第2話 さげすまれる

 軍を追われたノエルだったが、行くべきところが無いわけではなかった。今回の件を報告しに戻らねばならない場所があるのだ。


 とはいえ、戻らねばならない場所ではあっても戻りたい場所ではない。物心ついてから12歳の軍学校入学までを過ごしたガードナー伯爵家の屋敷は、心安らげる場所でも懐かしい場所でもないのだ。


 ただそこにガードナー家当主である父コンラッドがいて、ノエルは当主に報告し処罰を受ける義務がある、それだけの話だった。


「来たか。報告は既に受け取っている。改めてお前から聞くことは何もない」


 そうノエルに告げたコンラッドの態度はどこまでも冷静だ。今回の件でガードナー家の名誉に多少なり傷がついたはずだが、そのことを気にする様子もない。


「……」


 ノエルとしてはてっきり罵倒され、幼少期のように酷い暴力に晒されると覚悟していたのだが、コンラッドにそのつもりはないようだ。


「私から言っておくことは一つだけだ。昨日の時点でお前はガードナー伯爵家から除籍した。今後ガードナーの名を使うことは許さん」


 とはいえ、なんのお咎めもないというわけでもないらしい。元々ノエルに対して過酷なまでに厳しい環境を押し付けてきたコンラッドだ。恩情など最初から望むべくもない。


「……」


 それに、そもそもここには報告義務があったから戻っただけだ。なんらかの援助を期待していたわけでもない。そんなものがあるはずがないのは知っている。




 ノエルが生を受けたガードナー家は代々近衛師団長を輩出してきた名門貴族だった。ノエルの父コンラッド=ガードナー伯爵もまた、現在近衛師団長を務めている。


 そのガードナー家の長子として生まれたノエルだが、生後早い段階からガードナー家を継ぐことは全く期待されていなかった。正妻の子であり、将来を宿望される異母弟がいるからだ。そもそもこの異母弟が1年早く生まれていれば、ノエルはこの世にいなかっただろう。


 19年前、コンラッド=ガードナー伯爵は妻であるグラディスとの間に、なかなか子を授からなかった。跡継ぎを得るために第二夫人を娶ることを考えたコンラッドだが、グラディスとの関係を考えると迂闊なことはできない。なにしろグラディスの実家は格上の侯爵家なのだ。下手なことをすれば後々面倒である。


 そこでコンラッドが選んだのはノエルの母であった。彼女は一応貴族家の出身ではあったものの、実家との関係は完全に切れており、どのように扱ってもどこからも文句の出ない身の上だったのだ。


 結果としてノエルの母はコンラッドの希望通り男児を出産し、コンラッドの思惑通り産後ほどなく亡くなった。ただ一つの誤算は、ノエルの母より半年遅れて、グラディスもまた男児を出産したことだ。


 グラディスは元々虚弱な体質であったこともあり、今後の妊娠出産は難しいという医師の診断が降りた。そうなると、ノエルには後継者の予備という役割が発生する。グラディスの産んだクインシーは健康そうではあるが、乳幼児はいつ何があるかわからないからだ。


 こうしてノエルは異母弟の予備として、周囲に疎まれつつなんとか生存を許された。だが、その環境はお世辞にも恵まれているとは言えなかったのである。


 ノエルは異母弟であるクインシーと同じだけの教育環境を与えられた。だが、クインシーにあってノエルに与えられなかったものがある。休息と配慮、それに尊厳だ。


 クインシーは優秀な子どもだった。様々な勉学において両親の期待以上の成果を出し、特に剣術においては非凡な才能を早くから見せつけていたのだ。


 一方のノエルは全てにおいて凡庸であり、さらに剣術においては並未満の才能しかなかった。だがわずかな可能性とはいえガードナー家の当主になり得る以上、周囲がそれで許すはずもない。


 ノエルはクインシーと同等の成果を出すまで、ひたすらに勉学と鍛錬を詰め込まれた。その結果として勉学においてはなんとか同水準まで押し上げることに成功する。だが剣術においては余りの素質の差から、圧倒的な技量の開きができてしまっていた。


 代々近衛師団長を務める家柄の当主としてどちらが相応しいかなど、考えるまでもない。クインシーの健康状態に全く不安がないこともあり、ノエルのガードナー家における立場は最底辺まで落ちていた。いっそ新参の使用人にまで軽んじられてしまうほどに。


 そんなガードナー家がノエルにとって居心地が良いはずもなく、軍学校に入ってから今日までの6年間、用事がない限り近寄ることすら避けていた。だがそれも今日で終わるだろう。


 クインシーが貴族院を卒業したことで、貴族家当主の継承資格を得たのだ。それに伴って婚約者との婚姻の日取りも決まったという。そうなれば、ノエルの存在は今以上に邪魔になる。今回の件が無くともガードナー家から追い出されるのは目に見えていた。




「話は以上だ、出ていくがいい。わかっていると思うが、二度と戻ってくることは許さん」


 わかり切ったことをわざわざ告げるコンラッドに対し、ノエルは何も言い返さない。何か言ったところでどうせコンラッドが耳を貸すことはないのだ。ならばそんな疲れることなどしたくない。


「……」


 本当にささやかな反抗として最後まで無言を貫いたノエルは、コンラッドに背を向け部屋を出た。退出に際しての作法を丸ごと省いたことに何か叱責でもあるかと思ったが、コンラッドはそれ以上何も言わない。その価値もないということだろう。


 コンラッドの執務室から正面玄関へと向かう。何人かの使用人とすれ違うが、誰も目を合わせようとしない。軍学校に入る前なら身の程を弁えて端を歩けなどと言ってくる者もいただろうが、今日が最後だとわかっているのか、もはや声をかけることすら煩わしいようだ。


 だがそんな邸内でも例外がいないわけではない。玄関ホールさしかかったところで、異母弟のクインシーが嘲るように声をかけてきた。


「挨拶もなしに出ていこうとは、身の程を忘れたのかい。兄上」


 輝くような金髪に深い蒼の瞳。絵画から出てきたような貴公子らしい貴公子が、蔑む表情を隠しもせずノエルの前に立ちふさがって罵倒を始めた。端正な容貌から発せられているがゆえに、その侮蔑はことのほか鋭い。


「たまたま生き残ったことでご大層な二つ名をもらって、調子に乗っているんじゃないか? どうなんだい?」


 ノエルは生まれてこのかた、調子に乗ったことなど一度もない。そんな余裕などどこにもなかったのだ。今ノエルが生きているのは、隊長であったエース中尉の指揮が優れていたからだと、他ならぬノエル自身が一番よく知っている。


 そもそも、ノエルにつけられた二つ名は『魔術師潰しメイジマッシャー』だ。監視兵中隊センティネル自体が対魔術師戦闘を目的とした部隊なのだから、そこに所属する戦力は全て『魔術師殺しメイジキラー』と言えるだろう。だというのにわざわざ二つ名にされた意味がどこにあったのだろうか。ノエルにはわからなかった。


「……」


 わからないので、ノエルは返答しない。それにクインシーはコンラッドに内面がよく似ている。話しても無駄という意味では本当にそっくりだ。


「だんまりとは随分と偉くなったじゃないか。昔のようにまた僕に叩きのめされたいのかい?」


 2人が軍学校を卒業したあと、クインシーが貴族院で3年間学んでいる間、ノエルは軍務について各地で任務に従事していた。実戦経験の有無で言うならばノエルに軍配が上がる。


 だがクインシーは18歳という若さにして、帝国に3人しかいない次期剣聖候補の1人に数えられるほどの剣術の冴えを見せていた。実践経験こそまだないが、強さという意味では帝国で指折りの実力を既に身につけているのだ。


 それにノエルが所属していた監視兵中隊は、帝国内で唯一『銃火器』の使用を認められた部隊だ。そのため軍務に就いてからのノエルは銃火器の訓練に明け暮れ、剣の鍛錬など全く積んでいない。クインシーとの実力差は絶望的にまで開いているだろう。


 そして当然のことながら、不名誉除隊となったノエルの手元に貴重な銃があるわけもない。ならばこの場において、腰に剣を佩いたクインシーが圧倒的な強者であることは疑いなかった。


「……」


 しかし、それでもノエルは何も答えない。それは誇りや意地ではなかった。ただただもう全てが面倒になっていたことで、この場で殺されても構わないという心境だっただけだ。


 それをどう取ったのか、クインシーは呆れるように溜息をつくと、興味を失ったとばかりに館の奥へと踵を返す。思わぬ展開に肩透かしを食らった形のノエルだったが、去り際にクインシーは的確な厭味を言い置いていった。


「まあいいさ。この場で僕が兄上を楽にしてやる義理も無い。どうせ野垂れ死ぬしか道はないんだ。無意味な人生の最後にはふさわしいだろう」


 それはクインシーにとって大した意味のない捨て台詞にすぎない。だがノエルの弱点をあまりにも的確に突き、その心を改めて抉ったのだった。

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