伍ノ妙 五芒星の神社

 あの不可思議な現象が起きて以来、幾度となく足踏みステップの練習を繰り返し試みてみたが、あのような異変は二度と起きることはなかった。

 このままでは無駄に時間を費やすばかりで、全く進展しない。


 ――まぁ、俺は本番では決めるタイプだ……。

 たぶん……。


 棗は、何はさておき実戦にのぞむことにした。

 強気なことを言っている棗だったが、自信の無さからか少しでも不安要素を減らすため、考え得る最適な方法をこれ以上ないというくらい思案する。


 ――どんな時でも、最善の策じゃないとね。


 棗は段取りを整理してみた。


 ――まず、第一にできるだけあの路地の近くで待ち受ける。

 第二にヤツが消えた後、すかさず立ち位置へ移動する。

 第三に例の印を結ぶ。

 第四は呪文を唱えるんだけど、呪文が分かんないので、とにかく奇跡が起きるように祈る?

 そして最後に、悠々とした身のこなしを意識し、淀みなくステップ。

 ここまでを、ヤツの鈴の音が鳴りやむまでにやり終える。


 棗は、路地へ最も早く移動できて、かつ、彼女に見つかりにくい場所に身を隠した。

 想像以上に理想的な場所を見付けたのだが、少々問題があると言えば、ここが他人の家の庭だということだ。


 ――あまり長くは、待てないぞ。


 はっきり言えば、不法侵入である。

 棗は生垣の脇にしゃがみこみ、慎重に路地の様子を窺う。

 しばらくすると、彼女が学校の方からやって来るのが見えた。


 同時に背後に何か不穏ふおんな気配を感じる。


 グルルルル……。


 嫌な予感を感じながらそっと後ろを振り返ると、縄張りを侵され、いかにもしゃくさわるといった様子の犬が、今にも吠えたけろうとしていた。


 ――ワンちゃん飼ってたのねー。


 たいして大きくない犬だが、今、吠えられたら確実に彼女に気付かれてしまう。

 棗は彼女の様子を気にしながらも、落ちている生垣の枝を拾い、犬の鼻先で枝を振ると出来るだけ遠くへ投げた。

 犬は投げられた枝に向かってもうダッシュで駆け出す。


 彼女は、いつもの場所に着くと、いつも通り呪文らしきものを唱え、足踏みステップを踏み始めた。


 リーン、チリーン。


 鈴のが響き渡り、周りの空気があかね色に染まっていく。

 枝とじゃれ合うのに飽きた犬が、吠えたけりながら棗に向かって突進してくる。

 棗はたまらず道路に転がり出た。


 ――まずい、気づかれる!!


 犬は、繋がれたロープが引き千切れるのではないかというような勢いで、道路際まで突き進み、狂ったようにたける。

 ロープがなければ、道路まで駆け出していただろう。


 リーン、チリーン。


 棗が、なかばあきらめたように彼女の方に振り返ると、彼女はちょうど路地の方へ消えていくところだった。


 ――まっ、間に合うか?!


 棗は、つんのめりそうになりながらも、大慌てで路地に向かって走り、彼女がステップを踏んでいた場所に立つ。

 印を結び、事が成就じょうじゅできるよう祈る。


「えーっと、神様、仏様、女神様、みちざねせいめい将門まさかど殿どの、タヌキにキツネにドラゴンさん、どうか願いを叶えくださいー」


 棗は、願いを聞き入れてくれそうな人?を思い当たる限り列挙する。


 リーン。


 ――よーし、まだ、鈴の音は聞こえてる。


 手順を間違えないように細心の注意を払い、ゆるやかな調子を心掛けステップを踏む。


 リーン。


 そして、最後のステップ。


 ――よし、完璧だ!!


 ……と、次の瞬間、棗は足をからませて前につんのめる。


 ドテッ!


「痛っ」


 最後のステップで見事に転倒。

 本番に弱いとはこのようなことを言う。


 リーン。


 鈴の音をむなしく聞きながら、棗は力無げに立ち上がる。

 次に打つ手は無いかと思案に暮れながら顔を上げると、あかね色に染まった懐かしさを感じるあの風景の中にいた。


 ――どうやら、何とかなったかぁ。


 棗は、ほっと胸をなで下ろす。

 果てしなく広がる美しい稲田、道端には三体の小さな地蔵尊。

 遠方にぽつんと一軒、茅葺かやぶき屋根の家屋が見える。

 背後には木々の鬱蒼うっそうと茂る小高い山、時間の重みを感じさせる石の鳥居、鳥居の向こうには、木々の作り上げる闇とその闇の中へ導くように続いていく石段。


 棗は、彼女の姿を追って視線を走らせるが、どこにも彼女の姿をとらえることはできない。


 ふと足元を見ると何やら人の形をした紙片が落ちている。

 真っ白な和紙で形作られた人形ひとがたの呪符である。


 むくっ。


 人形ひとがたは見えない糸であやつられているかのように、ひとりでに立ち上がった。

 無論、糸などない。


「えっ!!」


 棗は唖然とし、息を呑んでそれを見つめる。


 くにゃっ。


 人形ひとがたは、一瞬折れ曲がると跳ねるようにして、石段を上がってゆく。


 チョン、チョン、チョン、チョン……。


 数段跳ね上がると、棗の様子をうかがうように動きを止める。


 ――ついて来いってこと?


 棗は、有無を言わせない圧力を感じ、いぶかりながらも人形ひとがたの後に続き、石段を上っていく。

 あかね色の空間が徐々に澄み切ったあい色へと変化していく。


 ――ヤツを見逃した上に、厄介なことになってきたなぁ。


 棗はここまで来たことを少々後悔し始めていた。


 生い茂った木々が光を遮り、りんとした空気をより一層冷たく濃くしていく。

 立ち込める清々すがすがしい木々の香り。

 石段の両脇に、苔むして蒼枯そうことした無数の石灯どうろうが、整然と置かれている。

 樹齢五百年にはなると思われる二本の巨大な杉の大木、その間を抜けて石段はなおも続いていく。


 棗は人形ひとがたうながされるままに先へ先へと石段を上っていく。


 最後の石段を上りきると、眼前には一際大きな石の鳥居。

 見上げると鳥居の中央に星の紋章――五芒ごぼうせいの描かれたがくが棗を見下ろしていた。


 棗は鳥居をくぐろうと足を前に進めようとする。


 バタバタ!!

 ビュッ!!


 突如、人形が疾風のごとく猛烈な勢いで夜空に舞い上がり見えなくなった。


 と同時に、首筋から背中にかけて何かが潜り込んだような異様な感触。

 少し怪訝けげんに感じた棗だったが、気を取り直し、鳥居をくぐり境内に足を踏み入れた。


 青い月明かりに照らされて、幻想的な空間が広がる。

 青白い霧が低く垂れ込め、空間をから切り離していく。

 音のない静寂な世界の中で、唯一流れ落ちる水音だけが、棗をに引き留めているかのようだ。


 正面には歴史を感じさせる簡素な拝殿。

 風雨にさらされた素木の社殿は、古く深い趣きを持ち、月明かりの陰と陽の中に浮かび上がっている。

 棗は、遺構いこうともいえる拝殿に目を奪われながらも、視野の隅に揺らめく温かな灯火ともしびの存在を感じ取った。


 棗が目を向けると、それは無数の釣りどうろうの炎に淡く照らし出された社殿で、壁はなく舞を舞う舞台となっている。

 神に奉納するための歌舞かぶ――神楽かぐらを舞うため舞台。

 神社によく見られる神楽殿だ。


 そして、そのだいだい色の炎に揺らめく神楽殿に彼女を見付けたのだった。

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