参ノ妙 違えの辻

 棗は、下校時に彼女を追跡し身元を調査することにした。

 調査というと聞こえがいい。


 ――これは一歩間違えばストーカー行為だなぁ。


 棗は思案するが、他に方法が浮かばないのでやむを得ない。

 実は、すでに今回が四度目のチャレンジで、これまではことごとく失敗に終わっている。


 一度目と二度目はそもそも教室を出る前に、誰かしらに呼び止められて、ちょっとした会話をしている間に、教室から彼女がいなくなってしまうという、例の仕組まれた偶然にやられてもろくも失敗。

 三度目は、終業のチャイムと同時にいち早く教室を出て、校門のかげに隠れて待ち構えるといった万全策を取った。


 一つ誤算だったのが、しばらくして雨が降り始めたことだ。

 棗の肩に雨粒がポツッと当たる。


 ――降ってきたかぁ。


 ポツ、ポツ、ポツッ。


 棗は午後から天気が悪くなるのを知っていたので傘を用意していたが、教室を早く出て配置につかなければならないことに気を取られて、傘を持たずに校舎を出てしまっていた。

 雨は時間と共に徐々に本降りとなり、棗は滝に打たれたように全身ずぶ濡れで待ち続けなければならなくなってしまった。


 さらに、下校する学生も当然傘をさすので、顔が見にくく彼女の判別が難しくなる。

 棗は屈み込んで低い姿勢から覗き込み、彼女を見逃さないように、一人一人注意深く確かめる。

 数々の学生が校門を出て、思い思いの方向へ下校していく。


 下校する学生たちから見たら、さぞかし怪しげな人物だったろうと思う。

 いかにも不審そうに目を細めながら、棗を横目に通り過ぎてゆく。


 雨水を吸った学生服が重たく棗の身体に貼りつく。

 すでに一時間が経過しようとしていた。

 下校する者もしだいに少なくなり、ほとんどいなくなってしまった。


 見逃したはずは絶対にないのに、またしても、彼女は煙のように消え失せてしまったのだった。


 そして、四度目の今回は、より万全を期している。

 まず、そもそも今日、棗は学校に行っていない。

 しかも、仮病などでなく風邪で本当に体調が悪く、学校を休まざるを得なかった。

 というのも、昨日、雨に打たれながら校門のかげで、一時間近く彼女が下校するのを待っていたのが原因だ。


 ――何やってんだろう。


 と棗は思う。


 ――しかし、今こそが絶好のチャンス!!


 とも思う。


 棗の追跡に彼女が気付いているのかどうかは分からないが、取り敢えず、学校に来ていないとなれば、彼女も油断するのではないかと棗は考えた。


 棗は、なんとか気力を振り絞りベットから起き上がった。

 できる限りの厚着をし、マスクをし、頭には冷却ジェルの完全武装で部屋を出る。

 学校の校門近くに着くと、丁度、終業のチャイムが鳴ったところだった。

 フラフラしながら待つこと数十分、案の定、校門から出てきた彼女を簡単に見つけることができた。

 パーカーのフードを深くかぶり直し、壁を背にそっと彼女の背後に張り付いた。

 よろけながらも、つかず離れずの微妙な距離を保ちながら後をつける。


 ――体調は悪いが何とかなりそうだ。


 棗は彼女に気付かれないように細心の注意を払い、建物のカゲなどに身を隠しながら進む。

 しばらくすると、彼女は真っすぐに続く一本道の途中で立ち止まった。

 すかざず、――といっても気持ちだけで体は動いていないと思うが――棗は近くに駐車してあったトラックの影に身を隠し、彼女の方をのぞき見る。


 彼女は、ここで初めて周囲を軽く見渡した。

 何気なく見ると一本道に見える道だが、彼女が立っている場所の横には細い路地がある。棗のいる場所からは、路地の奥は全く見えない。


 彼女は周りに誰もいないことを確かめると、路地の方に向き直り、両手の指を胸の前あたりで複雑に絡め、特異な形を組み上げていく。

 自然体でまっすぐに立つ彼女は、緩やかに目を閉じて何かを唱え始めた。

 棗からは、唇の動きしかとらえることができず、何をつぶやいているのかは聴き取れない。


 ――『印を結ぶ』というやつかな?


 棗は彼女の奇異な行動に唖然としながらも、彼女を真似て同じように指を組んでみる。

 唱え終わると彼女は両手をスッと下し、何か足踏み?のようなことを始めた。


 右足を半歩前、左足を続いて半歩前、右前、左を右足の後ろ、右足中心に半回転、半回転の一回転、右後ろ、左後ろ、右後ろ、左右足の前……。


 見たことはないはずだが、何かの舞を思わせる、どこか懐かしく日本情緒あふれるゆるやかな調子の足さばき。


 どこからともなく聞こえてくる鈴の

 鈴のは風に揺れる風鈴のように、すずやかに棗の脳裏に響き渡る。


 チリーン。


 鈴の髪飾り。


 リーン、チリーン。


 鈴の音は徐々に大きくテンポを増していく。


 次の瞬間、目の前の風景が、蜃気楼のように揺らぎ、視界があかね色がかった濃い霧に包まれ始めた。


 リーン、チリーン、チリーン。


 棗は軽い目眩めまいを感じながらも、彼女を見失わないように眼を見開く。

 彼女は、そのまま路地の奥へ入っていった。


 棗は、フラフラしながらも出来うる精一杯の動きで路地へ向かったのだが、もうすでに彼女の姿はそこにはなかった。

 どこかに彼女の痕跡がないかと、探りながら路地の奥へと足を進めていく。

 さすがに、熱がぶり返して来たのか足が重たくなってきた。

 棗は少しよろけて脇の壁にもたれかかる。


 ――さすがに今回はここまでか。


 と一瞬頭をよぎった棗だったが、深く息を吸い込み、気力を振り絞って立ち上がる。

 何となく意識が朦朧となってきていることを感じながら路地を進んで行くと、家々が点々とし始め、どこか懐かしさを感じさせる情景に、あかね色を帯びた夕日が差し込む。


 果てしなく広がる美しい稲田。


 道端には、度重なる風雨のためだろうか、像の輪郭りんかく曖昧あいまいな三体の小さな地蔵尊。

 現実か幻想かがあやふやななか、かたわらに、ふと目をやると樹木が鬱蒼うっそうと茂る山。

 その山の奥へとどこまでも続く苔むした石段。

 その一段一段が、暗く音のない闇の中へ消えていくかのように連なっている。


 長い年月を感じさせる大きな石の鳥居が石段をまたいでそそり立ち、現世うつしよ隠世かくりよの境界のごとく、軽はずみな気持ちで踏み込んではならない場所であることを物語っているようだった。


 ――こんなところに神社なんてあったかなぁ?


 うつろな意識の中、棗は石段に一歩足を踏み出した。

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