第8話


「魔獣が現れたぞー!」



 連絡係の大声のあと、間髪いれずに聖騎士が抜剣し魔王に矛先を向けた。 だが魔王は動揺することなく椅子に肘をつき寛いだまま。



「魔王が引き入れたのだ!裏切りだ!」

「魔王を捕らえよ」

「魔王様は潔白です!無礼が過ぎますよ!お止めなさい」



 聖女はすぐさま立ち上がり神官の糾弾から、魔王を背に庇う。だが聖騎士や神官は引く様子もなく、ロード教皇も止めに入らない。



「聖女様はこちら――に……」



 遂に一人の聖騎士が聖女の腕に手を伸ばすが……叶わない。腹から上だけが先に斜めに滑り落ち、遅れて下が崩れ深紅の海を作っていく。魔王の影から聖女に手を伸ばしていた神官二名は、首より上が宙を舞ってから海に沈んだ。



「聖女に触れるな。これは我のものだ」



 怒気が含まれた声で、止まっていた時間が動き出す。魔王を中心に風が吹き荒れ、周囲にいた聖騎士とロード教皇は後方に飛ばされた。



「魔王様、お止めください!殺さないで!」



 明らかに手加減はしているが、公の場で教皇に手を出してしまった。聖女は魔王の胸に縋ってやめるよう訴えるが、視線すら合わない。彼の赤い瞳はいつか見た、諦めの色を強く宿していた。その間も不用意に近づいた騎士たちが赤い海を広げていく。



「捕らえました!」



 捕まったのは勿論魔王ではない。伝令の声と共に騎士たちが広場の中央に黒い塊を引き摺って着た。馬より一回り大きい魔獣の狼だった。逃れようと暴れるが幾重にも巻き付けられた鎖が身体に食い込み、痛々しい咆哮を上げている。魔王の目が見開かれ、広場の中央へと足を踏み出した。



「そこをどけ」

「断る!まずは同胞を殺されたくなければ、聖女様から離れよ!魔王よ!」

「止めて!これ以上は――」



 聖女の悲痛な言葉はどちらに向けられたかは既に誰も分からない。両者に割り込み互いを止めようとした聖女は、足元から伸びる影に飲まれ姿を消した。

 式典に登場してきたときと同じ転移だと分かるが、魔王のブレーキ役が失われたのは事実。騎士たちは聖女の消失に焦り、参列者が腰を抜かし絶望する中、魔王は初めての笑みを浮かべ両手を広げた。



「ほら、離れたぞ?」

「貴様!聖女様をよくもっ……魔術師よ、撃てぇぇぇ!」



 高まりすぎた緊張感を抑えられず、騎士団長が追撃を指示する。血糊のついたマントを引きずりながら進む魔王に魔術師たちは一斉に杖を掲げ、炎の魔法を放った。


「ぬるい」

「――!?」



 集中砲火は命中したというのに魔王は頬を焦がしながら爪先を前へと進め続ける。中央の舞台に足を踏み入れた途端、舞台から光が溢れ魔力阻害の結界が発動した。魔王の力を抑え込んだタイミングで騎士たちが剣を掲げ、魔王へと迫った。



「だから、ぬるいと言っている」



 魔王の落胆の声に騎士は目を疑った。魔法で焼かれた肌は既に元通りに修復され、魔力を乗せた拳が剣を次々と折っていく。服すら傷付けることも出来ていない。先陣を切った騎士たちは一瞬にして意識を刈り取られていく。まったく結界が効いていない事実に剣に迷いが生まれ、魔王と騎士の間に距離ができた。



「手を出さなければ、見逃してやろう。そこの犬に事情を聞くだけだ。良いだろう?」



 魔王の顔には変わらず笑みが浮かんでいた。美しい容姿が、冷酷さを際立たせる。騎士団長は数秒考え、目線だけで騎士を下がらせ道を空けた。狼を捕らえている鎖は地面に杭を打たれ、逃れることは許されない。魔王は狼に顔を寄せ、眉間に深い溝を刻んだ。



「可哀想に――くっ!?」



 狼の額に伸ばされた手が止まる。目映い光りが目を焼き、全身に痛みが走る。聖騎士たちが魔王を囲むように手のひらを向けて光りを放ったのだ。


「油断したな魔王!」


 騎士団長は罠が成功した喜びを露にした。魔王の鼓膜は光に焼かれ、その声は届いてはいない。でも感じることはできた。傍にいた狼の半身は先に灰になって風に流れていく。己の身体も少しずつ聖なる力に蝕まれ、表面が剥がれていくのを感じる。光りに包まれている間は魔王の持つ闇の魔力は本領を発揮できない。このまま光りに身を委ねれば渇望した『死』が手に入るのでは、と頭をよぎる。



――あぁ、でも駄目だ。我は帰らねば。我の死に場所はあそこが良い



「あ"ぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」



 魔王は焼けた喉で吼え、抵抗した。効果は無いに等しいが魔力を体内で燃やし、聖なる魔力の侵略を少しでも遅らせる。

 一方で騎士や神官、広場にいた者たちは魔王が死ぬ瞬間に立ち会えると身を震わせた。国賓席で気を失っていたロード教皇も目を覚まし、拳に汗を握る。もう光のなかで黒い影は膝をつき、天に叫ぶことしか出来ない。その声ももう耳で聞き取れぬほど小さく弱々しい。しかし聖騎士といえど聖なる魔力は多くはない。聖騎士が尽きるが早いか、魔王の死が早いか間もなく答えが出ようとしていた。



 あと少し、あと少し、あと少しで―――魔王が天に穿った願いは届けられる。


 音もせず空から火柱が立ち上がった。遅れて爆発音が轟き魔王を飲み込み、周囲にいた聖騎士も巻き込もうと炎が手を伸ばす。聖騎士は本能的に後方へ逃れ、結果、聖魔法の供給が全て止まった。そして注目は空へと注がれた。


「紅蓮のドラゴンだ!下がれ!」


 火柱を押し潰すように深紅のドラゴンが舞い降りた。赤く焼けた石畳の中央に座り込む魔王が、木炭のようになった指をルージュの顎へと伸ばした。



「……あ、りが……とう」

「ガァァァァァァア!」

「帰ろう。我は少し休みたい」



 ルージュは周囲に炎を巻き散らかそうとするが、魔王が諫める。ルージュが不満そうにしながら、まだ再生しきれてない魔王を優しく咥え翼を広げた。聖騎士と魔術師は魔法を放とうと構える。



「止めなさい!ドラゴンに手を出せば国賓共々ここら一帯が消え去ります!」



 ロード教皇の叫びに聖騎士たちは動きを止め、ドラゴンを睨む。ルージュは人族に『神の裏切り者』と呼ばれているが、神の化身の仲間に間違いはない。魔王のように聖魔法が効かない上に強さは魔王に匹敵する。本気で暴れられては国が滅び兼ねない。

 攻撃を止めた騎士たちにルージュは鼻をならし、一瞬にして遥か上空へと飛び立った。翼の風圧で滅びた魔獣の砂が騎士たちを吹き付け、視界を遮る。次に瞼を開けたときには、空から姿は消えていた。



 ロード教皇は国賓席で法衣の裾を赤く染め、魔王の退場を見送った。そしてほっと胸を撫で下ろした。

 被害はあれど、魔王とドラゴン相手と考えれば損害は少ない方だ。優秀な騎士は失われたが、貴重な聖騎士はほぼ健在。ロード教皇はすぐに今後について思考を巡らせ、指示を出す。



「式典は中止にいたします!これより直ちに対応を協議に移ろうと思う。申し訳ないが、お先に失礼します」



 傍にいる騎士や神官に現場を任せ、ロード教皇は先頭に立って司教を伴い大聖堂へと入っていった。会議室までの道のりは沈黙だ。ロード教皇も余計な雑談はせずに魔王について思考を割き――歪に口角をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る