#26:不→一致×インコントラァーレ×濁流

 沼津ICから東名に入っても、依然車の流れは良好と思われた。これといった混乱も周囲にはまだ見て取れない。どうしても着替えが欲しいと駄々をこねた女性陣二名のために、時間も費やしたくないので僕が代表して道沿いのファストリテイリング的な店舗で二分で全員分を購入してきたのだが、てっきり難色を示されると思われたが意外と好評価だった。動く車中で何とか着替え、今は三人とも全員黒の全身スーツの上にカジュアルな上下を身に着けている。


 午後一時過ぎ。天候は穏やかな秋晴れの陽気。しかし、


<本日午前未明、目黒区柿の木坂、碑文谷、平町、八雲の大手コンビニエンスストアの店舗入り口に自動車が突っ込むという事故が立て続けに発生。警察はこれらの関連性を調査中>

<首都高速C2中央環状線内回りで車両事故発生、一車線規制、11号台場線上り芝浦JCT付近で車両事故発生、入口閉鎖、C1都心環状線外回り江戸橋付近で車両事故発生……>

<首都圏での交通事故が多発。昨夜から百件超>


 スマホから流し出されてくる情報は、既に事態が収束つきそうもない方向へ転がり出していることを静かに、ゆえに不気味に告げてくるようであって。


「……」


 車内にも嫌な沈黙。村居さんが運転するレクサスの挙動はそれはブレない静かさであったものの、かえってそれが沈黙から来る緊迫感を助長するかのようでもあり。助手席の僕はナビとスマホの画面と高速の流れる景色のどれかに目線を落ち着けることなくただただ揺れ動かすばかりなのであるが。


「どこまでクルマで近づけるかだね……大規模な事故が起こっていたら多分都心に向かう道ほとんどで通行止めか、そこまでいかないにしろ渋滞は必至。さらにそうやって人が集まる状況が作り出されると、そこ起点でまた大ごとに成りかねない。多摩川を越えることが出来ればあとは五、六キロだから最悪そこで乗り捨ててもいいが……」


 村居さんが、周囲にいつも以上に目を配りながら慎重に運転しているのが隣にいて伝わってくる。その右耳にはデバイスが付けられていて、何らかの情報が音声で入ってきているようだ。そして車内の沈黙を緩和させるかのように誰ともなしに喋り続けてくれている。


「でも、川崎でもうその、あったんでしょ? それ類いのコトが? そこから波及するってんなら、それより手前でもう何らか起きててもおかしくないんじゃないの? 車線全部とか、料金所辺りがクルマで埋め尽くされてたら? とか、このクルマの前で何かいっちゃった人らに通せんぼとかされて動けなくなったら?」


 僕の真後ろから、三ツ輪さんのそんな【焦燥】と【過敏】がないまぜになった「感情」の細い糸のようなものが、珍しく強張った声と共に流れてくる。


「……いいかい三人共」


 その問いかけには直接は応えず、いったん鼻から深く息を落とし込む素振りを見せた村居さんは、あくまでフラットに言葉を続けていくのだが。


「『感情』に支配された人間にこちらの言葉は残念ながら届かない。意識を断つか、『感情』を封じ込めるか、そのくらいしか対処法は無い。そしておそらく多勢に無勢も程がありそうな状況……極力避けて進むんだ、敵の総本山までね。高速は早めに降りた方がいいかも知れない。情報はいま逐一取ってはいる。そして、それでも避けきれないと判断した場合は、ボクはアクセルを踏み続けることを厭わない」


 【興奮】だとか【激昂】とかを露わにしたヒトらが、見境なく襲い掛かってくるというパニック映画あるいはそれ系のゲーム然りの状況が、おそらく展開されると、そういうことだろう。想像することはかろうじて出来なくもないものの、実際そのような場に落とし込まれた時、冷静に、「平常心」を保つことが出来るだろうか。そして本当に、村居さんはそのヒトたちを跳ね飛ばしてでも、進むことを覚悟しているのだろうか。


 そして危惧していたことは、やはり当然のような貌をして襲い降りかかってきたわけで。


 しばらくの安定した走行の途中だった。ふと前方の状況を視認する前に、肌全体の毛穴全部を、冷たい「糸」のようなもので一斉に引っ張られるような、そんな不穏な感触を僕は覚えた。


「まさに、読まれていたかのような、だね」


 ゆるゆると速度を落とした車の前方には、ちょうど出ようとした厚木ICの料金所ブースが長々と並んでいたわけだが。その手前には整然とこちらの進行を防ぐかのように、封鎖するかのように。


「……!!」


 何十台もの車……ワゴン、トラック、セダン問わずしかしそれらはきちりとその横腹をこちらに見せて来ていて。それも二重三重に強固な「壁」を形成していたわけで。


 この整然さが異様だ。パニックに陥ったヒトが起こす行為では絶対に無い。


「いる……『単感情』の奴……」


 そして右後方から、姫宮さんのそんな呟き声も聞こえてくる。それに被せるように、


「こうまで操ることが出来るのは橙谷トウヤか、あるいはそれレベルの『取り憑き』だ。先手を打ってきたわけか」


 村居さんは車を完全に止めると、そう言いつつUターンしてこの場を離れることが出来るか確認していたようだが、背後にも次々と後続車が整然と居並んでいく様子を見て鼻から息をつく。囲まれた。


「そ、そのヤバそうなのが単騎で出張ってきたけど、どうすんのっ!? わざとらしくこっち見て笑ってんだけど!!」


 三ツ輪さんの【憤慨】と【恐怖】が縒り合わされたような感情が僕のうなじ当たりを撫でてくる。その言葉通り、フロントガラスを通して、まさにの正面五メートルくらいの位置に、ひとりの人影がやけにゆったりとした歩様で車の壁の隙間から出てきたのであって。


「……」


 いつもの村居さんと同じくらいのよれよれさの灰色のスーツを、その中肉中背と称すると必要以上にしっくりくる特徴の無い身体に引っ掛けるようにして羽織っている猫背の男の年齢は五十代はいっているだろうか。脂ぎった白髪交じりの髪は中途半端な横分け。ハの字に下げられた眉とほぼ平行くらいの細い目は開いているのか閉じているのか。媚びるような薄笑いを無意味に浮かべつつこちらに相対してくると、まあまあ、といった感じの仕草でこちらにそのドス黒い照りを見せる両掌を向けてきているが。


 はっきり、まずいと感じた。


「……村居さんは車の中に残って指示をお願いします。なるべく距離を取って。三ツ輪さん姫宮さん、出よう。全員このままだと車をツブされそうで厄介だから」


 左耳に挟み込んだデバイスの電源が入っていることを確認しつつ、僕は次の瞬間には後ろの二人の是非も聞かずに助手席のドアを押し開いている。ちょ待っ……というような三ツ輪さんの泡食う声を置き去りに、車から降りた僕はドアを再び閉める間も、その正面に覇気無く立ち尽くしている中年……そう正にの「中年」から目線は切らないでおく。


「おっほ~、貴方が『匣の少年くん』ですねぇ~、ウチの橙谷がえらく買っていましたよというか懸念しておりましたわぁ~。で、で? うしろの綺麗どころの御二方が、『パチンコ玉姫』と『拘束少女さん』と、そういったわけですかぁ~いやぁやっぱり!! 高速、使っちゃいますよね? ここで張ってたワタクシが見事大正解と!! そういうわけだぁ~こいつはうれしいうれしいですなぁまったくぅ」


 つらつらと流し出してきた妙に甲高く弾んでいながらも全く温度の無い言葉というか音声が、異様な静けさを帯び始めたこの三十メートル四方くらいの「空間」……左右を遮音壁、前後を車の群れに区切られた場にうすら寒く響いていく。僕に続いて車外に出てくれたのだろう、ドアを閉める音がほぼ同時に聞こえたかと思ったら背中を痺れさすほどの強い「感情」のうねりを左右から感じた。しかして僕ら三人の情報は既に把握済みってわけか……その上で行動をも、読まれている。さらにはこんな「目的地」までの距離は相当ある地点にてあっさりと足止めを喰らわされるとは。と、


「ワタクシ、『モモナガ』、と申します。桃太郎の『桃』に永遠の『永』、で『桃永モモナガ』と、はいそうお見知りおきくださいぃ~」


 そう頼んでもいないのに名乗って来た中年は、その中間管理職という字面がこれほどまで当てはまるヒトも無いだろう的な外観に負けず劣らずの慇懃無礼なへりくだり方で腰を折ってくるが。


 その薄皮一枚下の、黒いも黒い「感情」……名前通りに【桃の懇篤テンダァ】が主体であるものの、まったくもって好意的なニュアンスは無さそうな、ストロベリーシェイクに墨汁一本をぶち込んだような、そんな不快な「感情」の色を見せてくるわけで。


 強敵。だがこんな所で引いている場合では勿論無い。


「少年~、肩に力入り過ぎっ。秒で伸すから、囮よろ」

「ちょっと!! 扱い雑っ」


 心強い背後からの「平常心」に、僕も呼吸から意識までを落ち着けていく。時間を使っている場合でも無い。秒で。


「行くよ、二人ともっ」


 フラットな声が出せたことに満足し、僕は懐から「匣」を両手にそれぞれ携えると、ゆっくりと中年モモナガとの距離をにじるように詰めていく。

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