第35話 わるいゆめ
港街ノーディザムから出航する『恒久の団結号』の船上で、フランシスは凄絶な笑みを浮かべていた。
「逃がさないわよォー! 餓鬼の浅知恵でアテクシから逃れられるわけがないじゃない!? さんざん虚仮にしてくれた恨み、その躰にキッチリと刻んでやるわ!」
フランシスの言い分はかなり偏っているが、嘘というわけではない。レアード海運から要の人材であるヴェラを引き抜かれ、あまつさえ未払い給与だの損害賠償だので多額の金を毟り取られた。牢に繋がれ、出てきたら商会も船も家すらも売り払われていた。弟は重傷を負わされたが、その治療費を支払う目途も立たない。全てノエルのせいだ。
コーベット工房への支払いもできず、海運商会としての再起は絶望的。仮に再起できたとしても、交易ギルドからの信用を失った上に憲兵隊や調停局に目をつけられてしまっている。以前よりも厳しい状況の中でまっとうな商売などやっていられない。これもやはりノエルのせいだ。
だがノエルに直接恨みを晴らそうにも、オーエンの話では彼と互角以上に渡り合った上に、決着がついた後に容赦なく重傷を負わせるような相手である。一筋縄ではいかないだろう。それ以前に所在すら掴めていない。そんな時だ、どこぞの貴族家の使いとやらが接触してきたのは。
その男の主人はノエルに大変な恨みがあるらしい。少なくない前金を用意した上で多額の成功報酬を約束し、ノエルから親しい者を引き離しつつ地獄の苦しみを与えろと依頼してきた。恨みが晴らせて金になる。新しい門出にぴったりではないか。フランシスは二つ返事で依頼を受けた。
その後は運が向いてきたのか、コーベット工房でノエルの足取りだけでなく予定まで掴むことができた。ついでに親方のダリルを丸め込んで船まで手に入れることに成功する。後は水夫を集めればいい。そう、以前雇っていたような腰抜けどもではなく、これからの商売に向いた人材を集めなければ。
フランシスは魔術治療を終えたオーエンを連れてロンディニウム中の安酒場を練り歩き、見込みのありそうな水夫たちを集めていく。フランシスの舌先三寸とオーエンの暴力で、手駒になりそうな水夫を揃えるのに大した日数はかからなかった。
これで一通りの準備は整ったはずだ。だが、フランシスはノエルやヴェラ、それにローザの能力を過小評価はしていなかった。特にローザの作った小型船の性能について、フランシスは以前から評価していたのだ。ローザの父であり、熟練の船大工であるはずのダリルよりもずっと。
あの小型船はかなり思い切った設計思想で作られていて、水夫にかなりの負担を強いる代わりに驚異的な速度を実現している。もし仮に『素質は高いのに他の船の癖に染まっていない水夫』があの船に慣熟したならば、恐ろしいほどの性能を発揮するだろう。そこにヴェラの風の加護が加われば、その速度は他を圧倒する。
フランシスは考えた。現在手元にある船もまたローザの設計した物だが、元々商船として発注しているので速度に特化しているわけではない。また海上での戦闘にも向いているとは言い難いだろう。この船で襲撃をかけるのは愚策と言えた。
だがノエルたちが参加しているのは大陸周回競技だ。ならば最後に通る海域を特定することは難しくない。あとは状況に応じた戦力を整えればいいだけだ。フランシスはオーエンとダリルを伴ってノーディザムに移動すると、情報の収集と戦力の確保に走り回った。この場合の戦力とは現地の海賊たちである。
レアード海運時代は無自覚だったが、フランシスは口先と暴力で人を洗脳し隷属させる術に長けていた。オーエンもまた暴力で人を支配する能力を本能的に身につけており、2人の指揮する『恒久の団結号』は襲い来る海賊を片端から返り討ちにしつつ傘下に組み入れていったのだ。
そして今、フランシスの指揮による包囲網は完成しつつあった。ダリルによるローザの引き抜きには失敗したが、人質など取らなくても十分な戦力は整えてある。ノエルたちの行く手には配下に組み入れた海賊たちの小型
「あと少しよぉ。ヴェラとローザはあの餓鬼の前で嬲って犯して、その上でアテクシたちの奴隷になってもらうわぁ。そしてあの餓鬼は全てを失ってからぼろ雑巾にして浜辺に捨ててやろうかしら。殺しちゃいけないってのがホント面倒よねェ」
目前に迫ったお楽しみを思い浮かべながら、フランシスは不気味な笑みを浮かべるのだった。
ノーディザムからロンディニウムへ向かう航路を少し進んだ海域で、オーエンは部下たちと共に獲物を待っていた。
「もう少しだ。もう少しでお前に会える。待っていてくれ、ヴェラ!」
水平線の彼方には夕日に照らされながら『知られざる英雄号』がこちらに向かってきている。あちらにとっては逆風のため蛇行するような形で航行しているのだが、それでもなかなかの速度だ。下手を打てば逃げられてしまうかも知れない。
「おうてめえら! あの船は足が速い! 間を抜けられるんじゃねぇぞ!」
相変わらず具体性の乏しい指示を飛ばすオーエン。だが今の部下たちは前の部下よりもオーエンの恐ろしさを骨身に染みて知っている。そのため気合だけは十分に高まっていた。
「あとあの船の奴らは1人も殺すな! 特に女は傷もつけるな! 破った奴はわかってんだろうな!」
こちらの指示は先ほどよりは具体的だ。欲望が絡むと頭が多少は回るらしい。そしてオーエンの指示を忠実に守るため、水夫たちは用意していた武器のうち弓矢を降ろした。
その、直後。
「ガッ」
水夫の1人が、額から血を流しながら崩れ落ちる。広がり続ける血だまりの中、ぴくりとも動かない身体が水夫の命の行方を示していた。
「えっ?」
オーエンにせよ部下にせよ、海で仕事をしていた者なら銃についてはある程度の知識があるものだ。だが知識があるからこそわかってしまった。今の銃撃の出鱈目さを。
撃ったのは標的の小型船で片膝をついている男だろう。手に
「グアッ! アアアァァァッ!!!」
別の水夫が今度は肩を撃ち抜かれた。最初から肩を狙っていたのだろうか。それとも頭を狙っていて外れたのか。わからないが、外れたのだとしても十分に危険な腕前だ。
「ゲフッ!」
「フグッ!」
胸に銃弾を受けた者、腿に風穴が空いた者、次々と死傷者が出る中、1人の水夫がオーエンに懇願した。
「お頭ぁ! このままじゃやべぇ! こっちは風上なんだ! 弓を、弓を使わせてくれぇ!」
だがオーエンは状況がわかっていないのか、首を縦に振ろうとはしない。
「うるせぇ! ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと接舷しやがれ! 俺の言うことが聞けねぇのか!」
このオーエンの命令によって、水夫たちの悪夢が始まったのであった。
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