第18話 こわれる

 帝国近衛師団隷下、特務連隊第三大隊第一中隊の本部にある中隊長執務室で、二人の男が向かい合っていた。


「報告は受けている。今回は残念だったなエース中尉」


 執務机についた男、エルトン=ヘイズ少佐に声をかけられたのは、第一小隊の隊長を務めるリアム=エース中尉だった。直立不動の姿勢を保ちながらも、顔色が青くあまり健康そうには見えない。


 だがエースは辛そうなぞぶりも見せず、毅然とした態度で上官の言葉に異を唱えた。


「いえ、小官は順当な結果だと考えております」


「なに?」


 ヘイズが訝しそうに聞き返す。それもそうであろう。今回の作戦において、エースの指揮する第一小隊は壊滅的な打撃を受けたのだ。エース自身も重傷を負い、高度な治癒魔術の世話になっている。それが順当とはどういう意味なのか。


「私の聞き間違いかね? 中尉は今回の結果が順当だと言ったのかね?」


「間違いなくそう申し上げました」


「中尉が第一小隊に着任して以来、これほどの損耗を出したことは無いのだぞ? 確かに第一小隊は他の小隊より危険度の高い任務を割り振ってはいるが、それは俊英である中尉が率いており、隊員もみなが精鋭だからだ。このような結果になるのは考えにくいだろう」


「お言葉ですが、小官は俊英などではありません。また、隊員は精鋭ではあっても最精鋭ではありませんでした」


 断言するエースの言葉に含まれた意味を、ヘイズは正確に拾いあげた。すなわち彼はこう言っているのだ。


「それはつまり、あの一等兵が最精鋭だったと言いたいのかね?」


「はい」


「つまり中尉は、あの一等兵が欠けたから、これだけの損害を出したと言いたいのかね?」


「はい」


 ヘイズの問いは確認ではない。服従を強いる儀式だ。だというのに、エースはヘイズの望まない答えばかりを返してくる。どういうつもりなのか。


「私はどうやら中尉を買いかぶっていたようだ。その指揮能力を買って第一小隊長に抜擢したというのに、無様に失敗した挙句、責任が私の隊編制あると主張するとは」


「小官が無能であることは否定いたしません。だからこそ少佐がご認識を改められない限り、今後も同じような結果になるでしょう」


 ヘイズの圧力に対し、一歩も退く様子のないエース。いかに優秀とはいえエースは平民出身で、門閥貴族出身のヘイズとは身分も後ろ盾も違いすぎる。それでヘイズに楯突けばどうなるか、わからないほど愚かな男ではなかったはずだ。


 その証拠にエースはヘイズの指示通り、あの一等兵を最も危険な配置に立たせ続けていた。目的であるあの一等兵の戦死という結果は出なかったが、エースがヘイズの指示を守ったという事実は動かない。


「いったいどうしたと言うのかね? あの一等兵になぜそこまでこだわる」


「彼にこだわっているわけではありません。ただ、彼の実力を正確に評価しているだけです」


「まさか、あの一等兵こそが第一小隊の要であったと、そう言うのかね!」


 思わず感情的になり、拳で机を叩いたヘイズ。だが答えるエースはどこまでも冷静だった。


「以前から私はそのように報告書へ記載しておりました。少佐は小官の報告書をご覧になっておられなかったのですか」


「あんな出鱈目を上に上げられるわけがなかろう! 秘書官に修正させたものにはもちろん目を通していたとも」


「つまり、ご自分にとって都合のいい報告書を捏造させ、その報告書をご自身でもお信じになったというわけですか」


 思わず溜息をつくエース。それでは正しい現状認識が上層部に伝わるわけがない。道理でヘイズより上の階級の将官の認識が偏っているわけである。


「貴様、私を馬鹿にしているのか!?」


「小官は少佐を馬鹿にしているわけではありません。馬鹿を見つけただけです」


「貴様、死にたいらしいな」


 ヘイズの声が一気に冷える。元々ヘイズは門閥貴族らしく、身分差の絶対性を信じていた。ヘイズにとってエースの命など別に重いものではない。


「死にたくはありませんが、死ぬ覚悟は済んでおります。彼が追放された日から。いえ、もっと前からかも知れません」


 だが、ヘイズの凶行はエースの返答によって留められた。今、この男は何を言ったのか。


「最も過酷な任務を割り振られる第一小隊から、最大戦力を放逐されたのです。小官がいつ死んだとしても全く不思議ではありませんな」


 エースは慣れた動作で煙草を取り出すと、上官の前で堂々と喫煙を始めた。もはや取り繕うつもりはないらしい。


「殺したければどうぞ殺してください。どうせ近いうちにくたばるでしょうしね。今回の作戦でよくわかりました。化け物には化け物をあてるべきだ。ただの人間にすぎない小官ではどう足掻いたって敵いやしません」


「なん、だと? まさか貴様、あの一等兵を呼び戻せとでも言うつもりなのか?」


 部下の無礼な振る舞いを咎めるどころか、その雰囲気に呑まれて無益な問いを発するヘイズ。だがエースの返答はヘイズの意図からすこしばかり外れていた。


「まさか! 戻って来るわけがないでしょう! 最も危険な配置に立たされるとわかっていて、どんなに成果を上げても評価されないとわかっていて、ついでに本来の俸給の三分の一しか与えられないとわかっていて、帰ってくるわけがない!」


 楽しそうに、実に楽しそうにエースが告げる。その瞳に宿るのは狂気。


「少佐、小官はずっと恐れていたんですよ。あいつの我慢の限界が来る日をね。あんな化け物が自暴自棄になった時、誰が近くにいたいと思いますか? まして小官はあいつの上官ですよ? 真っ先に狙われるに決まってるではないですか!」


 延々と続く恐怖によってもたらされ、解放されたことで噴出した狂気。


「だというのになんですかあの裁判は? 監視兵中隊センティネルで補充兵の一人や二人、任務中に死んだからなんだと言うのです? あいつが持ち場を離れたのは標的に見つかったからで、補充兵が死んだのは広域魔術の発動に対応できなかったからだ。それのどこがあいつのせいなんです? そうまでしてあいつを怒らせたいんですか? とばっちりはご免ですよ!」


 当たり前の話だ。眠っている巨竜に石を投げつける役目など、誰が続けたいものか。その恐怖に比べたら、上官に殺されるくらいどうということはない。


「だから小官はあいつが間違っても帰ってこないよう、こちらの言葉に従う間に、念入りに追い払ったんですよ! 呼び戻せる可能性なぞ一切ありません! 小官が保証いたします!」


 完全に気を呑まれたヘイズは、エースの言わんとすることだけは理解した。つまり、あの一等兵は絶対に帰ってこない。そして監視兵中隊の損耗率は3年前の水準に戻る。それだけの話だ。後はこの壊れた小隊長をどうするかを考えなければ。




 この日より1か月後。リアム=エース中尉は戦死し、少佐へと二階級特進した。最期の言葉は伝わっていない。

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