第2話

 今日は終業式である。

 二学期も終わり、三年生は受験勉強にいそしむわけだが…


「おはよ、ナシロくん。…何か顔色が変じゃない?」

 玄関ドアを閉めながら、同級生は言った。

「いや、何でもない……おはよう」

 和樹は答え、ドアを閉めて一階に降りていたエレベーターを呼んだ。

 「さ、乗って」

 同級生を乗せ、エレベーターのボタンを押す。


 同級生の名は、久住千佳くすみちか

 やや小柄で、闊達な少女だ。数日前に、髪型をショートボブに変えたばかり。

 彼女と出会ったのは。小学校三年生の夏だった。隣に越して来た一家の一人娘で、当時は『かみむしろ』という名字が言いづらかったらしく、いつの間にか「ナシロくん」に落ち着いた。今は、クラスも一緒である。

 

 久住さんは、和樹を見上げながら、弾む声で言った。

「ナシロくん、昨日のテレビ見たよ。お母さま、カッコ良かった!」

「そうかな…」

 和樹は笑ってはみせたが、心中は穏やかではない。昨夜のうちに同様の文面のメールは貰っていたが、母のコスプレ占い姿を見られた気まずさが大きい。


「あのさ、あれが僕の親だってことは、上野と一戸以外には絶対に言わないでよ」

「うん。誓って、学校では上野くんと一戸くんにも黙ってます」

 久住さんは宣誓するように右手を上げ、にこやかに笑う。上野昌也と一戸漣いちのへれんは、和樹の幼稚園時代からの友人で、久住さん同様に、母の顔と本職を知っている。

 久住さん、上野、一戸。幸い三人とも口が固く、他の生徒たちにはバレていないようだ。


 友情に感謝しつつ、和樹は久住さんとマンションを出る。

 雪がチラついており、空は灰色だ。終業式が終わる頃には、本降りになるかも知れない。


「ナシロくんは、やっぱり『第一東だいいちひがし』を受けるの?」

 久住さんは、ピンク色のモコモコのイヤーマフの位置を直しながら訊く。

「春からは、ナシロくんと一緒に通学できなくなっちゃうね」

「うん。久住さんは、『桜南さくらみなみ』に行くんだよね」

「あそこ、来年から制服変わるんだよ。どんなかな?」

「男子って、どれぐらい来るかな?」


 和樹は呟く。桜南高等学校は女子高だったが、和樹たちの学年から、男女共学に変わるのだ。偏差値は、和樹の目指す第一東高等学校より上だ。頑張れば届かない数値ではないだろうが、そうまでして行く理由が思い付かない。


 そうして二人は、たわいもない会話を続け、学校に着いた。

 生徒たちは玄関の靴箱前でコートなどを脱ぎ、各教室に向かう。

 和樹たちが教室に入ると、上野昌也がとびきりの笑顔で声をかけてきた。

「おはよ、ナシロ。昨日の『サテライト・スペシャル』の最後のコーナー見たか?」

「見てない…」

 和樹は、ゲンナリ答える。

 昨日、就寝前にスマホをチェックしたら、上野と隣のクラスの一戸から、同様のメールが届いていた。今後は、母にテレビ出演を控えるよう、頼まなくてはならないだろう。

 

「それより、ナシロ。転校生らしいぞ。女の子だって」

「本当か!?」

「一戸が見たんだってよ、校長室から、ブレザーワンピの女の子と母親っぽい人が出てきたって。野田先生も一緒だったら、たぶんウチのクラス」

「こんな時期に転校生?」

 久住さんは不思議そうに語尾を上げる。中学三年の、二学期の終業式に転校してくるとは、よほどの事情があるのだろうか。


「受験とか、どうするのかな」

 久住さんは心配そうに言い、コートやマフラーを後ろのコートハンガーに掛けに行く。

 しかし、和樹の心配は別の方向にあった。

 昨夜の、風呂場での父とのやり取りを思い出し、肩をブルッと震わせる。




「ホントに父さんなのかい!?」

 和樹はアヒルのオモチャを手放し、腕を伸ばすが……

「えっ!?」

 驚愕して、腕をブンブンと振る。

 父の裕樹の姿は目前にあるのに、さわれない。

 まるでSF映画立体映像に腕を伸ばした如く、腕は父をすり抜けてしまう。

「すまない、和樹…」

 裕樹の手が、和樹の膝に触れた。

「お前と触れ合えるのは、この浴槽の中だけなんだ。父さんは。いわゆる『三途の川』の中にいる。現世と霊界を結ぶ川だ。そこの水を通して、霊道を開いて、ここに来ている。だから、ここ以外の場所では、お前に触れられない……」

「でも……父さんの声も聞こえるし……見えるし」

「湯気のおかげだ。この浴室の中なら、どうにか」

「……触っても……いい?」

 和樹は、湯の下で手を伸ばした。父の膝頭に触れてみる。

 確かに、人肌の感触がある。

 自分の手のひらが、父に触っているのが見える。

「……信じていい?ホントに僕の父さんなんだね?登山中の事故で死んじゃった、神無代裕樹さん…なんだよね?」


 湯の下で、父の手が和樹の手に触れた。

 それは、生きた人間の手と同じで……きゅっと握り締めてくれる。

「お前と母さんには、本当に申し訳ない。寂しい思いをさせてしまった…」

「会えて……話ができて……嬉しいよ、父さん…」

 涙が溢れてくる。

 和樹は、父の命日にも泣いたことがなかった。

 母は「お父さんは、いつも見守ってくれているわ。だから、ありがとうって言いましょうね」と、諭してくれた。

 和樹は、それを自然に受け入れていた。自分の少しばかりの霊感ゆえか、母の職業ゆえなのか……亡くなった父と、こうして会話できるとは思ってもみなかった。


「でも、父さん。その『ほうらい あまね』さんて……」

 鼻をすすりながら訊く。父は『運命の恋人』だと言った。いきなり、そう言われても困惑してしまう。

 悪い冗談だと思いたいが、しかし父の顔と口調は、それを否定している。


「蓬莱さんは、明日、お前と出会う。だが、注意するんだ。お前の霊感は、少し鋭くなっている筈だ。三途の川の、水が交じった湯に触れたからな」

「いや、待ってよ。まさか、僕にその女の子を助けろって言うわけ?」

「そうだ。お前と彼女が、運命の糸で結ばれていると聞いた」

「聞いたって、誰から?」

「……まあ、分かりやすく言えば、父さんの上司だな」

「あの世にも、上下関係があるんだ?」

「父さんは、平社員みたいなものだ。霊界の上層の方々の考えなど分からない。だが、こうして、お前と会うことも許された。これは只事ではない。蓬莱さんは、現世において、大変な使命があるのかも知れない。だから、悪霊たちが憑け狙っているじゃないだろうか」

「いや、ちょっと待ってよ。この町で、『悪霊大決戦』でもあるわけ?」

「それも、父さんには分からない。お前の父親としては、お前の『運命の恋人』を護れとしか言えない」


 そこまで言うと、父の姿は浴槽の底に沈んだ。まるで、浴槽の底を下半身がすり抜けたように、上半身だけが湯の中に沈んで見える。

「いいか、和樹……お前が、蓬莱さんを護るんだ。明日も、父さんはここに来る。その時に……闘いが始まるだろう!」


 そして、父の姿は浴槽に沈み、消えてしまった。和樹は膝を付き、浴槽の底を指先で撫でる。

 当然、異変があった形跡はない。湯量も減った様子はなく、冷めてもいない。

 アヒルのオモチャが、浴槽の下に転がっているだけだ。


「かずき~?何かあったの~?」

 脱衣所の向こうから、母の声が聞こえる。

「何でもないっ。ちよっと歌を歌ってただけ」

 和樹は裏声で答えた。そして……少し後悔した。

 

 母に、今の出来事を話すべきだったろうか。母なら、信じてくれただろう。

 だが、それは出来なかった。父が来たことを知れば、母は喜んだかも知れない。

 けれど、父の話は穏やかならぬものだ。『運命の恋人』を悪霊から護れ、と言われたなどと、母には話せない。

 母の伯父に話そうかとも思ったが、2秒で却下した。伯父も70歳を過ぎており、最近は補聴器の世話になっていると聞いたからだ。

 それに、父の話を全て受け入れるべきか迷う。そもそも、自分は夢を見ていたのではないか、とすら思えたが……


 

 

 だが、上野の話から察すると、夢ではないらしい。

 転校して来たのは、『ほうらい あまね』さん以外には有り得ない。

 和樹は、人知れず唾を呑み込み、ダッフルコートをハンガーに掛ける。父の言葉が真実として、本当に悪霊と闘わねばならないのだろうか?

 

 凡人である自分に回って来た『愛の戦士』たる役割に、ひたすら不安が募る。

 そのうちにチャイムが鳴り、担任の野田みちる先生と副担任の狩谷徹先生が入ってきた。続いて、見慣れぬ制服の女生徒が続く。

 少しウェーブのかかったミディアムロングの髪を肩に垂らした女生徒は、滑るような足取りで歩く。

 明るい青のワンピースの上に、同色のブレザーを着ている。ブレザーの襟は白い。右手に紺色のスクールバッグを持ち、左手に黒いコートを掛けていた。

 生徒たちはざわつく。マンガでは、転校生は美男美女として描かれる場合が多いが、この女生徒も、その例を忠実に守っていた。

 

「ね、すっごいカワイイ人だね」

「女優の『三木瞳』ちゃんに似てない?」

 和樹の後ろに座っている久住さんたちの声が聞こえる。

 男子生徒たちもザワついている。

 確かに美人だと、和樹も思ったが……


 野田先生は教壇に着き、狩谷先生は窓際に立つ。野田先生が全員を見回すと、委員長が号令をかけ、起立して「おはようございます」と型通りに一礼し、朝の会が始まった。

 だが、クラスメイト全員が、時期外れの転校生を注視している。

「皆さん、おはようございます。今日で二学期が終わります。ですが、今日から新しいお友達が増えました。東京から越して来た『ほうらい あまね』さんです」


 野田先生は、黒板に『蓬莱天音』と記した。

 すると、蓬莱さんは深々と一礼した。

「蓬莱天音と申します。よろしくお願いします」

 その様は実に上品で、落ち着いたアルトの声も聞き取りやすい。ただ頭を下げただけなのに、不思議と育ちの良さがにじみ出ている。

 けれど……薄幸そうな雰囲気を、和樹は感じ取っていた。

 久住さんたちの言うように美人だが、どこか影がある。

 他の生徒たちはそれに感づいてないのか、無邪気っぽく「よろしくお願いしま~す」と呼応する。

 

 だが……この時、和樹は驚愕した。

 蓬莱さんの右肩の後ろから、青白い大きな手がニュッと出現し、ガッシリと右肩を掴んだのである。

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