第4話 敗北
私が目覚めたのは、前回魔人レインによって意識を奪われたときに見た病室の天井の下だった。窓が小さくあけられており、そよ風が私を撫でていた。
ズキズキと痛む頭を押さえながら体を起こす。そして、どうして今、自分がここに寝ているのかを考えた。
意識を失う直前、確かに死を覚悟した。記憶に残っている魔人レインの無表情は冷酷で、私の命を奪うことに何の躊躇もないような恐ろしさを秘めていた。
「……生きてる」
手のひらを閉じたり開いたりしながら、自分の体に異常がないことを確かめた。
「……はあ」
溜息を吐く。生きていたことは嬉しい。嬉しすぎて泣きそうだ。でも、それ以上に、よく分からない。意味が分からない。
「なんで私は生きているの? どうしてあのレインって人は、私を殺さないんだろう」
レインの行動を何も理解できない。一度目も二度目も、殺すチャンスはいくらでもあっただろうに、どうして殺さないのだろうか。
……情けなのだろうか。
でも、あの魔人レインの表情を思い出すと、情けをかけるような男には思えなかった。あの無表情はむしろ、任務を遂行する為なら何でもするといった残忍さがよく似合う。
「あー。もう」
言葉にならない苦悩の声を漏らしながら、髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回した。
そして、もう一度ベッドに寝転がった。
その時、ドドドドドと、大きな足音が聞こえてきた。その足音の主が誰なのか、姿を見る前から予想できた。その足音はだんだんと近づいてきて、ついには私の病室のドアを大きく開け放った。
「シザースグレー!」
病室に飛び込んできたのは、予想通り、ロックブラックとペーパーホワイトだった。
二人は既に大量の涙を流して、顔をぐちゃぐちゃにしていた。おそらく、中学校を抜け出して来たのだろう。彼女たちは中学校の制服を着たままだった。手にはなにやらビニール袋を持っている。
「シザースグレー!」
ロックブラックが私の名前を叫びながら、勢いよく飛びついてきた。そして私のお腹に顔を埋めてきた。
「もうやだよぉ! もうやだよぉ!」
ロックブラックが私に抱き着いて泣きじゃくる。
「もう、魔法少女なんてもうやだよぉ!」
私は泣きじゃくるロックブラックの頭を何も言わずに撫でた。
ペーパーホワイトは涙を流しているが、ロックブラックよりは冷静だった。手に持っていたビニール袋をテーブルの上に置いた。
「どうして。どうして一人で行ったのですか」
ペーパーホワイトは手を強く握りながら言った。私は答える。
「怪人が出たからだよ」
ペーパーホワイトは手をブルに拳を打ち付けた。
「そうなことを聞いているわけではありません!」
ペーパーホワイトは、私を睨みながら「私が聞いているのは! 私が聞いているのは……」と呟いた。
言葉に詰まってしまったペーパーホワイトに笑いかける。
「ごめんね。でも、それ以外に理由はないの。私は怪人が出たから退治しに行った。それだけなんだよ?」
私がそう言うと、ペーパーホワイトは黙り込み、ロックブラックと同様にベッドに顔を埋めて泣き始めた。
そして消えてしまいそうな声で言った。
「違います……シザースグレーは私達が一人で怪人退治に向かったのは、私達が今日うふに負けて、屋上に行かなかったからです。私達が行かなかったから、シザースグレーはまた、病院に運ばれてしまったのです」
ペーパーホワイトの言葉を聞いたロックブラックも「ごめんなさい。ごめんなさい……」と呟いた。
私はベッドに顔を埋める二人の髪の毛を柔らかく撫でながら、微笑んだ。
「いいんだよ。謝らなくて。だって、私達は魔法少女である前に、一人の少女なんだから」
ロックブラックが校庭で友達と楽しそうに話している様子を思い出していた。
「恐怖に負けたっていい。逃げたっていい。それが普通の女の子だよ」
二人は私の言葉に反応を示さず、延々と泣き続けた。
前にもこんなことがあったなとぼんやり考えながら、二人が泣き止むまで頭を撫で続けた。
それからしばらくして二人は泣き止んだのだが、二人は泣き止んでからも黙ったままだった。それに、私の手を掴んで離さなかった。
ロックブラックが右手、ペーパーホワイトが左手を掴んでいる。まるでおアアさんの手をつまんで離さない子供のようだった。
病院の看護師さんに帰ることを伝えたときも、二人は俯いてシザースグレーの両隣りにぴったりくっついて離れなかった。それを見た看護師さんは言った。
「仲良しですね」
私は苦笑いする。
「妹ができたみたいです」
その言葉を聞いたロックブラックが、私の腕に抱き着いた。
「どうしたの?」
「……」
ロックブラックは俯いたまま何も言わなかった。
「なんだかちょっと恥ずかしいなぁ。あはは……」
私は他の患者の目線を気にしながら、そそくさと病院を後にした。
その後、私は手を握って離れない二人のことを、家まで送り届けた。ペーパーホワイトはすんなり帰ってくれたのだが、ロックブラックは家の前についても手を握ったまま離れなかった。
すでに日は落ち切っていた。
「そろそろ遅くなるから……ね?」
そう言うと、ロックブラックは小さな声で「ごめん……」と言って、私から離れて言った。
ロックブラックの背中が妙に小さく見えた。
背後から「謝る必要はないよ」と声をかけた。ロックブラックがその言葉に反応を返すことはなかった。
●
「まあ、修行が必要なんだろうな」
私の部屋にて、ふわふわと宙に浮遊するデビちゃんは言った。
「あの怪人、いや魔人と言っていたか? 今のシザースグレーがあいつに勝てる見込みはゼロだ。どうやっても勝てねぇよ。万が一の奇跡が起こっても勝てねぇ」
私は暖かいココアを一口すすり、ほうと息を吐いた。そしてテーブルに突っ伏し、宙に浮くデビちゃんを見上げた。
「……そうだね。修行しなきゃだね。二人の分も、私一人でできるように」
ロックブラックとペーパーホワイト。二人の戦線復帰は絶望的だろう。お見舞いに来てくれた二人の態度は、そう考えるのに十分すぎるほど弱っていた。
いつもは冗談を言ってからかってくるロックブラックが、今日は縋り付くように腕を抱きしめていた。
いつもは触れ合いを避けたがるペーパーホワイトが、今日は自ら手を繋いできた。
きっと、いつものキャラを保てるほど、精神状態が安定していなかったのだろう。
それほどまでに、魔法少女としての人生に疲れてしまっているのだろう。
しかし、それについて、二人を咎めるつもりはない。毛頭ない。
私はむしろ、二人には魔法少女なんかやめてもらいたいと思っている。二人には、魔法少女として、命を危険にさらすようなことはしないで、普通の少女として生きて行ってほしいと思っている。
私は既に覚悟をした。
この先、一人で戦っていく覚悟を。
デビちゃんがキッチンから、デビちゃん専用の小さなコップにココアを入れて持ってきた。コップをテーブルに置き、尻尾でかき混ぜながらデビちゃんは言った。
「歴代の魔法少女で修行をしたやつなんかいないみたいだけどな。基本、魔法少女が怪人に負けるなんてなかったらしいし」
デビちゃんはココアをかき混ぜた尻尾を舐める。
「まあ時代は変わるし、お前には必要ってことだろう」
私はデビちゃんの言葉に首を傾げた。知らないことがあったのだ。
「歴代の魔法少女? 魔法少女って私たちの前にもいたの?」
私がそう言うと、デビちゃんは目を見開いた。
「お、お前。魔法少女の癖に、魔法少女の歴史とか知らないのか?」
私はデビちゃんの反応に少し不安を感じる。それって、知らないと非常識なのだろうか。
「えっと、知らないかも……。それって、知っておかないと恥ずかしいことだったりするの……?」
デビちゃんは少し固まった後に、溜息を吐いた。
「知っとくべきだろうよ。お前は魔法少女なんだから。俺でさえ調べたんだぜ? わざわざ図書館に忍び込んで」
私は「そうなんだ……」と呟く。顔が熱くなっているのを感じた。
「お、教えてくれる?」
私がそう言うと、デビちゃんはココアを一口啜ってから「上目遣いはずるいぜ」と言った。
「俺もざっと見ただけだから詳しいことはわからねえぞ?」
「それでもいいよ」
デビちゃんは、魔法少女の歴史について、私に語ってくれた。
「魔法少女。それは、人間の集合的正義感が具現化して生まれた存在らしい」
「集合的正義感……?」
難しい言葉を使わないでほしい。
「まあなんだ。人間に『正義のヒーローってどんな感じ?』って聞いたアンケートがあるとして、一番票を集めたのが魔法少女だったから、ほんとに魔法少女作ってみましたって感じだよ」
「へぇ~」
私にはデビちゃんが言っていることがよく理解できなかったけれど、一応相槌を打っておいた。
しかし、デビちゃんが溜息を吐いたから、きっと私の思惑はデビちゃんに筒抜けなんだと思う。
デビちゃんは、ココアを飲みながら言った。
「むしろ、どうして今まで自分のことを調べようとしなかったんだ?」
私はぎこちなく「アハハ……」と苦笑いをする。どうして自分について調べなかったのか、それは別に知らなくてもいいかなって思ったのと、単純に面倒くさかったから。
デビちゃんはココアを飲みながら続ける。
「人間の正義の具現化。それが魔法少女。人間が求めたから魔法少女が生まれ、人間に生み出された魔法少女は、人間の期待に応えなくてはいけない」
「……」
『人間の期待に応えないといけない』
それは、常々感じていることだった。周りの人々は、私たち魔法少女が怪人を倒してくれると信じている。
私達魔法少女は、その期待を背負いながら、今まで怪人たちから人間を守ってきた。
ロックブラックとペーパーホワイトが、挫けてしまったのは、そこにも原因があるのかもしれない。観所たちは、期待されるストレスに耐えることができなかったのかもしれない。
デビちゃんは「まあ、こんなの古めかしい本に書いてあったことだっから、知っていたところで何の役にも立たなそうだけどな」と言った。
「それよりも」
デビちゃんは、私を尻尾で小突く。
「俺は、お前のさっきの質問に驚きを隠せないんだよ。『私たち以前にも、魔法少女がいたの?』って、その質問は、ヤバいぜ」
私はデビちゃんの尻尾を払いのけながら言った。
「知らなかったし、知る機会もなかったんだよ。仕方ないじゃん。今から知ればいいでしょ」
私はデビちゃんに「教えて」と言った。すると、デビちゃんは「仕方ねえなぁ」と言いながら宙がえりをした。
「まず、お前らの一個前、先代の魔法少女がいたのは、数百年前と言われている」
「数百年前? そんな前の話なの?」
「そうだ。お前ら魔法少女モノクロームは、数百年ぶりの魔法少女なんだ」
デビちゃんは宙を漂いながらココアを啜る。
「先代の魔法少女についての情報はあまり残っていないが、とにかく強かったらしい。天を駆け、地を割り、海を燃やす。そんな魔法少女だったと書かれていたぞ」
デビちゃんは「それに比べて」と続ける。
「お前らは弱いよな。お前らは天を駆けることも出来なければ、地を割ることも出来ないし、海を燃やすことも出来ない」
「そんなの普通出来ないよ」
私がそう言うと、デビちゃんは笑った。
「お前らは普通じゃなくて、魔法少女だろ」
「……」
普通……だもん。私はともかく、あの二人は。
デビちゃんは「まあ、とにかくよ」と言って話を戻した。
「修行、するか? するなら俺がお前に呪いをかけてやるよ。俺の呪いは便利だからな。修行に最適なやつもあるぜ?」
私は顎に手を当てて少し悩み、小さな声で「やっぱりやらなきゃだめだよね」と言ってデビちゃんを見た。
「やるよ。修行。デビちゃん、お願いできる?」
そう言うと、デビちゃんは不気味な笑みを浮かべて「任せろ」と胸を叩いた。
●
「お前? 何してんの?」
そう言ったのはサンだった。今回は茶番をする雰囲気ではないみたいだ。まあ、二回目だしね。
会議室の温度が、サンの胸の炎によって上昇していた。
これには団扇がないとやっていられない。この会議室には残念ながらクーラーがないので、温度調節をできない。まあ、私達は自分で温度調節ができるんだけど。
「クラウド。冷房」
私がそう言うと、クラウドは手のひらの上に小さな雲を作り出した。
「もう一度聞くぞ? お前、何してんの?」
サンが問い詰める。
「わからない」
そう答えたのはレインだった。
レインはまたしても、魔法少女を生かしたまま帰ってきてしまった。前回と同様に、魔法少女を気絶させるところまでは、ちゃんとできた。でも、なぜかとどめを刺すことができなかったのだ。
サンは背もたれに寄りかかりながら後頭部で手を組んだ。
「お前、もしかしてビビってんじゃねェの?」
サンはレインを見下して、煽るように言った。
「お前、誇り高き魔人の癖に、ビビっちゃてんじゃねェのォ?」
私だったら秒でブチギレだなと思った。でも、レインは無表情のままだった。
「ビビってはない」
レインは無表情のままだったけれど、私にはわかった。というか、私だけじゃなくて、クラウドもウインドも、レインがブチギレていることに気づいているだろう。
長い付き合いの中で、レインの感情が読み取れるようになっていた。
そしてそれは、サンも同じことだった。
「隠さなくていいぜェ? ビビってんだろォ? ビビってるからとどめを刺さずに帰ってきちゃったんだろォ?」
サンはなおも、際限なくレインを煽り続ける。
サンの胸の炎が細かく爆発して、ボッボッ、と音を立てている。サンの感情はっ顔を見なくても音で分かる。彼の胸の炎は彼の感情に直結している。
なんかこのままだと二人が喧嘩を始めそうだった。でも、ああそれでもいいかなと思った。私は傍観してよっと。
しかし、クラウドが二人の間に入って喧嘩を事前に止めた。
「まあまあ。レインを煽るのはそのくらいにしてさ。そろそろ冷静に話し合おうよ。深刻な問題だよ? この洗脳問題はさ」
クラウドの言葉に、サンは胸の炎を落ち着かせて答えた。
「ま、そうだな。レインがビビっているんじゃなければ、本当に洗脳を疑う必要があるのかもな」
え。案外冷静かよ。サンならもっと激しく怒ると思っていた私は、ちょっとびっくりだ。
クラウドがレインに質問をした。
「レイン。まずは何があったのかを詳しく説明してよ。そのとき何を考えていたとかも含めて」
クラウドがそう言うと、レインは無表情のまま語り始めた。
「……説明すると言っても、前回とほぼ同じだから語ることはあんまりない。ただ、前回と違うのは、ちゃんと殺すことを意識していたのに殺せなかったこと」
レインは無表情のまま手を組み、テーブルに肘をついた。
「正直、自分でも何が何だかわからない。気絶した魔法少女にとどめを刺そうとした瞬間に、足が勝手に動き出して、俺はここに帰ってきてしまった」
レインの言葉を聞いた魔人たちは、何も言わずにそれぞれの思考をめぐらした。
殺そうとしてたのに、足が勝手に動いて帰ってきちゃった? なにそれ。そんなのマジで洗脳じゃんか。
私達は黙っていたのだが、その沈黙を唐突に破られた。いきなり大声を出したのは、ずっと大人しくアイスを食べていたサンダーだった。
「やっぱり洗脳だ! サンダーも洗脳したい!」
サンダーはそう言って飛び跳ねると、テーブルの上を走ってウインドで立ち止まった。
サンダーはしゃがむと、バチバチと光る電撃を巧みに操作して、糸と十円玉の形を模した電撃の塊を作り出した。そしてそれを、ウインドの目の前でゆらりと揺らした。
「ウインド~。あなたはだんだんサンダーにアイスを持ってきたくなるぅ~」
ウインドはニッコリ笑ったまま言った。
「サンダーちゃん、今日すでに二個も食べてるよね」
サンダーは一瞬顔を顰めたが、気を取り直して言った。
「上限に構わずサンダーにアイスを食べさせたくなぁるう~」
ウインドは「仕方ないなぁ」と言って立ち上がった。するとサンダーは「いやったぁ!」と叫んで飛び跳ねた。
「洗脳は存在する! 洗脳は存在する! うおおおお!」
まるで嵐のようだ。風邪と雷だし、嵐そのものって言っても、あながち間違いじゃない気もするけど。
サンがレインを見て口を開いた。
「おいレイン。お前、もう一回行ってこいよ。そんで魔法少女を殺して、ビビってるわけじゃないって証明しろ。三度目の正直ってやつだ」
先ほどサンにさんざん煽られて、めちゃくちゃブチギレていたレインだが、サンの言い分を理解したのか、立ち上がって会議室から出て行った。
テーブルの上で小躍りしていたサンダーが、クラウドの前にしゃがみ込む。
「なあなあクラウド! 洗脳の実験台になってくれ!」
クラウドは張り付けられた笑顔のままで手を横に振った。
「ええ。嫌だよ。洗脳怖いもん」
「ビビってんじゃん」
「そりゃビビるでしょ」
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