第39話 おおさわぎ
今年度の大陸周回
しかもその『知られざる英雄号』はノーディザムを出た直後に海賊の襲撃を受けたらしいという未確認情報も出回っているせいで、非常に注目を集めると共に様々な憶測が飛び交っている。
そこへ持ってきて最後の最後に天候が大きく崩れ、先頭集団が嵐の中に飲み込まれたのだ。最初に嵐を抜けた船がそのまま1位を獲得するという不透明かつ刺激的な状況に、観客のみならず帝都民の多くが関心を寄せていた。
「見えた!」
ヴェラの声に、ノエルとローザが船首方向を見る。丸1日嵐に揉まれ続けたせいで、2人とも体力の限界をとっくに超えていた。だがロンディニウムが見えたとなれば話は別だ。力の入らなかった腕に力が戻り、霞のかかっていた視界も明瞭になる。
「来ました!」
今度は船尾でノエルが声をあげる。じりじりと距離を詰めてきていた中型船が、最後の勝負とばかりに突っ込んで来たのだ。振り切りたいところだが、疲労の溜まり具合が段違いで思うように引き離せない。
このままいけば、おそらくほぼ同時に港に入ることになるだろう。互いに技術も体力も気力も全て振り絞った真剣勝負。雨にもかかわらず詰めかけた観衆の見守る中、2隻はもつれるように港に飛び込んだ。
一瞬の静寂。今度は全ての注目が大会主催者の用意した審判に注がれる。目を見開いて2隻を凝視していた審判は、やがて港中に響けとばかりに大声を張り上げた。
「……勝者! 『知られざる英雄号』!!!」
歓声が港を、いやロンディニウム全体を揺るがす。初出場の小型船が、大陸で最も権威ある大会において栄冠を勝ち取ったのだ。過去に例がないわけではないが、数十年ぶりの快挙である。
「やっ、たぁ……」
普段に比べると妙に可愛らしい声をあげてローザが崩れ落ちる。とっくに体力の限界は超えていたので当然だろう。ふとノエルがヴェラを見ると、こちらは無言のまま船首にうずくまって寝入っていた。
「えー、と」
如何に体力に自信のあるノエルといえど、限界というものはある。周囲の大歓声のおかげで意識を繋いではいるが、これまでの人生で体験したことのない眠気に苛まれているのも事実だった。
とはいえ、ここで3人揃ってひっくり返っているわけにもいかない。ノエルは気力を振り絞って桟橋に船をつけると、ローザを背負ってからヴェラを横抱きにして桟橋に降り立つ。ものすごい量の視線が集中しているはずだが、幸か不幸か気にする余裕が全くない。
「おめでとうございます! ものすごい快挙ですよ!」
「すいません、仲間が見ての通りなので休ませたいんですが」
大会を主催していた交易ギルドの職員らしき集団が、我先にと話しかけて来る。だがせめて2人を休める所に降ろさないと落ち着いて話もできない。その旨を伝えると、救護所として確保されていた宿に案内され、やっと2人を休ませることができた。
そのままノエルも休んでしまいたかったが、今後の安全のために話を通しておかないといけない。ノエルは交易ギルドの職員のうちなるべく高位の役職の者を呼んでもらい、もっともらしい表情で用意していた事情を説明した。
「お呼びとのことですが、どうかされましたか?」
「ええ、いくつか相談しておきたいことがありまして」
ノエルが話したのは海賊の襲撃の件と、海賊が何者かに雇われていたらしい件、真偽は不明だがガードナー伯爵家が絡んでいるらしい件などだ。ノエル自身の事情は伏せ、また憶測に過ぎない情報をさも聞いたように話している。ほとんど詐欺だが、もはやノエルはガードナー伯爵家に対して手段を選ぶつもりはない。
一通りの説明が終わると、ノエルはしばらく警護をつけて欲しいと依頼した。厚かましいようだが、今のノエルたちは一時的にとはいえ交易ギルドにとって重要人物だ。お互いにとって有益な提案である以上、遠慮する意味はない。
「それは大変でしたな。わかりました、護衛はこちらで手配しましょう」
交易ギルドとしてはノエルたちの抱える面倒事など知ったことではないだろうが、今ノエルたちが何者かに害されてしまっては交易ギルドの面子に関わるはずだ。交易ギルドを統括しているのはマレット子爵で、その上には財務大臣であるメイナード伯爵がいる。いずれも門閥貴族であり、ガードナー家に一方的に阿るような立場の家ではない。
ノエルとしては自分たちが注目を集めている間の安全を確保するために、何かあればガードナー家とマレット、メイナード両家の対立構造ができるように仕向けたのだ。こうなればグラディス本人はともかく、周囲が迂闊な真似を許さない。
「ありがとうございます。あと、表彰式はいつになりそうですか」
「6位の船が入港してからですからな。先ほど3位の船が入港しましたが、後続はまだ少しかかりそうです」
「そうですか、それまで起きていられるかな……」
「準備が整いましたら人を寄越します。それまではお休みいただいても大丈夫ですよ」
その言葉で、ノエルの緊張の糸も切れた。職員への礼もそこそこに開いている寝台に寝転ぶや、休息に意識が暗くなっていく。数時間後に迎えが来るまで、3人は泥のように眠り続けたのであった。
雨上がりの夕暮れ時、大陸周回競技の表彰式は盛大に執り行われた。表彰台の上には上位に入賞した船の代表がそれぞれ上がっている。次に『知られざる英雄号』が呼ばれれば、代表であるローザもまた壇上に上がる予定だ。
「大丈夫かいなローザ。カッチコチになってんで」
「あああ当たり前だろ! ゆゆ優勝だぞ優勝! ななんかの間違いじゃねぇのか!? それともアタイまだ寝てんのか!?」
表彰者の待機場所で盛大に狼狽え注目を集めるローザに、檀上から司会を務める女性の声がかかる。
「第1位! コーベット工房所属『知られざる英雄号』! 代表者の方は夢でも間違いでもないので落ち着いて壇上にお上がりくださーい!」
周囲が一斉に笑いに包まれ、ローザはより一層固まってしまった。しょうがないのでヴェラが引っ張っていこうとするが、体重差のせいでなかなか動かない。ノエルも手伝いに入り、ようやく壇上に上げることができた。
壇上で表彰されるローザは、優勝したという事実以上に注目を集めてしまっている。なにしろドワーフの船乗りは非常に珍しい。もしかして豊満なハーフリングなのかという声も聞こえたが、水夫としては役に立たないハーフリングを2人も載せていたというのはいくらなんでも無理がある。
初出場かつドワーフの船乗りが乗り込む、見慣れない形の小型船が優勝したのだ。話題にならないわけがない。今後しばらくロンディニウムではこの話題でもちきりだろう。当然、たった2人しかいない仲間についても話題に上るに違いない。
「なあノエル。いまさらやけど、こんなに目だってもうて大丈夫なん?」
壇上のローザを見上げながら、ヴェラがノエルに話しかける。周囲が煩いという理由でヴェラはノエルに片腕で抱えられていて、顔が近いので会話に不自由はない。これまた非常に目立つという問題はあるが。
「いえ、むしろ今は可能な限り目立ったほうがいいんです。これだけ目立っている人間に危害を加えようとすれば、加害者も目立たざるを得ませんから」
そう言ってノエルは先ほど交易ギルドの職員と交わしたやり取りをヴェラに説明した。ガードナー伯爵家は権力を持った門閥貴族だが、他にもそういう貴族家がないわけではないのだ。そういった貴族家の面子を潰す危険性をガードナー家が知らないわけがない。
「なるほどな。ほな今までとは逆に、ウチらの話題が下火になるまでは安全ゆうことやな?」
「そういうことです。そして僕たちが話題になればなるほど、あの人に対するこの上ない嫌がらせにもなります」
不敵な笑みを浮かべながらそう言った横顔を見て、ヴェラはノエルの心情がどのように変わったのかをおおよそで察した。
「ふーん、ええ顔してるやん。そらそやわな。やられっぱなしは面白ないもんな」
「ええ、ヴェラのおかげで気付きました。我慢して、耐え忍んで、評価されるまでじっと待つ生き方なんて何も楽しくない。憎まれたら憎しみを返す。愛されたら愛を返す。それでこそ生きている甲斐があるというものです」
「そやな、ウチもそう思うわ。……ノエル?」
ヴェラが気付いた時、その唇は塞がれる寸前だった。周囲の注目が、壇上のローザから口づけを交わす2人へと徐々に移っていく。司会者が何を思ったのかローザに2人についてのコメントを求めるが、頭を抱えているローザに答えられるはずもない。やがて誰からともなく起こった拍手が会場全体に伝わり、表彰式は喝采の中で幕を閉じた。
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