嘘吐きイノセント

 

 いつもと変わらない光景。

 何気なく過ぎていく日常。

 未来や将来なんていう遥か先のことは、漠然でも想像できない。

 数ヶ月先だってそう――目の前のことに一喜一憂して、今まで通り。呆気なく時間に流されて、終えていくだけの日々。

 これからだって、そうなのだと思っていた。

 変わらないと思っていた、わたしの日常。

 それは、わたしの一握りの勇気によって、少し違った顔を見せてきた。

「はい、プランター」

 よく晴れた日曜日。イチゴの苗を植えるというお母さんと一緒に、わたしは庭へ出ていた。

 いつもは見ているだけの光景だけど、今年は違う。

 今回は、わたしも育てるんだ。だって、約束したから。

「苗は、ここに置いておくわね。土は、これよ」

 専用のプランターを手渡され、土の量や植え方を教えてもらう。

 これから、この子を育てていく……そう思うと、使命感のようなものがふつふつと沸き起こった。

「良い感じね。たっぷりと水をあげてちょうだい」

「これくらい?」

「もう少し。うん、良いわ。上手ね」

 母親の指示の元、必要な工程を終えたわたしは、手を洗っていた。

 片付けを終えたお母さんが、隣に立つ。

苺樺いちかって、イチゴ好きだった?」

「どうして?」

「突然、育てるって言い出したから。何かあったのかと、気になったのよ」

 正直に言うのは、恥ずかしい。

 好きな男の子との約束のためだなんて、口が裂けても言えやしない。

 わたしは、適当な理由をつけることにした。

「学校でも育てるから、練習」

 これは本当だ。だから、嘘じゃない。

「学校で? そうなの。理科の授業?」

「ううん。委員会」

 手洗い場の前をお母さんと代わる。と、楽しそうな声が返ってきた。

「そういえば、飼育園芸委員になったって言っていたわね。そう、イチゴを植えるの。でも、できる頃には中学生ね」

 イチゴができるのは、五月頃。その頃には卒業しているわたしたち六年生の口には、入らない。

「うん。それもあって、今年は作ってみたいなって思って」

「そうなのね。じゃあ、上手くできるといいわね」

「うん。あ、そうだ。何かする時とか、絶対に教えてね。勝手にやったら怒るからね」

「わかったわ」

 なんとか、ごまかせたみたい。わたしは、ほっと息を吐く。

 そうして、わたしはイチゴの苗を見ながら、彼に話し掛けるチャンスがあれば植えたことを話そうと、心に決めた。

 とはいえ、なかなかそんな機会は巡ってこない。

 同じクラスにいても、あまり接点のないわたしたち。今までは、用事がある時しか話したことはなかった。

 だけど、今は違う。

 先月の小さな勇気が、わたしに幸運をもたらしていた。


「佐藤。餌って、これくらい?」

 わたしに話し掛けてきたのは、吉田くん。当番を忘れちゃう彼に声を掛けたり、活動内容に不慣れな彼からこうして質問を受けたりと、今では少しながらも会話をすることができていた。

「うん。それくらいで、大丈夫だよ」

 といっても、教室では相変わらずだから、話すのは当番の時くらいだ。

 それでも、やっぱりこれは飼育園芸委員に立候補したから得られた現状なのだと思うと、あの時の自分を褒めてあげたくなる。

 本当に、諦めなくて良かった。一歩踏み出せたことで手に入れた現在に、幸福感が宿っている。

 しかし、そんな週二回の当番の日を楽しみに過ごしているわたしには、一つ気掛かりなことがあった。

 もうすぐやってくるイベントに、恐怖しているのだ。

 その名は、運動会――

「あっつ……」

「今年は、ずっと暑いね」

 風が吹けば幾分か和らぐのだが、まだまだ暑い日が続いていた。

 吉田くんが、動物たちに視線を向ける。

「うさぎもニワトリもずっと日陰だから、マシかな」

「うん。一応、先生がこまめに体調をチェックしているみたいだよ」

「散歩の時間も短くしろって、言ってたしな」

 お世話を一通り終えて、小屋から離れる。

 昼休みは、もうすぐ終わりだ。教室へ戻るべく、わたしたちは校舎へ向かう。

 話すなら、今だと思った。

「あ、あのね。この前の日曜に植えたんだ、イチゴ。今年は、わたしも挑戦することにしたの」

「へえ、佐藤も? それって、おれのため?」

「えっ……」

「おれが、食べたいって言ったからじゃないの?」

 正直に「そうだよ」とは、恥ずかしくて言えなかった。

 イチゴが好きな吉田くん。以前、学校で育てるイチゴは食べられないと知り、残念がっていた。

 そんな彼のために植えたイチゴだったのに、わたしは口籠もってしまっていた。

「……、イチゴといえば、佐藤。食べたい物、決めた?」

「あ……」

 すっかり忘れていた。吉田くんは、イチゴをあげる代わりに、何かくれると言っていた。

 その代わりとなる食べ物を考えておいてと、言われていたのに……。

「もしかして、まだ悩み中?」

「う、うん……」

「そんなに、食べたい物がいっぱいあるんだ?」

 くすくすと笑う吉田くん。

 どうしよう。思いつかないだけなのに、このままじゃ食いしん坊な子だと思われちゃうよ。

「まあ、まだまだ時間あるし。決まったら、教えて」

「う、うん。わかった」

「それにしても、山本が学校休むなんて、珍しいよな」

「うん……風邪かな? 大丈夫だといいんだけど……」

 話題に上がったのは、かおりちゃんだ。

 わたしとは違って、活発な女の子。いつも元気で明るくて、とても優しい友達。

 以前、皆勤賞であることを自慢げに話していた。

 そんなかおりちゃんが、今日は珍しく欠席している。

 先生からは、休みとしか教えてもらえていない。

 明日は来られるかな? 心配だな……。

「山本の心配? 難しい顔してる」

「え……顔に出てた?」

「佐藤ってあんまりしゃべらないけど、顔でわかるな」

 そういう吉田くんは、あんまりしゃべらない上に顔にも出ないから、わからない。

 頭が良くて、クールで、いつも澄ました表情をしているけれど、実は忘れっぽかったり、時々意地悪なことを言ったりするし、イチゴが好きなんて可愛いところもある。

 他の男子みたいに変なことをしたり、騒ぎ立てたりってことはしない。

 だからか、彼はモテていた。六年の女子の大半は、吉田くんのことが好きと言っている。

 わたしは今、そんな彼と二人で階段を上がっていた。

 だけど、最上階の教室に辿り着いたら、この二人の時間もおしまい。

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