第1章 父の幽霊、浴槽に現れる

第1話

「あなたの探し物は、一週間前に失くした紺色のショルダーポーチですね?」

「は、はい!その通りですっ」

「失くした時に、ケガをしませんでしたか?」

「はいっ。気が付いたら、家で寝てましたっ。酔っててよく覚えてないんですが、殴られたらしくて、左の頬が腫れてましたっ。居酒屋さんを出た後に、ヤバイ人とケンカをしちゃったみたいなんですっ。その時に、ポーチを盗られちゃったんだと思いますっ。中には財布とスマホが入ってましたっ」


 目尻の下がった坊主頭の芸人は鼻の穴を大きく膨らませて立ち上がり、後ろの半円形のセットに陣取った観客たちは「おおっ」とどよめいた。

 司会のローカル芸人と女子アナも「本当ですか、キジ春さん!?」と大袈裟に驚いて見せる。

「そのことを誰かに話しましたか?それが岸川先生の耳に入ったとか、そういうことはありませんか?」

「いえ、マネージャーにも、酔って転んで歯を打ったとしか言ってないですっ」


「私の水晶球は、すべてを見通せるのです」

 正面カメラが、黒髪アップヘアの占い師の上半身を映す。台詞のテロップも、赤の太文字でデデ~ンと出る。

 

 あたかも、その画面を観ているかのように、占い師は尊大な笑みを浮かべた。クレオパトラのような目元を強調したメイクだが、着ている物は飛鳥時代の女官風。かの有名な、高松塚古墳の内壁に描かれた婦人像のような衣装である。

 占い師は、目の前のテーブルに並べた二つの水晶玉を交互に見つめ、正面に座る芸人をグイッと指した。


「財布の現金は諦めなさい。ただし、スマホのある場所は視えます。居酒屋の裏にある線路から一番近い駅の……そこの北口から200mほど離れた空き地に捨てられています。スマホは、雪に埋もれています。春になったら、空き地を訪れた中学生たちがスマホを発見するでしょう!」


「……その頃には、こんな占いのことなんか、みんな忘れてるよ」

 夕食の生姜焼きを箸で摘みながら、少年はボソッと呟いた。

 視線の先には、今まさに40インチのテレビ画面に映っている母親――占い師の岸川沙都子きしかわさとここと、本名・神無代沙々子かみむしろささこは、缶チューハイを片手に、枝豆の温サラダをパクパク食べている。

 洗いざらしの黒のスウェットのセットアップに、炭酸飲料の景品のピンク色のソックス履き。ミディアムロングの茶髪を無造作に束ねた、ノーメイクのくつろぎスタイルだ。

 画面の中の、高松塚クレオパトラの占い師の面影は、どこにもない。

 沙々子は、空になったチューハイの缶を、テーブルにポンと置いた。


「和樹ったら、そう冷たく言わないでよ。ユーチューバーの誰かが、スマホ捜索の準備を始めたかもよ?」

「明日は、昼から雪らしいし。そんな物好きが、そうそう居るわけない」

「その物好きが雪かきしてくれたら、ありがたいじゃん。でも他人の土地に勝手に入ったら、不法侵入だもんね。それより、早く食べちゃお。7時から『アイドル・ヒットチャートベスト50』があるから」

「大丈夫だよ。録画セットしてる」

「『ブリリアント少年』の中継もあるのよ。7時半ぐらいに登場だって。彼らだけは、生で観なくちゃ!いつか、マキナくんと共演できないかな~。先にお風呂、入ってね」

「……うん。食器は僕が片付けるから。母さんは、ゆっくり観てなよ」 

 

 少年は、ひとくちのご飯を噛み、玉ねぎとじゃがいもの味噌汁をすすりつつ、隣の和室の仏壇をチラリと眺める。

 

 彼の名は、神無代和樹かみむしろかずき。沙々子の一人息子で中学三年生。三ヶ月後に高校受験を控えた身だ。

 志望校は、家から自転車五分の距離にある公立高校の普通科だ。内申も心配ないだろうし、今の学力なら合格は間違いないと担任にも言われた。

 高校卒業後は、札幌の大学に進学しようと考えている。その後は、ごく普通の会社員になるだろう、と凡庸な人生に思いを馳せる。


 何の因果か占い師の息子に生まれてしまった訳だが、沙々子の占いは結構な確率で当たる。

 沙々子の伯父も霊能者で、幼い沙々子に「自分の後を継いで、巫女にならないか」と誘ったらしい。巫女にはならなかったが、地元ではそれなりに名の知れた占い師にはなった。今夜のように、たまにテレビやラジオにも出演している。

  

 その血筋ゆえか、和樹にも僅かばかり霊感的なモノはある。しかし実生活では、ほぼほぼ役に立たない。ポイントサイトのクジの数字が当たりやすい(たぶん)とか、「ここに長く居たら良くないことが起きる」などと感じる程度だ。

 

『目に見えない何かは、確実に存在している』ことは何となく理解しているが、少なくとも、実生活に干渉はしてこない。

 ゆえに和樹は、母の仕事にも口出しはしない。奇妙な世界に足を突っ込んで、平穏を乱すのは自分の性分ではない。

 人の波に埋もれて生きるのが、『我が道』なのである。


    

「……ごちそうさま」

 和樹は立ち上がり、食器を片付ける。仏壇に供えた水とご飯も下げる。和樹が後ろを通った時、沙々子はペンライトを片手にソファーに移動した。

 

 やがてリビングから歓声が上がり、それを聞きながら食器を洗っていく。

 2LDKのハーフリビングタイプのマンションは親子二人が暮らすには充分な広さはあるが、築30年以上なので、それなりに経年劣化している。

 壁紙の一部は剥がれ、キッチンの蛇口も固くなってきた。新しいものに交換したいところだが、壊れてはいないし、金銭的余裕もない。

 占い師とて、そう儲かるわけではないのだ。

 ふたりが生活していける程度の世帯収入はあるが、住まいの修繕に回せる金はない。だから、進学したらアルバイトを始めようと思っている。少しは、生活の足しになるだろう。

 

 和樹は、洗った食器を棚にしまいながら、リビングを覗き込む。

 ソファーに掛ける母の後ろ姿の向こうにある大きな窓から、雪明かりに浮かぶ街や駅が見える。その奥には、雪を被った山々が、紺青の空に薄青く浮かび上がっている。芸人のスマホが見つかる頃には、駅前に新たな商業ビルの建設が始まる予定らしい。


 

「ふううぅ~っと」

 風呂に入った和樹は、脚を曲げて天井を仰ぎ見た。

 浴槽は、深さはあるが足が伸ばせるほどの長さはない。

 テレビのリフォーム番組のバスルームは、脚を伸ばして入れる浴槽ばかり紹介されるが、この大きさの浴槽に不満はない。


「父さん……」

 ふと、呟いてみた。

 父の裕樹ひろきが亡くなったのは、自分が三歳に満たない頃だった。

 父と母は大学の同級生で、学生結婚をして、自分が生まれた。

 しかし、父は登山中の事故で命を落とした。

 もともとあった母の霊感は、それ以降さらに高まったらしい。

「お父さんが護ってくれているの」と母は言うが、それを今ひとつ信じきれないのは、親不孝だろうか。


 浴槽の中で背を反らせ、バシャバシャと肩に湯をかける。何だか、いつも以上に心地が良い。

 湯は柔らかく、少しぬるめの温泉に浸かっているようだ。花の香りも漂ってくる。入浴剤は無色無臭のものなのに、何だか奇妙だ。

 そして、眠い……

 このまま眠ってしまいそうだ……


「……かずき……」

 呼ぶ声がする。

 誰だろう。本当に眠ってしまったのだろうか……

 フッと瞼を押し上げると……目前に、人の姿があった。

「……はぁあっ!?」

 自分の真正面に顔がある。

 いや、鏡があるのかと思ったぐらいだ。

 彼は、自分に非常に良く似ていた。

 いわゆるイケメンには一割ほど不足している感じだが、人の良さがにじみ出ている顔だ。優柔不断そうで、ちょっと頼りなさげで、それでも特に不満に思ったことのない、見慣れた顔だ。


「和樹、僕だ。お前の父親の裕樹だ」

 彼は濡れた髪を撫で付け、真顔で言った。

 しかし、彼も全裸だ。湯の下で揺れている下半身には、タオルが巻いてあるようには見えない。

 紛れもなく、全裸の自分そっくりの男が、目の前に居る。男ふたりが向き合い、広くない浴槽に浸かっている、何とも形容しがたい状況である。


 和樹は何度も瞬きし、首を上下左右に振り、浴槽の縁に置いてあったアヒルのオモチャで湯を掻いても、目の前の男は消えない。

 

「夢だよな、これ…?」

 呟くと、真正面に居る男は、湯の下から出した黒縁眼鏡を掛ける。

 写真でしか知らない、父の姿そのものだ。

 そして、父の姿をした彼は言った。


「和樹、お前のために『川』に飛び込んで、現世に帰って来た。よく聞いてくれ。そして信じてくれ。僕は、死んだお前の父親の裕樹…の霊体だ。いいか、お前には使命がある。お前の『運命の恋人』を護らなくてはならない。彼女の名は、『蓬莱天音』。悪霊どもが、彼女を狙っている!」

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