#24:無→自覚×コミンチァーレ×不動

 何となく、僕への期待込みのような視線を三方から感じるものの。


「……」


 ここで何も出来ないようなら、そろそろ僕の存在意義は霧散していく、だろう。そして元より何も出来なかった自分が唯一辿り着いたこの「居場所」、それを失ってしまったのならば、結果としては得る前と同じ地点に戻るだけとは言え、喪失感で僕は抜け殻のようになってしまうはずだ。そうなるのは……今は感じる。はっきり「嫌だ」と。


 村居さん、三ツ輪さん、姫宮さん……偽らない感情をごく自然に発するヒトたちと触れ合うことによって、僕の内面は確かに変わってきていると自分でもそう思う。ゆえに……そのヒトの役に立ちたい、喜ばれたいという……「感情」で言うと何だろうか、「自己実現」とか、カテゴリにあるかは分からないが、それが強まってきている。自分の意識の中で、丁重に「匣詰はこづめ」した感情たちが、再び外に出たがっている。


 その「感情」の動きこそが、ベクトルこそが、現出する「力」であるのならば。


 手にした「匣」の感触と温度を受け取っている。この金属の「直方体」はあくまできっかけ。「感情」をスムースに導くための補助具……今までは相手していた「感情体エモズィオ」を封じ込めるためだけに使っていたが、自らの「感情」をもこの中に流し込み封じ込んだ上で「現出」させる、ことが出来るのならば。


 両掌から「流し込む」イメージ。姫宮さんに設置した「六面」から放出した時のように。空だった双方の「匣」の内部に、固体・液体・気体のどの様態にも当てはまらないような、不確かなものが満ちていくのを感じる。


「んんんん~? 少年何かをやろうとしているのなら早くしないとぉ~、このアンスコ履き忘れたか故意なのか分からんが、あざとガチ勝負パンツ少女の股布クロッチ部分がどんどん細く絞られていくぞなぁぁぁぁほれほれぇ~」


 三ツ輪さんの暗紫色どどめいろな感情の発露が何に起因するのかとか、


「んやぁああん、み、見ないでフミヤくぅぅん……これ一昨日水洗いして乾かしただけのやつだし……拘束具つけるの前提だったからちょっと鋭角なだけであって『ガチ』でも『勝負』でもないしっ」


 姫宮さんの感情より先走る説明感の強い嬌声が何に向けて放たれているのかとか、空中大の字の中央部、既に完全に捲り上げられたその純白プリーツスカートの下から更なる純白が露わにされつつその面積が「緑の糸」によって徐々に狭まっていっているという必然性の見られない絵面に脳の理解が追いついていない状況だとか、


「……」


 弛緩した顔の目だけが鋭く保たれたまま、この何とも言えない成り行きをただ無言で見守る姿勢の村居さんの視線だとか。


 全ては、僕の挙動を待っている? そこまでは考え過ぎか。それでも、


「……」


 僕は僕の「居場所」を確かめるように、「立ち位置」を模索するように、自分の中に生まれた新たな衝動に身を任せようとする。


 「感情」の先にあるもの。「感情」を発露させうるべきもの。


 それはただの「欲求」なのかも知れない。「快」を得るがためだけの、「不快」を避けるがためだけの。


 ……そうだとしても。


 それだけでは無い。はず。それだけでここまでの複雑なシステムを構築したはずはないと、思うから。


 ヒトをヒトたらしめている何かが、あってもおかしくは無いはずだ。硬く弾力も有するコートを蹴り出し突っ込む。三ツ輪さんの懐までの距離はおよそ五メートル弱。


「『サイコロ』はもう通じないよぉん少年……もちろん橙谷にも、って話だけどぉ……」


 未だ腕組みをしたまま、身体だけはこちらを向けてきた。「仮想橙谷」、そのことはやはり、意識してくれているようだった。その上でやって来いと煽られているわけで。考えろ。そして考えつつ感じろ。僕に芽生えた儚い「感情」の「指向性」、ベクトルを。


「……展開させてる暇は無いわぁぁ……その前にこの『糸』で全てを絡め取ってあげるわのよぉぉん……ッ!!」


 三ツ輪さんの謎のおねえキャラの出処も分からなかったが、その背中辺りから弾け出てきた糸の色は今度は「青・緑・桃」。そして今や完全に、操ることが出来ている。そしてそれを「物理」へときちんと「置換」して、こちらに向けてかなりの勢いで放ってきたわけで。視界全土に広がる鮮やかな色彩。避けることは出来なさそうな間合い。防ぐにしても広範囲かつ広角。


 窮地。でもそれが。僕の頭の中の何かを押したかのようであって。放る。右掌の中の「匣」を。何の捻りも無く、それこそ中空に置いてくるかのように


「……ッ!? 『サイコロ』は効かないっつってんでしょうがぁッ!!」


 三ツ輪さんの呆れ混じり失望混じりの声が「糸」の群れより先んじて僕まで響いてきたが。それは「器」だ、あくまでも。案の定、大した力も掛けられず、四方八方から伸びてきていた「糸」の衝撃を受け、あの時の壮年にやられたように、金属の直方体はあえなくズタズタに断たれてしまうものの。


「!?」


 その「外殻」を取り払われた中から現れたのは、「真っ白の直方体」。ぎらとした光を放つ、「固体と液体と気体」のちょうど「中間」のような質感の。そして、


 ……「匣」の内部で、極限まで圧縮された、僕の「感情体」。


 刹那、その一辺が三センチほどの「サイコロ」は僕らの背丈の倍以上の幅に、奥行きに高さに、


「……!!」


 「膨張」を為していたわけで。


「な……にこのモロモロとした質感の『豆腐』はぁぁぁ……」


 それらは三ツ輪さんが称した正にの「豆腐」の如く、放たれ展開された「糸」群も、そしてその出処である三ツ輪さんの左半身くらいをも、そしてその脇で全身を拘束させられて宙に留め置かれていた姫宮さんの下半身くらいをも、「埋め込む」ようにして内包させていたわけで。光の……直方体、見た目はあれだが、いま、内部に取り込んだものたちの物理的な動きを封じることが出来ている。「糸」をも。


 橙谷にも対抗しうるだろう力が、何とも御都合に発現したわけだが、そんなことを意に介している場合ではない。僕の願望が、切なる「欲求」がこいつを形作ったと、今はそう思おう。そして、


「新しい『匣』……『光匣体スプレクァドォス』……」


 自然と口をついて出ていた言葉は、頭の中で勝手に組み上がった生まれたてのものであったが。


「……いや、想定外の、そのさらに軸違いの外も外、だったわけだけどねぇ」


 大した奴だよ本当にキミはぁ、との村居さんの賞賛は、いつも通りの緩さを伴ったものだったけれど、何というか、それが非常に心地よかったわけで。


「ちょっ……これ抜け出れないんだけどぉっ……それに無理に動かすと何か身体の微妙なとこ擦れて……ぁくッ……!!」

「あっ何か、分からないけど『感情』? 出すたびにこれに吸われていってるような感じ? ふぇえぇ? あ、安心するすっごくこれすっごく安心しちゃうってば『吸われて溶けて混ざる』感じがすごい心地よぃぃぃ……」


 うん……御二方を「戦闘不能」「行動不能」状態に出来ていると言えなくもないが、怪我をさせることなく無力化しうるということ、それは大きいのでは。対・橙谷以外にも、使い道は広がった。後は発現を調整することでそれぞれの局面に応対することが出来たなら。


 やれる、僕はまだ。


 決意を込めて、コート外でいまだ軽く身体をゆすって微笑んでいる村居さんを目を合わせると、にやりと悪そうに笑ってくれた。その後で未だ現出したままの三メートル弱くらい四方の「直方体」を指さされる。ああ、そうだ解除しないとだ。


 巨大直方体は、思っていた通り、小さな一ミリくらいの微小直方体が寄り集まって形成されていた。これを自分の体の中に「戻す」、そんなイメージでいいのだろうか……と、その時、僕の頭の中にあやふやなイメージが自然に浮かんできた。何だ?


 白い立方体が……いくつか並んでいる……中空に……六つ? ……いや八つ? それらそれぞれがお互い引き合うようにしてくっついていき……?


 そこで意識は引き戻された。


「ちょ、早く出しなさいよねっ……なんかもう限界なんだからっ、精神が凄い高みに行っちゃいそう……って……いうか……んぁッ」


 左半身が埋もれたままの三ツ輪さんからそうような切羽詰まった震え声が。下半身が埋もれたままの姫宮さんは既に息を荒げていて顔も真っ赤だ。急ごう。僕はポケットから取り出した空の「匣」の天面・底面双方を外すと、その「筒」状になったものを二人が呑み込まれている「白い巨大直方体」に向け、呼吸を整える。「ここ」から……「ここ」を通してまた自分の体内に取り入れる。徐々に白い直方体からもろもろと細かい直方体群が引き寄せられてくる。よし、いける。このまま……


「じゃあ一気に行くよ?」

「だ、だめぇ……もう激しいのダメだってばぁ……!!」

「わかった、じゃあゆっくり……」

「そ、そんなゆっくり優しくもダメだって!!」


 え、じゃあどうしたらいいんだ? 考えろ。実戦の場合を、そう……そうだ。


「次弾に備える『最速のリロード』というのを試したい。瞬時に取り込めば、多分、負担も一瞬と思われる。二人とも、備えてくれ」


 最善と思われる策を真摯な言葉にて伝えるものの、ヒィィィ、という引き攣れた二重奏が聴こえるばかりなのだが。何事もやってみなければ分からない。それに僕も想定外の力を使ったからか、脳も身体の筋肉全体も重くだるい。限界だ……もう一気にやるしかない。


「いくよ……ッ!! 二人とも……ッ!!」


 だ、だめぇぇえ、という声をサラウンドで聞きながらも、僕は一気に白い直方体を引き入れ込む。


 瞬間、視界が真っ白になり、光が弾けた。が、何とか意識は失わず踏みとどまる。終わった……


 コート上に横たわり身体をびくつかせている二人の息は荒いが、概ね無事なようでほっとする。腰が抜けて歩けないという姫宮さんを背負ってひとまず宿に帰ることに。


 が、


 確かな収穫を得て、橙谷ら輩と渡り合うことが出来るのでは、というような淡い期待を抱いた僕であったが、帰ったそこに待っていたのは、ほんの小さな、見逃してしまうような記事ニュースであったものの、


 時は既に、不穏な狼煙がたなびき上がっている状態であったわけで。

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