第15話

 和樹は、いつも通りに『魔窟まくつ』に着地した。

 周囲は、暗闇と静寂に包まれている。

 目の前には、またも聳え立つ山門がある。

 門は開いているが、その向こうは闇一色で何も見えない。

 その向こうに、巨大な月が威圧するように宙に浮いている。

 月光は降り注いでいるものの、地面には届かない。

 和樹は、我が身を見降ろした。

 不思議なことに、光を浴びているかの如く、体は鮮明に見える。


「ふぉっふぉっ。待っておったぞ、中将よ」

 山門の下に座っていた方丈ほうじょう老人は、杖で手招きする。

 こちらは、影のように全身が黒いままだ。

「お主が居ないと、ヒマでのう。村に戻ろうにも、出口が見つからん」

「方丈さま、ごきげんよう」

 和樹は、老人に頭を下げる。

 敵か味方か不明だが、頼りに出来るのはこの老人しかいない。

「後戻りが無理なら、先に進みましょう。また『悪霊』が現れて、蓬莱さんの家の周りを歩いてるんです」

「それだけかの?何か、変わったことが無かったかのう?」


「ありました……」

 この老人は、現世の出来事を見通せるらしい。

 和樹は、友人の上野の身に起きたことを話す。

「ですから、上野の顔面を持って行った『霊体』も探さなくてはならないんです。どこに逃げたのか、見当も付かないのですが。真っ黒だったので、この『魔窟』に住む何かかも知れません」

「……ん?何か聞こえんかったか?」

 老人は、耳に手のひらを当てた。

 

 和樹も、耳を澄ます。

 確かに、背後から声が聞こえる。

 しかし、振り向いても変わったものは見えない。

 『天狗の面』たちは倒したし、周囲からは殺気は感じない。

 左右ににそびえる高い塀と、その下をフラフラ歩く無害な平たい『影』が何体か居るだけだ。



「だれか……居るのかあああああ!」

「ワン、ワワワン!」

 人の声と、犬の鳴き声が近付いて来る。

 その声には、聞き覚えがある。

「まさか…!」

 和樹は叫んだ。

 が、山門は閉まり始める。

 老人はヒョイと立ちち上がり、山門をくぐる。

「何じゃ?犬も居るようじゃが」


「そのようですが!」

 和樹は山門の真正面に立ち、大声で呼び掛ける。

「早く来い!門が閉まる」


 しかし、門は轟音と土煙を上げて、間隔を狭めて行く。

 半分ほど閉まった時に、ようやく走ってくる犬と人の姿が見えた。


 犬は黒毛と白毛の混じったチワワで、黄色い首輪をしている。

 和樹は息を呑んだ。

 この犬には、見覚えがある。

 後ろを見ると……走ってくるのは、どう見ても上野だ。

 黒い帽子をかぶり、オレンジ色のマントを羽織っている。

「おーい、ニャニャロおおおお、置いてかないでくれええええ!」

「う、ウニャロ!」

 

 和樹は彼の名を呼んだ……が、うまく発音ができない。

 戸惑っているうちに、チワワは山門の間を通り抜けた。

「ウニャロ、早く来い!」

 和樹は『白鳥しろとりの太刀』を、鞘ごと腰から外した。

 閉じて行く左右の門の間に立ちはだかり、太刀を水平に持って踏ん張る。

 太刀の持つ力なのか、山門は回転ドリルのような音を立て、停止した。

 太刀は雷のように発光し、和樹は衝撃で飛ばされそうになるのをこらえる。

 芸人が、巨大扇風機の風を正面から当てられる番組を見たことがあるが、よもや

それが我が身に降り掛かるとは、思ってもみなかった。 

 

「ウニャロおおおおおっ!」

 和樹は叫び、上野も必死の形相でヘッドスライディングして、脇を擦り抜ける。

 和樹は太刀を縦に持ちかえて、背後に飛んだ。

 轟音と共に山門は閉まり、そして忽然こつぜんと消える。

 周囲は漆黒に包まれ、上空に巨大な月だけが残った。


「ウニャロ、どうしたんだ!どうやって、ここに来たんだ!?」

「知らねえよ!トイレに座ってたら、突然下に引っ張り込まれる感じがして……。気づいたら、ここに居て。でっかい門が見えたから、走ったら、お前が見えた」

 座り込んだ上野は着衣を整え、息を切らせつつ、足元でお座りをしているチワワを見た。

 

「こいつ、チロだよ。ニャニャロ、覚えてる?二年前に死んだ、オレん家のペットのチロだよぉ……」

 上野はチロを抱き上げ、号泣した。

「ううっ……お前は川を流れてて、それを見つけた父さんが助けたんだよな。泥だらけで、最初は猫と思ったらしいぞ。9年間、飼ってて……でも母さんが抱いて散歩させてる時に、走って来た車に驚いて、母さんの腕から飛び降りて……電柱に頭をぶつけて逝っちまったんだよな……ううっ」


 泣きながら説明し、チロを頬ずりしつつ抱き締める。

 和樹は太刀を仕舞いながら、老人に聞く。

「彼が、顔面を持ち去られたウニャロです。ここに引き込まれたようですが、僕に引っ張られたからでしょうか?」

「そんなとこじゃろう。お主、『川の水入りの容器』を、そやつに持たせていると言っておったのう?」

「はい。それを持っていないと、顔面が消えてしまうので」

「そやつの顔面が、こちらにあるせいもあるな」

「それじゃ、顔面を取り戻さないと……ウニャロ、聞いたか!?」


「ああ、ニャニャロ…」

 上野はチロを抱いて二人に近付き、不思議そうに老人を見降ろした。

「そちらの御老人は……」

「ただのヒマな老いぼれじゃ。『方丈』と呼べい」

「よろしく……オレはウニャロです…」

 上野はペコリと頭を下げる。

「ここが、ニャニャロの言ってた『魔窟』ですか?」

「いかにも。お主の犬は、よほどお主を慕ってたようじゃのう。死後も、お主らの家に居て、お主ら家族を見守ってらしいの」


 それを聞いて、また上野は泣きだした。

「チロ……そうか、ずっと一緒に居てくれたんだな。オレに付いて、こんなところまで来てくれたのか……ううっ」


「それより、方丈さま。僕も上野も、名前を正確に言えません。ニャニャロだの、ウニャロだの」

 和樹は、口をモグモグ動かす。

 『上野』と呼ぶつもりが、どうしても『ウニャロ』になってしまう。

「これからは、本名を使うと危険と言うことじゃよ。呪いを掛けられる危険が無きにしもあらず、と言うことじゃ」

 老人は、ケロリと言い放つ。

「お主には『神名月かみなづきの中将』と言う、立派な呼び名があるじゃろう。ウニャロくんも、もう自分の呼び名を理解してるじゃろうて?」


「そ、それは……」

 二人に見つめられた上野は、バツが悪そうに首をすくめる。

「オ、オレの名は……『如月きさらぎ モディリアーニ』です…」

「何だ、それ……」

 和樹は眉をひそめて聞き返し、上野は背を丸めて説明する。

「知らねえよ。ここに来た途端に、『如月』って字が、頭に浮かんだ」

「『モディリアーニ』って、何だ?」

「父さんが買った複製画が、夕方に家に届いたんだよ。モディリアーニの描いた『黒い帽子の少女』の絵。『如月』の後に、何となく『モディリアーニ』が浮かんじまって……」

「それで、『如月 モディリアーニ』かよ……」


 和樹は呆れたが、確かに上野の父親は画家だ。

 改めて上野の服装を見ると、外国の芸術家っぽい。

 黒いベレーに、くすんだオレンジ色のマント。白いシャツの襟元には、青と黒のストライプのスカーフ、黒いワークパンツにショートブーツ。

 上野の髪はミディアムロングなので、似合っていないこともない。

 

「で、お前のことは『神名月かみなづき』と呼べば良いのか?」

 上野も、ジロジロと和樹を見て感想を言う。

「神社の人みたいな服装だな。髪も長くなってるし」

「こないだも、女の子に同じこと言われた」


 和樹は諦めの吐息をく。

 こうなった以上、上野とチロも連れて行くしかなさそうだ。

「行きましょう。方丈さま。『悪霊』を退治しないと」

「そうじゃが……足元が悪いわ」

 老人は竹筒を取り出し、蓋を開けて引っくり返した。

 水は下に流れ落ちているようだが、地面にこぼれ落ちた音がしない。


「方丈さま、これは…」

「この先は、穴ぼこだらけのようじゃな」

 老人は杖を振り回す。

 互いの姿は見えるが、それ以外は何も見えない。

 ただの黒く澄んだ闇だけが広がっているだけだ。


「神名月……前の方に何か居るらしい」

 チロを抱いた上野が言う。

「チロが言ってる。チロの声が伝わるんだ。前の方に、かすかな気配がするって」

「マジか?」

 和樹は耳を澄ませたが、何も聞こえない。


「おい、如月とやら。お主も手伝ってくれい」

 老人は振り向いた。

「お主、変わった能力を持っておるのう。こういう場所だと、役立つわい」


 その言葉が理解できず、和樹と上野は顔を見合わせたが、すかさず老人の静かなゲキが飛んだ。

「死にとうなければ、闘え。取っ組み合うだけが、闘いではないぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る