第29話 またたくらむ

 大陸周回競技レースが目前に迫ったある夜、コーベット工房からほど近い酒場の一角で、ダリルは安酒をあおっていた。


「ちっ、面白くねぇ、ローザの奴」


 ボソリと零した呟きからも、苛立ちが見て取れる。ダリルの機嫌が最悪なのは、誰であっても一目でわかるだろう。そして原因もまた一言でわかる。ダリルの娘であるローザは、先日から大陸周回競技に出ると言ってその練習に打ち込んでいた。ダリルが止めてもお構いなしだ。


 今のコーベット工房は仕事がなく、金になるかわからない船を作るしかやることがない。だからローザが工房にいなくても問題はないのだが、ダリルが気に入らないのはそこではないのだ。


「あんなもん、一流の職人がやることじゃねぇ、三流のやることだ」


 ダリルにとって、競技に出るということは恥ずべき売名行為だった。一流の職人ならばそんなことをしなくても仕事のほうからやってくるのだ。まして自分の船を出すだけでなく、自ら船に乗るなど恥以外の何物でもない。それがダリルの信条だった。


 ちなみに競技には帝都一の職人と言われる者が製作した船も、同じく帝都最高の工房が製作した船も出場するのだが、そこは都合よくダリルには見えていない。


「なんにもわかってねぇ小娘が、勝手ばかりしやがって」


 ダリルはもう随分前から、ローザとうまくいっていなかった。ダリルはそれを父親と年頃の娘のすれ違いだと考えていたが、実際は違う。そもそもダリルとローザは性格が噛み合っていないのだ。過去になんとか関係性が築けていたのは、妻であるドナの存在あってこそだった。


 だが既にドナはおらず、さらに工房の経営は危機に瀕している。このような状況ではローザもダリルに譲歩できなくなっているのだが、それがダリルにはわからない。ダリルにとってローザはドナと似ても似つかない、不出来な娘でしかなかった。


 とはいえその不出来な娘の稼ぎが無ければ、この酒すら飲めていないという現実からはなんとか目をそらしている。いや、そらしきれていないからこその不機嫌だろうか。


「ま、赤っ恥かいて帰ってくりゃいい。そうすりゃ目が覚めんだろ」


「そうなるといいわねぇ?」


 唐突に背後から聞こえた声は、ダリルにとって聞き覚えのあるものだった。そんなはずはないと思いつつ、急いで振り返るダリル。


「お、めぇ、フランシスじゃねぇか」


「おひさしぶりねぇダリル。元気してたかしら?」


 そこにいたのは詐欺と傷害で憲兵隊に捕まったはずのフランシスだった。先日ノエルたちから報せを聞いたダリルは、その際に慌てて面会に行っている。だがその時はまだ取り調べ中ということで会えなかった。あれから半月と経っていないが、もう釈放されたのだろうか。


「それよりおめぇ、捕まったって聞いたが大丈夫なのか?」


 ダリルとしてはフランシスが捕まったのは何かの間違いだと考えていた。ただし、何か根拠があって思ったわけではない。そのほうがダリルにとって都合がいいだけである。


「大丈夫じゃないわよぉ。船も事務所も家も全部売っぱらわれて、金は罰金と賠償金で取られちゃったわ。水夫どもはみんな辞めて他所へ行っちゃったし、オーエンの治療費もかかったから借金まみれよ」


「そいつはひでぇな。なんでそんなことになったんだ」


 フランシスに金がなければコーベット工房への支払いもできないのだが、ダリルはそれよりも事情を聴くことを優先した。これも別に人情を優先したわけではない。工房の経営に対する危機感が足りないだけだ。


「ウチの航海士やってたヴェラってハーフリングの女、覚えてる? あいつに裏切られたのよ」


「は?」


 覚えているも何も、最近は毎日のようにローザと連れだって競技に向けての訓練をしている。能天気そうな女でどうせ何も知らないと思っていたが、どうやらとんだ食わせ物だったらしい。


「その女、ヤバい奴なのか」


「ヴェラ自身には大したことはできないわね。けどノエルって男が一緒なら、そいつはかなり危ないわ」


 確かにヴェラはいつも人間の男と一緒にいる。女の、それもハーフリングの尻に敷かれているとんでもない軟弱者だと思って気にしていなかった。だがそういうことならローザを一刻も早く連れ戻さなければならない。


「そうか。それで、お前これからどうするんだ」


「んー、当面はヴェラたちを探してお仕置きね。ちょっと断れないところから頼まれちゃってさ。終われば借金もチャラだし、あんたんとこへの支払いもできるようになるわね」


 それは逆に言えば、ヴェラたちを捕まえないとフランシスは借金まみれのままであり、コーベット工房への支払いもできないということか。いかに危機感の薄いダリルでも、それは見過ごせない。


 何よりダリルにとって、フランシスは数少ない友人だ。その友人を裏切った女と、手を組んだ男を許すわけにはいかない。それにこのまま放っておけばローザがどうなるかわかったものではないではないか。


「その二人なら、最近うちに出入りしていた」


「なんですって?」


「大陸周回競技に出るつもりらしい。うちのローザが騙されて巻き込まれてる」


 ダリルの言葉に、口の端が吊り上がるフランシス。思わぬ幸運に、思わず肉食獣の笑みが零れる。だがふと何かに気付くと、その表情を引き締めた。


「ちょっと待って。今出入りしていたって言ってたわよね? 今はどこにいるのかしら?」


 フランシスの疑問に、僅かに首を振ってダリルが答えた。


「もう大会まで日がないからな。検査のために船を主催者側に預けるとか言って、昨日から顔を出してねぇ。ローザもそっちに付き合わされてる。たぶんこのまま出航するつもりだろう」


「なんてこと! せっかく手がかりを掴んだと思ったのに!」


 醜く顔を歪めて激高するフランシスだが、またしても何かに気付き表情を戻す。色々と問題のある人物だが、感情の制御は早いようだ。


「待って、あいつらが出るのは大陸周回競技よね? つまり、最後にはまたロンディニウムに帰ってくる」


「あ、ああ。だいたい20日は最低でもかかるはずだが、戻って来るのは間違いない」


 少し考え込んだフランシスは、今度は薄っすらとした笑みを浮かべてダリルに確認した。


「……ねえ、アテクシの注文した船、もうできてるかしら?」


 確認されたダリルは、即座にフランシスの意図に気付く。競技とは逆方向から大陸を回り込み、ヴェラたちを捕まえるつもりなのだろう。ロンディニウムで待ち構えるという方法もあるが、競技の終盤にある難所で途中棄権リタイアでもされたら所在がわからなくなる。


 そういうことであれば友を助けるため、娘の目を覚まさせるために協力しなければなるまい。


「もうほとんどできてるが、細かい仕上げがまだだ」


「いいわ。5日以内にできるなら問題ない。全部終わったら割り増しで払うから、5日後までに仕上げてちょうだい」


「わかった。だが、ローザへの仕置きは加減してくれよ。嫁入り前の娘なんだからよ」


 全面的な協力姿勢を見せるダリルの要望に、フランシスは爽やかな笑みでもって快諾した。


「ええ、もちろん」


 加虐嗜好者サディストとしての欲望を笑顔の下に隠しながら。

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