Song.5 出席

 心の疲弊があったために、保健室での時間はあっという間に過ぎた。自宅と違って、静かだけどそこに人がいるという空間が、どうも心地よかった。普段の睡眠不足のこともあったために、一度眠ってしまうと起きる気配がなく、物音すら立てず眠った。


「ちわーっす。先生、ここにうちの野崎来てないです?」


 あまりにも深く眠る様子を見て、昼休みを終えようとしても、養護教諭は起こそうとはしなかったた。そのため、午後の授業は全て欠席。既にホームルームまで終えた時刻に、やっと聞こえた軽い声で恭也は重い瞼をほんの少し持ち上げる。


「篠崎先生……ここは保健室ですよ? もっと場所をわきまえていただかないと」

「こりゃ失敬。でっ、と……野崎ー開けるぞー」

「ちょっと!」


 失礼とも思っていない返答。それを注意しようとする前に軽い声の主である篠崎が、ベッドを囲うカーテンを勢いよく開く。

 面倒くさい。そう思って布団を被り、バッと身構えた恭弥だったが、開けられたのは隣のカーテンだった。


「あれ。副会長か。人違いだったな。悪い悪い。でも、副会長にはちょっとお知らせを。後で読んで、ちゃんと来いよ。副会長がこっちなら、野崎はこっちか」


 再び軽い謝罪。窓際のベッドを利用していたのが、生徒会副会長であることを今、恭弥は知った。

 そして二回目にして開けられたカーテンこそ、恭弥が利用しているベッドを囲うもの。話しかけるなと言わんばかりに、頭まで毛布をかぶっていたが軽々とそれを引きはがされ、眉間にしわを寄せたまま篠崎をにらみつける。


「そんな顔すんなって。ほら、やるよ。来週が期限の課題だ」

「ボーナスくれてやるみたいな言い方されても困ります」


 数枚の紙が視界を覆う。やりたくないけどやらねばならない紙切れ。そのうちやればいいやと、手に取って枕元に置く。

 篠崎に背を向けたまま横になっており、いつになっても起きようとしない恭弥に、篠崎は「はぁ」と大きくため息をつくと腕を引っ張り無理やり体を引き起こした。


「何度も何度もさぼっていたら、卒業できねぇぞ? 早退多いから、出席日数ピンチだからな、野崎」

「……卒業なんかできなくてもいいです。別に。退学になるならそれでいいです」


 再び寝ようとしたが、腕を掴まれたままなので適わない。下半身は自由でもあるため、ベッド上で体育座りの体勢をとって下を向く。表情はうかがい知れないが、声からして冗談ではなく真面目に言っているのだと悟り、篠崎は頭を抱えた。


「無理させないでくださいよ、先生。彼も色々あるんでしょうから……」

「でもねぇ、さすがに出席日数はねぇ。……って思って、いつも授業に出ない野崎を働かせようと思いまして。いい案を思いついたんです、聞きたいです? 聞きたいですよね?」


 はいもいいえも聞かぬまま、篠崎は一人、楽しそうに両手を叩いた。それが恭弥に嫌な予感を抱かせる。


「俺、帰りま――」

「はいはい、逃がさないよー。たまには先生の話を聞きなさい」

「うっ……」


 ベッドから出て逃げようとした恭弥の腕を篠崎が両手でがっしりと捕らえた。力もなく細い恭弥の体。いくらあがいても大の大人から逃げ出せることはなく、すぐにベッドに腰かけた。そこから再度逃げ出すことを防ぐように、両肩を篠崎に押さえつけられたことで、抵抗する気力は完全に失った。


「よしよし。それじゃあ話を続けようか。野崎は文化交流会知ってる?」

「……土曜にやるだるいやつ」

「そうそう。それそれ。毎年七月の第一土曜日にやる地元の人も招いた交流会。文化部がメインでステージに立つやつなんだけどさ……それ、野崎も出ようか」

「はあああっ!?」


 過去一大きな声が出た。口を開いたがそれ以外の言葉が出てこなかった。

 文化交流会について、第二学年である恭弥は去年出席はしていたため、どんなものなのかはある程度知っている。

 全校生徒が休日にも関わらず体育館に集められ、吹奏楽部や書道部などの文化部がステージに立ってパフォーマンスを行う。中には有志による漫才も。それを地域の人々が見に来るというものである。

 去年は出席日数の関係で参加はしたが、終始うつむいているか、時々保健室に逃げていた。そんな恭弥にとって、音が飛び交う交流会は苦痛以外の何物でもない。


「もちろん一人じゃないよ? めぼしい仲間たちはもう探しておいたから」


 何を言っているんだ。そこを心配しているんじゃない。

 口をパクパクさせて、篠崎を見るもにこやかな顔を返されるだけ。

 突然のことに、理解も納得もできるわけがない。

 養護教諭へ助けを求めたが、そちらもそちらで驚きと困惑で何も言ってはくれなかった。


「いやね、今年も俺が交流会の運営担当になってさぁ。いくら計算しても尺が余っているから、いいやつ見つけてステージに立たせようと思って。な?」


 何が「な?」だ。やりたくないの一言に尽きる。

 首を横に振って意思を伝えてみるものの、篠崎は聞こうともしない。それどころか言いたい事を言えた達成感で、「じゃ、気を付けて帰れよ」と言いながら歩いて去っていく。

 残された恭弥は、課題と一緒に紛れていた「文化交流会についてのお知らせ」と書かれた紙をくしゃりと握りしめた。

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