第19話 ゆるさない

 ガードナー伯爵家当主であるコンラッド=ガードナーは、自邸の執務室にて妻であるグラディス=ガードナーの詰問を受けていた。


「ですから、何故あの罪人を罰することができないのです!?」


「何度も言っているだろう。罰は罪に対して与えるものだ。あの者は別に法に反することをしておらん」


「存在することそのものが罪ではございませんか!」


「それは君の理屈だ。帝国の法ではない。そんなもので陛下からお預かりした憲兵を動かすわけにはいかん」


 感情的にまくし立てるグラディスに対し、コンラッドはあくまでも冷静に対応する。二人が話題にしているのは、先日ガードナー伯爵家から放逐されたノエルのことだ。


 グラディスにとって、ノエルは罪の象徴だった。世間から見ればノエルは不妊に悩むグラディスの代わりに、コンラッドが他の女に産ませた庶子というだけの存在だ。


 しかしグラディスにしてみれば、自分を愛する夫が不本意ながら身を穢す相手を務めた女の、罪が結実した対象だ。女が既にこの世にいない以上、生きている限り罰を引き受け続け、苦しみ抜かねばならない罪人がノエルなのだ。


 本来であればコンラッドもまた率先して罪人を責めぬかねばならないというのに、夫は全く理解する様子が無い。グラディスの必死の訴えに対しても素っ気ない対応だ。


「せめて今の動向だけでも掴んでおくべきではありませんか!」


「いい加減にしたまえ。私とて暇ではないのだ。勘当して放逐したあの者にかける手間が惜しいのだよ」


 このコンラッドの言葉に嘘はない。そもそものところ、コンラッドは今まで積極的にノエルに辛く当たったつもりはないのだ。自分の血を分けた息子ではあるものの、最初から大して関心がなかったのだから。


 これまでノエルが苦しんできた原因は、コンラッドが権力の行き過ぎた乱用や不正にならない範囲で、グラディスの要望に応えてきたからだ。それも、そうしないとグラディスが煩いというのが最大の理由だった。


 コンラッド=ガードナーという男は、生粋の門閥貴族だ。古き血を尊び、帝国と帝室に無限の忠誠を誓っている。各地を治めつつ覇権を虎視眈々と狙う領地貴族共や、軍を掌握して勢力の拡大を望む軍閥貴族、さらに力任せの蛮族に等しい魔導貴族共とは違うのだ。


 門閥貴族は悪く言えば特権階級に胡坐をかいた、選民思想の塊のような貴族だ。彼らは血筋を重視し、成り上がりを嫌う。社会の停滞こそが彼らの利益につながるのだから。


 だが良く言えば帝国と帝室に絶対の忠誠を誓う忠臣の集団でもある。彼らは悪法を定め自分たちの利益を追求することはしても、法を犯すことは決してしない。彼らは皇帝の定めた範囲の内側でのみ利益を貪り、いざとなればその身を犠牲にしても帝国に尽くすのだ。


 そんな門閥貴族の一員であるコンラッドにしてみれば、皇帝から預かる憲兵隊から情報を吸い上げる程度はいいとしても、ノエルに私的な制裁を加えるために憲兵を動かすというのはもっての外なのである。


 その点の認識が同じ門閥貴族の出身でありながら、自身の感情を第一とするグラディスとかみ合わない。もっともこれは今に始まった話ではなく、結婚前からずっとなのだが。


「このままではあの罪人は罪の自覚を無くし、思い上がってしまうではありませんか! そんなことが許されるとお思いですの!?」


「もういいではないか。あの者はガードナー伯爵家にも、帝国の中枢にも関わることは二度とない。君もそろそろ忘れなさい」


「いいえ! いいえ! あの罪人も! あの罪人と関わる者にも災いが降りかかるということを知らしめなければならないのです! どうしてそれがおわかりになられませんの!?」


 グラディスの元には父である宰相から、ノエルの動向について情報が届けられていた。とはいえ憲兵隊や調停局、さらに交易ギルドからの断片的な情報を繋ぎ合わせたもので、誰かがノエルを追跡して得た情報というわけではない。


 しかもそれぞれの現場から上層部へ報告され、宰相の部下が取りまとめた後にグラディスの元へ届けられるため、情報の鮮度も高くないのだ。


 最新の情報によるとノエルはハーフリングの女の依頼で調停の代理人を務める予定のようだが、調停の日時はグラディスが情報を受け取った時点で過ぎていた。これでは妨害もできない。


「ならばどうすると言うのかね。調停で一度下った裁定を後から覆すには、それなりの根拠が必要だ。そうでなければ調停官を動かすことなどできぬ」


 調停官もまたそのほとんどが門閥貴族であり、平民から採用される場合でも能力以上に思想が重視される。いかに宰相の娘であっても、恣意的に動かせる者たちではない。


「そもそも、なぜあの罪人を軍から追い出したのです!? あのまま使い潰せば良かったではありませんか!?」


「例え何の成果もあげていない者でも、前線に2年以上いた者を一等兵のままにはしておけん。そもそも、本来であれば監視兵中隊センティネルは配置された時点で上等兵以上に任官されるのだ。あの者を一等兵に留め置いたこと自体が特例なのだぞ」


「あんな罪人は一生最下級の兵士で十分です!」


「他の兵士たちからどう見えるのかという話だ。どのような方向性でも、特例というのは少ないほどいい。あの者をこれ以上軍に置いておけば、昇進が避けられないから軍籍を剥奪したのだ。それは前にも話しただろう」


 ノエルの功績についての報告は、監視兵中隊のヘイズ少佐から適宜上がってきていた。内容としては実態と乖離していたのだが、それでも最低限の昇進が避けられなくなったのだ。それを聞いて軍籍の剥奪を言い出したのはグラディスだった。


「それならあの罪人をもう一度、最下級の兵士として軍に入れればいいではありませんか!」


「不名誉除隊した者をどうやって引き入れるのかね? もうこれ以上話すことはない。退出したまえ」


 コンラッドが促すが、グラディスはまだまだ自分の要望を訴え続ける。この日の話し合いによって、コンラッドは夕食を取り損ねたが、それによる実りは全くなかった。


 ただグラディスにある程度の資金を与え、好きにするよう伝えたのみである。それ以上のことを考えるつもりはなかった。


「わかりましたわ。ならば私自らあの罪人に鉄槌を落としましょう」

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