第28話  ものたりない

「ふあぁーあ」


 思わず漏れた欠伸が船渠ドックの中に響きわたる。数日ぶりに工房で一日を過ごしたローザは、どうにも満たされない思いを抱えていた。今日は一応休日なのだが、その休みがどうにも長く感じてしまったのだ。


「なんだかねぇ」


 以前であれば今日のように『知られざる英雄号』の整備をし、改良案を考えるのは至福の一日だったはずだ。だというのに物足りない。それどころかドワーフにとって船の上というのはとにかく落ち着かない場所にもかかわらず、今日船に乗れなかったことで退屈だと感じてしまった。


「どうも落ち着かないね」


 この原因はいったいなんなのか。一つは大会に向けての訓練が順調であることで、期待感が高まっているというのはあるだろう。元々ヴェラの風向予測や操舵指示は高水準だったが、それに加えノエルの操船能力が目に見えて向上している。ローザ自身も操船にかなり自信がついた。これなら大会でもそれなりの成績は取れそうである。


 それにヴェラたちが潜水作業サルベージで引き上げてくる品物の件もある。ヴェラたちが引き上げてきた物は技術屋として興味深い物が多い上に、それらを売った金額の一部がローザの懐に入るのである。昨日の訓練の終わりに交易ギルドで一部を除いて換金したが、受け取った分け前は雇われ船大工の一月の給料を超えていた。それに味をしめたのも無いとは言えない。


「さすがに毎度あんな金額になるとは思えないけどね」


 だが最もローザが物足りなさを感じたのは、あの二人に会えないことだった。いや正直に言えばあの二人の惚気については辟易しているのであるが、それはそれとしてあの二人の傍は実に居心地が良いのだ。


 あの二人はローザを一人前の仲間として扱ってくれる。当たり前のことのようだが、ローザにとっては当たり前ではない。そもそもドワーフの女性はハーフリングと同じく人間からは舐められやすい。人間を基準にすると12歳程度の少女にしか見えず、ドワーフ男性のような威圧感もないことが原因だ。そこに加えてドワーフは男尊女卑の風潮が強いので、同族男性もローザを軽く扱う。


 これが成人前や半人前の時ならある程度はしょうがないと飲み込めもするが、もう15の成人をとうに過ぎた18歳だ。船大工としての腕において父はおろか弟にも劣るが、その代わり設計や見積は父や弟よりも得意なのである。何より父も弟も接客や営業ができず、その点においてはローザに頼り切りなのだ。だというのに女だという理由で蔑ろにされてしまう。


「ったく、ケツの穴が小さいったらありゃしない」


 実のところ、父も弟もローザがヴェラたちと競技レースに出ることを快く思っていない。というより、ローザが何らかの功績を立てることが気に入らないのだ。


 ドワーフの価値観において、最も尊ばれるのは腕のいい職人である。そしてローザの父であるダリルは間違いなく優れた職人だ。後継者として期待されている弟のガスも、優れた職人の片鱗を見せ始めている。その点において、ローザが劣っているのは事実だ。


 だがドワーフの価値観はともかく市場経済の枠組みにおいて、優れた職人の価値とは成果に結びついてこそ評価される。成果を出せない職人など誰も評価してくれない。どんなに腕が良くても、仕事にありつけなければ意味がないのだ。


 そして今のコーベット工房の窮地に対して、一家の中で最も職人として劣るローザだけが有効な対応を行っている。その事実が認めがたいのだろう。口を開けば「大人しくしていろ」だの「出しゃばるな」だのと言ってくる。


 ちなみにダリルもガスも、レアード海運が発注した大型船を完成させるべく作業を続けてはいた。だがそれを売る算段は全く立っていない。それを可能にする者がいるとすれば、それもやはりローザのみだろう。


「そこんとこわかってんのかね、二人とも」


 ローザが競技に出場し、ある程度の成績を出せば船の買い手が見つかりやすくなる。ただし『知られざる英雄号』はローザが一人で設計し、製作した船だ。その船にローザが乗り込んで競技に出るのである。表向きはコーベット工房の名前で出場するのだが、実際にはダリルとガスの関与は一切存在しない。


「だからこそ気に入らないんだろうけどね、バカバカしい」


 おそらくダリルは、ローザの母であるドナが存命だったころに戻りたいのであろう。ドナはドワーフ名士の娘で、控え目な性格でありながら豊富な人脈を持っていた。その伝手のおかげでダリルには十分な仕事が回ってきていたのだ。その上でドナは常にダリルを立て、全てをダリルの功績としていた。


 だがドナが幼いローザとガスを残して病死すると、状況は徐々に悪化してしまう。ダリルには営業の経験がないだけでなく、その重要性すら理解できていなかったからだ。ダリルの認識では仕事とは、優れた職人の元に勝手に集まって来るものだった。そのような意識なのでドナの存命中から取引のあった顧客も、横柄で客との関係がうまく築けないダリルから離れていく。


 当然の結果としてコーベット工房の経営は傾いてしまう。ダリルの態度を気にしない顧客は限られており、条件の良くない仕事でも引き受けざるを得なくなった。ちなみにレアード海運との取引が始まったのはこの頃だ。ダリルはレアード海運のフランシスを話のわかる仲間だと認識しているが、別にフランシスは顧客として優良だったわけではない。むしろ払いは渋いほうだった。


 そんなコーベット工房をなんとか立て直したのは、まだ成人にもなっていなかったローザだ。駈けずり回って慣れない営業をこなし、あちこちに頭を下げてまわって仕事を貰ってきた。それでどうにか工房を潰さない程度には持ち直すことに成功したのだ。


「別に、感謝しろとは言わないけどさ」


 ただ認められないことが虚しいし悲しい。ダリルはローザにドナの代わりを期待しているが、ローザにはドナのような伝手はないのだ。他所から仕事を回してもらえない以上、自分で仕事を取って来るために設計や見積に関する本格的な知識も必要になる。だがそれらを学ぶために工業ギルドへ出入りするローザを、ダリルは生意気だと言って認めようとしなかった。


 ローザはドナの思い出の詰まったこのコーベット工房を守りたかっただけだ。だが同じ事を考えているはずのダリルともガスとも協力できない。彼らとローザでは、見えているものが違いすぎるのだ。


 ダリルはガスを後継者と定め、己の持つ技術と知識を余すところなく伝えている。そのおかげでガスは成人したてとは思えないほどの優れた職人となっていた。だが同時に、ダリルのできないことは何一つ身につけていない。それでは他所の工房で働くことはできても、工房の主としての経営はできないのだ。だがそのことをダリルもガスも理解しようとしない。


 この歪な関係のまま工房を続けていくことは、いったい誰のためなのか。もうローザにはわからなくなっている。


「ままならないね、まったく」


 その呟きと共に漏れた溜息は、船渠の中に響くことなく散っていった。

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