第38話 あしたのために

 そろそろ日付が変わろうかという時刻。『恒久の団結号』の船首方向から、急接近する船があった。進行方向に先回りした『知られざる英雄号』だ。この位置関係のままいけば高速ですれ違うことになる。


「さすがローザです。狙い通りドンピシャですね」


「褒めても何も出ねぇぞ。……いよいよだ、しくじんなよ」


 ノエルは2隻の船がすれ違う瞬間に飛び移るべく、船上で身構えていた。相対する『恒久の団結号』の船上ではまだこちらに気付いた様子はない。灯火があるとはいえ真夜中に、船首方向から無灯火のまま向かってくる『知られざる英雄号』を発見するのは難しいのだろう。フランシスの部下たちが騒ぎ始めた頃には、既にノエルは飛び移るための助走に入っていた。


「し、正面より船影! ぶつかる!」


 大型商船である『恒久の団結号』の舷側は『知られざる英雄号』のそれよりノエルの身長で2人分ほどの差がある。仮に海中から近づいたのであれば、乗り込むには鍵縄でもなければ不可能だったろう。当然ながら水夫たちに発見される可能性も高くなり、危険度が増す。だがこの方法なら脚力のみで甲板に上がることが可能だ。


「あれは! お頭に知らせろ! 例の奴らだ! 自分から向かって来やガッッッ!」


 すれ違いざまに飛び移ったノエルは、甲板に着地する前に騒がしい水夫を右手の銃で2度撃ち抜く。以前の癖で喋っている者を優先して黙らせたのだ。


「え? ベハッ!」


「なんヅヒュッ!」


 着地と同時に2人。さらに船室へ向かう者を1人。反撃も情報の伝達も許さず1人2発で処理していく。近接戦闘での2連射ダブルタップも確実に仕留める為の癖だ。弾薬の消費が多くなるが、身に沁みついていて戦場では咄嗟に撃ってしまうので止めようがない。


 甲板に残った水夫はあと6人。最も近い水夫の脛骨を蹴り折った直後、左方向に2発、右方向に2発と2発、また左方向に2発撃つ。残った1人は右の弾倉を交換しながら膝を蹴り砕き、心臓を肋骨ごと踵で踏み破った。


「ふぅ」


 改めて精神を集中する。銃声を聞きつけたのだろう。海賊たちが船室から上がってくる気配がある。船室に繋がる扉は2つ。それぞれに銃口を向け先頭の水夫を同時に撃ち抜くが、後続がその身体を盾にして強引に上がって来る。戦闘技術に見るべきものは無いものの根性は据わっているらしい。


 海賊たちの動きはあまり統率されていない。ノエルを取り囲もうとする者もいれば船上刀カトラスを振りかぶっている者もいる。彼らに優先順位をつけ、順番に潰す。別に難しくない。そして何の感情も浮かばない。


 身体は監視兵中隊センティネル時代と同じように動く。動いてしまう。ただ敵を見つけ、追い詰め、殺すだけの動きなら正確無比にできる。だがそれでは足りない。これは今までの戦い方だ。相手に対応の時間を与えず、一方的に蹂躙する。間違っているわけではない。だがこれでは得られないものがある。


 軍学校時代だったか、それとも訓練兵時代だったか、教官に言われたことがある。戦場では感情を抑えろと。あらゆる感情は戦いにおいて邪魔になると。その点において自分は優等生だった自覚がある。だが、それは本当に優れていたのだろうか。


「くっ」


 身の内から湧き出る感情に戸惑う。そうだ、何の感情も生まれないのであれば、抑える必要もまたない。やっと気付いた。また彼女に教えられた。自分は今、戦いを、殺しを


「くくっ」


 闘争の本質。憎いから殺す。当たり前だ、奴らは。これが潰さずにいられるか!


「はっ、ははっ、はははははははははっ!!!」


 先ほどから銃声は途絶えている。けれど海賊どもの命も次々に途絶えている。銃弾が足りないのではない。。よりはっきりと殺しの実感を得なければ、とてもこの昂りは鎮まらない。


 縦横に暴れ回る双脚が、海賊どもの頭を割り頸を砕き背骨を圧し折る。本当に、独りで来て本当に良かった。こんな姿、彼女に見せられるわけがない。




 我に返ったとき、甲板にいたのはノエルとフランシスだけだった。周囲に転がっているのは、人だった物体だけだ。


「なんなのよ、あんた……」


 思わずといった風情でフランシスが呟く。本来ならばその口が動いた瞬間、銃弾が叩き込まれていたはずだ。だが今のノエルはそうしない。


「聞いてないわよ! ただの軍人崩れって話だったじゃない! なんなのよこの化け物は!」


 フランシスが恐怖に呑まれている姿を見て、ノエルの感情がわずかに鎮まる。つまりはそういうことなのだろう。大切なモノを傷つけたモノには、とびきりの恐怖を味合わせてから潰したい。それがノエルという存在の本性なのだ。


「来るんじゃないわよ! 来ないでよ! そ、そうだわ、取引よ! 見逃してくれるなら、あ、あんたの知りたいことを教えてあげるわ!」


 その言葉でノエルの足が止まる。とはいえフランシスの提案に動かされたわけではない。どうせ背後を辿ればグラディス=ガードナーに行きつくのだ。途中に誰が挟まっていようと意味はない。ノエルが引っかかった理由はただひとつ。グラディスをどうするべきか考えたからだ。


 ノエルが生まれたその時から、グラディスはノエルを目の敵にしてきた。今さら和解などできようはずもないし、提案されても受け入れられない。ならばどうするのか。


 当面は逃げるしかない。グラディスの執念深さはよく知っている。このままロンディニウムに留まるのはどう考えても自殺行為だ。だが、逃げた後どうするのか。


 ヴェラとローザと、ずっと逃げ続けるのも1つの選択肢だ。だがヴェラのおかげでもう1つの選択肢が生まれた。潜水作業を繰り返し十分な武装を揃え、グラディスを、という選択肢が。


 いやむしろこの先もヴェラと共にあるのなら、これは選択肢というより大前提になる。グラディスに狙われている現状でヴェラとの間に子を授かれば、身動きが取りにくくなった挙句に愛する妻子を目の前で奪われるという、考え得る最悪の結果になるかも知れない。それが嫌ならばやるしかないではないか。


「なるほど」


「そ、そうよ! あ、アテクシは役に立つわよ! ここで殺すより利用することを考えるべきだわ! 損はさせないから!」


 何を勘違いしたのか、ノエルに対して必死に売り込みを始めるフランシス。確かにこの男を信用できるなら、色々と役に立つのは確かなのだろう。だが。


「あなたのおかげで色々と気付くことができました。感謝します」


「そ、それじゃあ……」


 生存の可能性が見えたことで、フランシスの目に希望が灯る。これだけ必死なら、あるいは全力でその能力を発揮するかも知れない。しかし。


「それはそれとして、貴方が生きているとムカつくんですよ」


「ひっ!」


 4年もの間ヴェラを苦しませ続けた男を、生かしておけるわけがない。それが理解できない時点で、やはりこの男は無能だ。


「だから、潰します」


 ノエルの宣言は終わったと直後に、唸りを上げた蹴撃によって達成されていた。

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