第6話

 和樹の部活は『読書部』だった。

 その活動は、週一回。図書室から借りた本を、教室で読むだけ。

 感想を発表するでもなく、ただ黙読する。顧問の教師も、殆ど訪れない。

 部長はジャンケンで決める。

 今年の部員は26名。運悪く、最後まで負け続けた和樹が、六代目部長であった。

 入学直後に、一戸いちのへから剣道部には誘われた。

 運動部は性に合わないと断ったのだが……それが少し悔やまれる。

 

 

 だが、体は動く。太刀たちなど振ったことは無いが、獣のように跳ねる『影』たちを的確に打ち据える。

 飛び掛かって来る『影』を瞬時に捕え、次の瞬間には鞘を打ち込む。

 同時に、次に打ち据えるべき『影』を見定め、身を半回転させ、鞘を突き出す。

 

 『影』たちは質量が無いように思えたが、打つと重い手ごたえがある。

 倒れた『影』は、ピクピクと震えるばかりで、起き上がっては来ない。

 半分ほどを打ち据えると、残りの『影』は、家屋の向こうに逃亡した。

  

 襲撃終了を見取った和樹は『白鳥しろとり太刀たち』の柄を持ち、数メートル進み……バタリと膝を付いた。

 ゼェゼェと息を吐き、呟く。

「つ、疲れる……」


「倒したのは、11体か。なかなかじゃが」

 方丈ほうじょう老人は、四つん這いの和樹を眺める。

「お主、体力が無いのう。こりゃ、鍛えないと使いものにならぬわ。お主の強さを見極めたくて、奴らを起こして見たんじゃがな。こりゃ、残念」

 方丈老人は、腰に吊るしていた竹筒を差し出す。

「ほれ、水じゃ。飲め」

「……飲んでも、大丈夫なんですか?」

「村の外れに、川があるのじゃよ。東の御山から流れて来る。この村で、口に入れられるのは、この水だけじゃな。飲む者など、滅多にいないが」


「……いただきます」

 和樹は竹筒のふたを外し、中を覗き込む。

 妖しい水ではないかと思ったが、異臭も無かったし、無色透明のようだ。

 安心すると急速に渇きを覚え、竹筒を傾けて、一気に流し込む。 


「美味しいです。冷たくて……スーパーで売っている『大雪山の水』みたいです」

 半分ほどを飲み干し、方丈老人に竹筒を返す。

「方丈さまは、いつも持ち歩いていらっしゃるのですか?」

「まあな。体の調子は、どうじゃ?」

「……何だか、疲れが取れたみたいです。不思議だ」


 和樹は、左肩をグルグルと回した。肩は軽く、息切れも退いている。

 だが、考えれば奇妙だ。

 今は霊体の状態なのに、息切れや喉の渇きを感じるのは、おかしい。


「『地獄』に堕ちた者は、鬼たちに苦しめられると見聞きしたことは無いかね?」

 和樹の疑問を読み取ったように、方丈老人は言う。

「こちらの世界に住む者どもにも、感覚はあるのじゃよ。ほれ、後ろに倒れている奴らは、まだ動けぬではないか。そのうちに起き上がって、またそこらにうずくまるじゃろう」


「方丈さま……あなたさまは、如何なる御方おかたでございますか?ゲームだの縁日だの、なぜ現世のことをご存知なのですか?」

 和樹は、低姿勢で訊ねた。

 この『影』の老人が、只者では無いのは明らかだ。マンガだと「実は、菩薩さまでした~!」のパターンだろう。

 そのパターンであれば、ここで正体を明かさないとは思うが。


 方丈老人も、低い笑い声を発して答えをはぐらかす。

「ただの世話好きのジジイじゃよ、ここは、お主から見たら、暗い末法まっぽうの世であろう。それでも、普段は静かじゃ。眠れば、夢も見られるしの」



「じじい……まだ、懲りずに彷徨さまよっていたか……」

 声が響いた。

 後ろからでは無い。

 前方からだ。

 方丈老人は、無言で杖を地面に付き立てる。

 

 鈴の音が鳴り、前方の『無の空間』から、人の形をした『影』がにじみ出た。

 『影』の両腕は長く、ゴリラを細身したようなシルエットだ。

 身長は二メートルを超えているだろう。

 他の『影』たちは違い、真紅のオーラのようなものが見える。

 それは炎のように揺らめき、足元で渦巻いている。

 しかし、右腕の肘から先が見えない。

(こいつの手が、蓬莱さんの肩に引っ付いてるわけか!)


 「ほっほっほっ。ここの『門番』の登場じゃぞ、中将。ほれ、闘ってみい」

 方丈老人は、ガラリと人が変わったようにあおり立てる。

 どうにも扱いづらい老人だが、今は抗議をしている場合では無い。


 鞘に収めたままの太刀を見つめ、そして決断する。

 この『影』は、滅しなければならないと、本能が警告してくるのだ。

 鞘で打つだけでは、退散は不可能だ。

 刃で斬らなければ、蓬莱さんから引き離せない。

 気が進まないが、止むを得ない。


 和樹は『白鳥の太刀』を、左腰に当てる。

 袴に結びつけられた『太刀紐』は、クルクルと鞘に巻き付いた。

 改めて柄を握り締め、太刀を抜く。

 『白鳥の太刀』の刃が姿を現した。

 刃は磨き抜かれた鏡のように輝き、周囲の薄闇を照らす。


 その輝きに怯えるように、月光がかげった。

 上空の巨大な月は、新月のように白さを増し、どこからかからすの鳴き声が響く。

 それに混じるように、優しく温かな声が、和樹の耳を捉える。


(中将さま……この太刀をお持ち下さいませ。そして、この表着うわぎも……)


 その女人にょにんは、この白銀色の羽織を両手に掲げていた。

 顔も姿も見えないが、その人は黒っぽい着物を着ている……。



 和樹は、まとっている白銀色の羽織を見る。

 円形の紋様が浮き出ているが……


(思い出した。この表着うわぎは、あの姫君が仕立てられた物だ……!)

 和樹は力を込めて、地面を踏み締める。

 

「方丈さま、少しだけ思い出しました……」

 背後に佇む老人に語る。

「この『門番』を倒さなければ、大切な友人を救えないんです…!」


 和樹は躊躇ためらわずに、右足で地面を蹴った。

 走り幅跳びの踏切板を蹴るように。

 その跳躍は高く、『門番』の頭上を易々と超えた。

 鏡の如き刃を振り下ろし、着地する。

 『門番』の右腕は、肩から切断された。

 右腕は宙を舞い、真紅の光となって、たちまち霧散した。

 『門番』は、振り向こうとした。

 瞼を見開き、白目を剥き出しにする。

 だが、閉じる間は無い。


 『白鳥しろとり太刀たち』は、『門番』の下腹部をつらぬく。

 剥き出しの白目が真紅に染まる。

 咆哮が闇を震わせ、『門番』の身は真紅に染まり、地面に滴り落ちる。

 轟音と共に渦が巻き起こり、真紅の液は渦の奥に吸い込まれていく。

 血の臭いが立ち込めたが、すぐに消え、轟音も渦も途絶えた。

 決着が付くまで、十秒も掛からなかっただろう。

 熟練の立ち回りで、和樹は『門番』を消し去ったのだ。


 頭上の新月も元の色に戻り、元通りの静寂が立ち込める。

 見上げると、からすの群れが、こちらに向かって来る。



「ほう、からすどもが戻って来よった。何十年振りかのう」

 方丈老人は、見上げて呟いた。

 その足元には、寄って来た犬がいる。

 成犬らしいのが二匹と、仔犬らしいのが二匹だ。

「中将よ、礼を言わねばな。感謝する」

 老人は手を合わせ、短い経を唱える。


「いえ、そんな……」

 和樹は少し息を切らせつつ、抜き身の太刀を見た。

 輝きは、全く曇っていない。

「方丈さま、お礼を言うのは僕の方です。色々と教えていただきました」

 ペコリと頭を下げる。

 剣道は未体験だったが、体は自然に動いた。

 霊体なのだから当たり前なのかも知れないが、ほぼ一撃で『門番』を倒せたのは不思議だ。

 おそらくは、太刀と表着の加護ゆえだろう。


 和樹は太刀を鞘に収め、道の先を睨む。

 忽然と、その先に山門が現れた。

 漆黒の木で組み上げられた丈高たけたかい山門で、太い二本の柱の間に扉があり、その上に重々しい屋根が載っている。


「中将よ。この先の『門番』は、もうちっと強いぞよ。行くか?」

 方丈老人は声を掛けたが……そこには誰も居ない。

「時間切れか……まあ、良い。また、すぐに戻って来よる」

 老人は犬たちの傍に行き、頭を撫でてやる。

「ふむ……元服したばかりの齢頃としごろかな。少し若いが、さわりはあるまい。お主のあきらめの悪さには、閉口するわ。このワシもだが……」

 

 老人が見上げると、門扉は左右に開き始める。

 月は輝きを増し、門の向こうから吹き付ける風が唸った。

「『蓬莱ほうらい尼姫あまひめ』よ……そなたは残極な女子おなごじゃのう……」

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