いたよぉ〜」


 ご飯くらいは自分で作りなさい。

 私は引き篭もっていた。引き篭もり、震えていた。

 夜などは特に酷い。最近は全く寝ることができない。夜になると目の裏にあの光景が浮かぶのだ。それは死ぬ前に見た光景。

 私は二度死んだ。

 一度目は焼死。二度目は体を切断されて死んだ。

 思い出すのはその時の光景だ。目の前が真っ赤な炎で包まれて,全身に激痛が走ったこと。突然世界がひっくり返り,気づくと自分の下半身が遠くにあったこと。

 ……こんなことを思い出すなら、私は馬鹿でいたかった。知らぬが仏ってこういうことだったんだな。

 私には分からない。どうしてヒイロとソウは自分が死んだという事実に耐えられるのか。どうして自分が死んだ時の光景が頭に浮かんでも正気を保っていられるのか。


「ヒスイ〜」


 ドアの向こうからカリカリと爪の音が聞こえる。

 猫のようにドアを引っ掻いているヒスイ。あんな可愛らしい顔をしておきながら、頭は狂っている。

 きっと今も目を瞑って紅茶を嗜んでいるソウ。あんな綺麗な顔をしておきながら、頭は狂っている。


「おなかすいたよぉ〜」


 別にいいじゃないか。お腹が空いても。

 だって私たちは餓死しても、どうせ生き返るのでしょう?

 私は布団の中に深く潜った。

 もう魔法少女なんてやりたくない。もう死にたくないし、死ぬとかも見たくない。


「━━だらっしゃァァァ! めんどくせぇ! いつまでウジウジしとんじゃボケェ!」


 そう言ってヒイロがドアを蹴破った。

 しかし、叱る気力もない。


「ヒスイ! ヒスイは重く受け止めすぎなんだよ! 『死んでも生き返るなんてラッキー!』くらいに考えておけばいいんだよ!」


 そう言って私の布団を剥がそうとしてくる。


「いいから出てきてご飯作れよ!」

「……やめて」

「やめないよ!」

「やめてって言ってるでしょ!」


 私はヒイロを蹴り飛ばした。


「私はヒイロみたいに馬鹿じゃないの! そんな風に能天気に考えることはできないわよ!」

「能天気すら演じられないヒスイの方が馬鹿なんだよ! 辛くてなんだ! 嘆いて引き篭もって状況が変わるのか! そんなことをしてる暇があるならご飯を作りやがれ!」


 その時、目の前に青い光が瞬いた。その青い光はヒイロの額から伸びてきて、そして私の眉間に突き刺さった。


「え?」


 私の顔に赤い血が飛び散った。それはヒイロの血だった。

 ヒイロが白目を剥きながら前のめりに倒れる。私はヒイロが死ぬ瞬間を目に焼き付けながら、自分の生命の終わりを感じた。


 ●


「ヒスイ! ヒスイ!」


 ヒイロの声に気づいて目を覚ます。

 そこは前にも来たことがある真っ白な部屋だった。真っ白すぎて,奥行きが分からない天使の部屋だった。


「ヒスイ!」

「……ヒイロ」


 私はヒイロの頬に触れる。暖かくはない。死んでいるかのような冷たさ。

 いや、私たちは死んだんだっけ。


「ヒスイ! 帰るよ!」


 ヒイロが私の手を握りながら言った。


「ソウな奴! 私たちを殺しやがった! 狂った奴め!」


 そう憤慨するヒイロを見ながら私は言った。


「私はもう、いい」

「え?」


 ヒイロが目を見開いて私を見る。


「私はもう、生き返らなくていいわ」


 そう言うと、ヒイロはまた憤慨した。


「何言ってんの!? そんなこと許されるわけないじゃん! ヒスイがいないと私たちはご飯を食べられないんだよ!?」

「……ご飯くらい自分で作りなさい」


 ヒイロは首を振った。


「無理だよ! 私は言うまでもなく無理だし、完璧超人のソウだって、なぜか料理だけはできないんだから!」


 そういえばそうだった。ソウは成績もいいし運動神経も抜群。字も綺麗だし絵も上手。話も面白いし人当たりも良い完璧超人。でも料理をするとなぜかポンコツになるんだった。


「ふふ」

「何笑ってんのさ!?」


 その時、白い部屋のドアが開かれる。現れたのはマスコットのてんちゃんだった。


「ねぇ。お互いに殺し合うのはやめてよ。生き返らせるのだって、それなりに労力が必要なんだからさ」


 てんちゃんはそう言いながらふわふわと近づいてきた。


「じゃ、生き返らせるからそこに寝て」


 てんちゃんがそう言った。私は身体を起こしててんちゃんを見る。


「てんちゃん。私はやめます」


 そう言うと、てんちゃんの動きが止まった。ヒイロがてんちゃんに話しかける。


「聞いてよてんちゃん! ヒスイがもう生き返るのはやめるって言うんだ! もう殺されるのは嫌だって!」


 てんちゃんが私を見る。


「それは本気かい?」


 てんちゃんの視線が刺さる。しかし、私はもう殺されたくない。


「本気です。もう、死ぬのは嫌なの」


 ……


「ふーん。ま、無理だけどね」

「え?」


 てんちゃんは無表情で私を見た。


「ヒスイ。君は何か勘違いをしているようだけどさ、社会ってのはそんな甘いもんじゃないんだよ? これは仕事なんだから」


 てんちゃんはそう言って蘇生の準備を始める。


「自分に与えられた仕事に責任を持つのは人間として最低限の義務だと思うけどね。それとも何かな? 君は人間以下の畜生かな?」


 そう言って蘇生の準備を完了させたてんちゃんは、私のことをベッドに押さえつけた。


「てんちゃんやめて! 私はもう!」

「はい。動かないでね。正常に蘇生できないと酷いことになるよ? もう一回死んでもらわないといけなくなるからね」


 てんちゃんが詠唱を始める。


「ねぇ。お願い……もう嫌なの……」

「じゃ、さっさと魔人を滅ぼしてきてね」


 てんちゃんがそう言うと,私の視界は真っ白に包まれた。



 ●


 目覚めると,そこはベッドの上だった。

 私は静かに涙をこぼした。

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