陸ノ妙 神楽舞の巫女

 彼女は、白い衣を身にまとい、全身水浸しで神楽殿に立っていた。

 棗は人形ひとがたの呪符に導かれて、この神社にたどり着き、ようやく彼女の居場所にたどり着いたのだった。


 ただ、棗は一目見ただけでは、それが彼女であることに気付かなかった。

 というのは、棗は制服姿の彼女した見たことがなかったので、和装の、しかも白装束姿の彼女を想像することが出来なかった。

 しかも、釣り灯籠の揺らめく炎に照らし出された、全身水浸しの異様な姿は、もはや妖艶ですらある。


 彼女は、少し目線を落としてはいるものの、すらりとして姿勢がいい。

 長い髪から水の玉が滴り落ちる。

 身に着けているのは、薄い生地の白い着物一枚きりで、それも水に濡れ肌に貼り付き、もはや何も身に着けていないのとさして変わらず、躰のシルエットをくっきりと浮かび上がらせている。


 棗は息をんで、急いで身をかくした。


 ――ヤバい、これじゃ、出るに出られないぞー。


 と思いながらも、視線は彼女にくぎ付けである。

 これを、一般的には「のぞき」と言うのだということを、もはや棗は気付かずにいた。


 ちなみに、彼女はといえば清らかな滝の水流によって心身を清める――みそぎを終えたところである。

 音の響きこそ似ているが「みそぎ」と「のぞき」では、文字通り天と地ほどの差がある。


 棗は望まずして非常に残念な状況に陥っていた。

 棗は、そんなことは我関せずといった面持ちで引き続き調査――「のぞき」を続けた。


 彼女は腰のあたりで結ばれた腰紐を解き、腕を抜いてはだけると白衣びゃくえを足元に脱ぎ落す。

 すらっとした長い脚、細身ながらも体つきがよく、抜けるほど白くつやのある肌。


 ――あqwせdrftgyふじこlp;@:。


 棗は驚愕のあまり腰を抜かしそうな心持だったが、何とか平静を保った。


 一糸纏まとわぬ姿にもかかわらず、彼女は全く動じずといった立ち居振る舞い。

 釣り灯籠の炎が揺らめいて、彼女をより一層妖艶に照らし出していた。


 彼女からしてみれば、この神社は幾重にも張り巡らせた結界に厳重に守られ、他の者が入り込む余地などは全くないと思っているわけで、あたかも自分だけのプライベート空間のような心持でいるのだ。


 彼女は、脱いだ白衣びゃくえを丁寧にたたむとかたわらに置き、その手前に正座する。

 置いてあったタオルで髪やからだを一通り拭き取ると、タオルもまた丁寧にたたみ白衣の横に置いた。

 棗は、彼女の一連の所作を見て、何かの儀式のような美しさに心を揺さぶられる思いだった。


 一軒、まともそうな心持の棗だが、全裸の彼女をのぞき見していることに変わりない。

 さらに、彼女はタオルの横に置いてあったはかまの巫女装束を着始めた。


 ――和服でもブラとパンツは付けるのね。

 ちなみに、色はピンク……。


 棗の頭をどうでもいいことがふっとよぎる。

 和服姿はあまり胸が主張しすぎると美しくない。

 そう言った意味では、彼女は和服向きだとも思う。


 彼女は、はかまの腰紐を結び終わると、わずかに透けるしなやかな白絹の羽織――千早を羽織る。

 飛翔ひしょうする鶴と松が、青摺あおずりと呼ばれるやまあいから作られる染料で、無地の白絹に深い緑で描かれている。


 巫女装束に着替えた彼女は、神楽殿の中央で一礼し、舞を舞い始めた。

 いわゆる、神楽舞とか巫女舞とか言われるものだ。

 現在では、祈祷きとう奉納ほうのうのために行われる舞がほとんどだが、巫女自身の上に神が舞い降りるという、神がかりの儀式のために行われる舞も少ないながらあるらしい。

 棗はこの辺りの情報について、うんざりするほど検索して調べ尽していた。


 彼女の手には、持ち手の先にいくつもの鈴の付いた――神楽鈴。

 神楽鈴が鳴る。


 シャリン。


 ゆるやかで、たおやかで繊細な身のこなし。


 シャリン。


 炎に照らされはかまはより一層赤々と揺らめき、彼女の手の所作に呼応するかのように千早の袖がひらりとひるがえり、青摺あおずりの鶴が舞う。


 シャリン


 彼女の舞は、美しく優雅で、心に訴えかける力を秘めているように感じる。

 棗は、彼女の舞に魅了され、息をするのも忘れたかのように、その姿にくぎ付けとなった。


 演奏はないのだが、流れ落ちる水音と神楽鈴、そして彼女の舞が融合し、あたかも雅楽ががくかなでられているかのごとく感じられた。


 シャリン


 彼女の舞に目を奪われた棗は、身をかくしていることも忘れ、引き寄せられるようにふらふらと神楽殿に歩み寄る。


 彼女は神楽を舞い終わると、もう一度神楽殿の中央で一礼し、少し安堵あんどした様子で吐息といきを漏らした。

 一息ついた彼女は、神楽殿の欄干らんかんに寄って夜空をゆっくりと見渡し、星々の配置や月の満ち欠けを慎重に観察する。


 ――星のめぐりは異常なしっと!


 彼女は口元に少し微笑みを浮かべ、何気なく視線を下げた。

 すると、そこに立つ棗に眼が止まる。


 棗は、夜空を仰ぎ見る彼女を、それこそ神楽殿の舞台の下から仰ぎ見ていたのだが、視線を落とした彼女と不意に眼が合う。


 どきっ!!


 心臓が激しく脈打つ。


 瞬間、彼女の手が素早く空を切った。

 同時に三つの小さな何かが、それこそくうを切り裂く勢いで棗に向かってくる。


 シュ、シュ、シュッ。


 3つのはなたれたそれが棗の躰をかすめる。


 それが頬をかすめる直前、棗はそれが何なのかをとらえることができた。

 それは、紛れもなく赤い折紙で折られた鶴だった。

 折り鶴がまるで生きているかのように中空ちゅうくうを滑り下り、棗に向かって飛んで来るのだった。


 折り鶴は棗の躰をかすめるように横切ると、背後にある木々ににぶい音を立てて突き刺さった。

 棗は驚きのあまり背中から倒れ込み、腰を打ち付けて立ち上がることができない。


「痛ぅ」


 彼女は彼女で自分の目が信じられないといった表情で棗に刺すような目線を送っている。


「……」

「……」


 無言状態で向かい合う二人。

 初めてお互いを認識した瞬間だった。


「……」

「……」


 静寂の中で、唯一耳に届くのは流れ落ちる水音のみ。

 彼女が沈黙に耐えきれず、頭に渦巻いていた疑問をつぶやく。


「ど、ど、どうして、どうやって……」


 棗は唖然として、言葉が出てこない。


「あ、あぅ……」


 彼女も正体不明の侵入者に、少々混乱している。


 ――けっ、結界を、や、破れる、じゅ、呪力が、あっ、あるって、こ、ことなの!?


 少し上擦うわずったような声で、恐る恐る彼女は尋ねる。


「いっ、何時からそこにいたの?」


 棗は今までのことを思い返しながら、何とか返答する。


「み、水浸しで、立ってたときぐらい、かな?」

「……」


 彼女は、みるみる顔を赤らめ、一旦視線を落とすと顔を背ける。


 ――ということは、白衣びゃくえを脱いで……。


 顔を首の根元まで真っ赤にし、頭から湯気が上がるのが見えるほどに上気する。

 次の瞬間、彼女の手が素早く動き、棗のひたいに折り鶴のくちばしが突き刺さった。


 棗の意識は、電源が切れたかように、プツリと闇の中に落ちた。

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