大事な話

 お昼を食べて、後はじゃあ、腹ごなしをしてから夕方くらいに帰ろうか。となった段階でおばさんが理沙ちゃんに大事な話があると言うことで私は一人理沙ちゃんの部屋に向かった。


「うーん」


 落ち着かない。一人で理沙ちゃんの部屋にいるって、なんというか。家にまで住んでて言うことじゃないけど居心地が悪い。全部の荷物を持って行ってる訳じゃなくて、普通に本とか箪笥とか、テレビとかも残ってるから今も住んでますって言われてそんな違和感ないし。箪笥の中身も少なくなってるけどまだあるわけだし。

 自分用のスマホを取り出していじってみる。家だと二人と会話するくらいしかいじってないけど、なんかあるかな。何かゲームでも入れてみる? でもあの二人が進めてくるの全然種類違うし、家だと理沙ちゃんと普通にゲームとかテレビとか、一緒に話す話題になるのが先だからあんまりしないだろうし。


「……ん」


 やば。トイレ行きたくなってきた。

 理沙ちゃんの家は二階建てで、寝室は二階と言う構造だ。なのでどうしてもトイレに行こうと思うと、一階の二人が会話してるだろう居間の横を通ることになる。でもそうなると、盗み聞きしに来たとか思われたらいやだな。

 うーん……でも何分かかるかわかんないしね。我慢しようと思ったら30分くらい平気だけど、おばさん結構真剣な表情だったし、ほんとに大事な話なら時間かかるだろうし。よし、逆に今のうちに言っておこう。


 と言う訳で私は足音を殺してそーっと行くことにした。まあ、トイレ流す音は聞こえるだろうけど。それは仕方ないよね。


「――」


 あ、おばさんの声聞こえたけど、すごい固い声だ。いつものと全然違う。なんだろう。もしかして……え、ちょっと、ちょっとだけ話聞いてみようかな? 全然私に関係なかったら、すぐ離れるから。


 そっと閉められてるドアの隣の壁に立って、蝶番のあたりで耳をすませる。


「……そうだよ。春ちゃんは、私にとって特別な存在だよ」


 !? は、何言って! あ、ああ、でも言い方的に、これ、聞かれたから誤魔化せえなくて答えた的な?


「……はあ、やっぱり。あんたねぇ。子供相手に何をしてるんだい」

「へ、変なことはしてないよっ。その、別に、手を出すとか、そう言うのじゃないし。普通に、普通に仲良くしてるだけ。春ちゃんが嫌がることはしてないし」

「……あんたが、そんな度胸がないことはわかってる。これでも親なんだから。あの子が、あんたを本心から慕ってることも見てわかった。でもね、よくないことだってこともわかるだろう?」


 ばれていたんだ。息が止まる。このままじゃ、一緒にいられない。おばさんに嫌われた。理沙ちゃんと、離されてしまう。体が震える。今すぐ飛び出して、謝るべきなのだろうか。でも、言いつけを破ったって、もっと怒られるかもしれない。どうしよう、どうすれば。


「……どうして? 春ちゃんは子供だけど、一人の人間だよ。恋人になったら、どうしてよくないの? 二人とも本心で思ってるし、さっきも言ったけど、春ちゃんに変なことするつもりもないよ」

「どうしてって……」

「世間体は悪いかもしれないから、言いふらしはしないけど、いずれ春ちゃんと結婚して、責任はとるよ。それなのに、付き合うだけでよくないことなの?」

「……よくないに決まってるけど、わかった。どうせ理論じゃあんたに届かない。あんたは頭でっかちの癖に、感情で動くからね。だからこう言うけど、あんたにとってよくないの」

「私に……?」


 おばさんの言う通りだ。私は理沙ちゃんに愛されて、幸せだ。愛されていいんだって、教えてもらえた。いつだって、臆病なほど優しくしてくれる。だけど理沙ちゃんは? 私は理沙ちゃんに、何も返せていない。


「そう。結婚だなんて、理沙はそのつもりで、春ちゃんも今は――」


 ちゃんと聞かないといけない。だけど、頭に入ってこない。壁に手をついてなんとか立ってるけど、今にも足元が崩れ落ちそうだ。震えがとまらない。このまま震えて消えてしまいたい。


 わかってた。反対されるなんてことは。だけどそれを目の当たりにすると、わかってたなんてのは嘘で、心が痛くて泣きそうだ。


「可能性を否定はしないけど、でも私は春ちゃんを信じてるから。だから、私の為なんて言い方じゃ、別れる気になんてならないよ」


 唐突に、力強い理沙ちゃんの声が私の鼓膜を震わせた。それに反応するように、体の震えはとまった。

 少し落ち着いた私の耳に、おばさんの戸惑ったような声が聞こえてくる。


「信じてるなんて、何の根拠もないでしょうが」

「……じゃあお母さんは、お父さんは単身赴任先で一人だけど、浮気するって思ってる? それともしないって信じてる?」

「は? いや、そりゃあ、しないって信じてるけど。でもそれはね、今まで一緒にやってきた信頼があってのことで。と言うか、あのね、全然状況が違うでしょう?」

「違わないよ。信じるって、そもそも根拠や理由があるから信じるものじゃないって私は思ってる。証拠があるなら、それは信じてるんじゃなくて理解してるだけだよ。そんなのがなくても、それでも信じたいって思ってるってことは、もうその時点で信じてるってことだよ。だから、私は春ちゃんを信じてるんだよ」


 理沙ちゃんの言葉はが私の中にしみ込んでいく。私を信じる。ただ好きとか愛してるだけじゃなくて、信じてくれる。それって、なんだか、恋人になること以上にすごいことに思えた。

 今まで感じたことのない感情。心が震えているのを自覚する。まるで曇り空が晴れたかのようなすっきりした、心地よい感覚。そのまま飛び出してしまいたい気持ちそのままに、私はドアを開けて中に飛び込んだ。


「美砂子おばさん!」

「!?」

「は、春ちゃん。どうしたんだい? 喉でも乾いたのかな?」

「ごめんなさい!」


 びっくり顔で硬直する理沙ちゃんとは逆に慌てたように立ち上がる美砂子おばさんに向かって、私は手を体の横に揃えて深く頭を下げた。


「私なんか、理沙ちゃんと釣り合わないのわかってる。でも、好きになっちゃったの!」

「は、春ちゃん、頭をあげておくれよ」

「お願いします! 絶対、理沙ちゃんに釣り合う大人になるから! だから、理沙ちゃんと一緒にいさせてください!」

「……わかった、わかったから、頭をあげておくれ。そのままじゃあ、落ち着いて話もできない」

「……はい」


 おばさんの疲れたようないつにない弱弱しい声に、私は興奮していた頭も冷えて、そっと頭をあげた。そして手で促されるまま理沙ちゃんの隣に座った。

 理沙ちゃんはまだおろおろした感じで、何か言いたげに口を半分開けたまま私とおばさんを見ている。そんな理沙ちゃんを見ておばさんはため息をついてから、私の分もお茶をいれてから改めて席に着いた。


「まあ、お茶でも飲んで」

「はい……その、盗み聞きして、ごめんなさい」


 言われたとおり一口飲んでから、そもそものことを謝る。突然乱入したのもだけど、まずそれだ。考えたらここは聞いてないふりをしていったん立ち去るべきだったのかもしれない。でも、我慢できなかった。感情が高ぶりすぎて、いてもたってもいられなかった。


「いや……謝るのは私の方だよ。春ちゃんのことなのに、除け者にして悪かったね。そして誤解させてごめんね。私は春ちゃんが駄目とか、春ちゃんが釣り合わない、なんて思って言ったんじゃないんだ。むしろ、どちらかと言うと、この子の方が駄目だからね。今も、春ちゃんが来たって言うのに何にも言えてないからね」

「あ、い、今言おうと思ってたって言うか、あの、春ちゃん、大丈夫だよ! お母さんがなんて言っても、ずっと一緒にいるからね。家賃だって、私自分で払ってるし」

「理沙ちゃん、気持ちは嬉しいけど、そう言うことじゃないの。おばさんに認めてもらいたいんだよ」


 最初隠そうとしたのは私だけど、こうなってしまったら話は変わる。そしてすぐ声かけてもらえなかったとか、別に気にしてない。突然のことに頭真っ白になっちゃうあわてんぼうの理沙ちゃんが可愛いから。


「春ちゃん、春ちゃんはね、本当にいい子だと本心で思っているよ。だけどね、そもそも大人なのに子供と恋人になるような人間はクズなんだ。春ちゃんみたいないい子を、クズと一緒にいさせるなんて言う方が、ひどいことなんだよ」

「クズじゃない。理沙ちゃんは私にいてもいいって言ってくれたんだよ。理沙ちゃんだけが、私のこと必要だって言ってくれたんだよ」

「春ちゃん……」


 おばさんはものすごいことを、だけど理沙ちゃんみたいな優しい言い方で言ってくる。おばさんが心から私のことも案じて言ってくれているのはわかってる。理沙ちゃんが私と暮らすって言いだした時も、自分のところで引き取ろうと思ってたって言ってくれたし、嘘やその場しのぎじゃないってわかってた。おばさんは本当にいい人だ。だけど、理沙ちゃんがクズなんて、それだけは受け入れられない。

 私の言葉に理沙ちゃんと同じようにおばさんも口をつぐんだ。眉をさげて、ちょっと悲しそうな、何か言いたげな表情。理沙ちゃんとそっくりすぎて、ちょっと笑ってしまう。


「それにクズ何て言って。おばさんだって、それ、本心じゃないでしょう? おばさんは理沙ちゃんのこと、すごく大事にしてるの、見ててわかるもん」


 私の指摘におばさんと理沙ちゃんは気まずそうに顔をあわせて、理沙ちゃんはそっと目をそらし、おばさんは苦笑して私を見つめて優しく頷いた。


「そりゃあ……大事には変わりないさ。私の子供だからね。だけど、クズだって言うのも本心には違いないよ。……まぁ、わかってるよ。今更、引き離そうとか思ってはいないよ。恋人と言っても少なくとも、妙なことはないって、それくらいには娘のことを信頼しているからね。……いや、やっぱり恋人になってる時点で。うーん……だけど実際、今更引っ越しは春ちゃんの負担も大きいし、まあ、仕方ない……」

「と、とにかく! 一緒に暮らすことにはおばさんも賛成してくれてるみたいで嬉しいよ!」


 途中まで柔らかい表情だったのに、ちょっと間を作って頬に手を当てて何だか雲行きが怪しい感じに悩みだしたので、慌ててそう声をかけた。私の言葉におばさんはしぶしぶながらもまた頷いて、手を下してお茶を一口飲んだ。

 そして呆れたようにしながら頭をかいてから手を下し、おばさんはふっと微笑んだ。


「まあ、そうだね。わかった。私だって、無意味に反対している訳じゃないんだ。春ちゃんがそこまで言ってくれて、その気持ちを無下にはできないよ。もちろん、理沙も春ちゃんに相応しい人間になるよう、心がけてくれるんだろうね?」

「も、もちろん! 私は……とっくにその覚悟があるよ。だから、大丈夫」


 おばさんの念を押すような言い方に押されたように背筋をのばしてから、理沙ちゃんは力強い目を私にむけて、ゆっくりとおばさんにそう答えた。

 その言葉に、態度に、私の心臓はドキドキしてしまう。こうやって、ちゃんと言葉にしてくれる。いままでだって、いつもそうだ。理沙ちゃんはいつも言葉で、態度で、私に伝えようとしてくれる。まっすぐに私と向き合おうとしてくれる。


「……わかった。とりあえずは、認めるよ。それが春ちゃんの幸せにつながるならね」


 そうしてついに、おばさんの口から正式にお許しがでた。飛び上がりたいくらい嬉しいけど、ここはぎゅっと膝の上で手を握って膝を曲げながら静かに喜ぶ。ここであんまり子供っぽく反応したら駄目だ。立派な大人になるって宣言したところなんだから。


「だけど、さっき自分でも言ったからわかってると思うけど、小学生なんだから絶対に手を出すんじゃないよ」

「わ、わかってる。と言うか、春ちゃんの前で言わないでよ……」


 こうしてどたばたしたお盆休みは、最高の結末で帰宅することになった。

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