第7話

 アルムテイル神聖国は活気に沸いていた。今日は休戦協定の締結一周年。商店街は店舗前にテントを構えて露店売りをしていて客寄せの声で賑わう。今生きている人族は生まれた頃から戦争とは深い関係で、初めての戦争のない年を過ごし平和を噛み締めていた。徴兵で親しい人を失う心配もなく、物価も下がり生活は向上した。


 アルムテイル神聖国は世界平和の立役者。この一周年記念日を盛り上げようと国内はもちろん、国外の民も大聖堂のある首都に多く集まっていた。


 街が陽気に賑わう一方で、大聖堂前広場は緊張感に包まれ、厳戒体制が敷かれていた。いつもは解放されている広場に繋がる道は国の騎士によって封鎖され、広場や大聖堂前には白服の聖騎士が背筋を伸ばし、目を光らせている。

 中央を空け、円を描くように同盟国の国賓や、アルムテイル神聖国貴族が座る特設の観覧席が儲けられている。そこには国内外の魔導師も配置されていた。


 魔王の参列を誰もが恐れていた。


 だが招待したのはアルムテイル神聖国。話が通じないとされていた魔族に対して、休戦を実現させた実績がある。不参加を表明すればアルムテイル神聖国を不支持と見なされ、爪弾きに合い立場は危うくなる。それほどまでアルムテイル神聖国の影響は世界の中でも群を抜いていた。


 銀の刺繍が施された純白の法衣を纏う男が、大聖堂の最上階から広場を見下ろしていた。五十代とは思えぬほど顔には皺が深く刻まれ、積年の苦労が伺える。彼は休戦協定の提言者であり、聖女を魔王に献上、二人を式典に招待したアルムテイル神聖国の最高権力者――ロード教皇だ。歴代の教皇が引き継ぐ金と七色の宝石でできた大きな首飾りが、神聖な雰囲気を作り出していた。



「ロード教皇、お時間です。開会宣言を」

「魔王と聖女レティシアの姿はまだ見えぬのか?」

「はい。見張りによると国境を越えた様子はなく、紅蓮のドラゴンが空を飛ぶ姿も目撃されておりません。本当に来るのでしょうか」

「……」



 ロード教皇は部下の問いに答えることなくバルコニーの扉を開いた。参列者は教皇の姿を見受けて、盛大な拍手で出迎える。ロード教皇は応えるように手を振りながら、国賓の空席を見て僅かに目を細めた。



――来い、魔王



 誰にも聞こえぬほど小さく囁いた瞬間、広場の中央に不自然な影が広がった。参列者はロード教皇を見上げていて気付いていない。


「構えよ!」


 配備された魔導師のひとりが気付き声を上げ、緊張が走る。中央に注目が集まった時、影が弾け、黒いローブを姿が二つ現れた。聖騎士は抜剣し、魔導師は杖を向けるが、長身の一人がローブを影に脱ぎ捨て鼻で笑った。


「器が知れるな。そちらから招いておいて、随分なお出迎えではないか」


 闇のような黒髪と漆黒の礼服が鮮血の瞳を際立たせ、中性的な顔立ちの男がそこにいた。無表情だというのに色香すら漂い視線を集めるが、こめかみに生えるふたつの角が人外だと知らしめていた。参列者のほとんどが彼の姿を知らなかったが――



『魔王』



 全員が本能的に認識した瞬間、祝福の空気は霧散し静寂が支配した。過ぎた恐怖は悲鳴すら奪っていった。魔王はバルコニーに佇むロード教皇に口角を片方だけ上げ、長い黒爪を首元で横に引いた。


「それとも我は帰った方が宜しいか? このままでは赤く染まるぞ」

「――騎士は控えよ!来賓であられるぞ」



魔王の力で広場に冷たい声が響くと、ロード教皇は半ば自分に言い聞かせるように叫んだ。渋々と騎士たちが剣を鞘に納めたのを確認し、けたましい鼓動を押さえつけるように短く息を吐く。

 観覧席を見れば気を失う者も数名いたが横目で流し、魔王を見据えた。過去に一度だけあいまみえた気高き魔王は、四十年の歳月を経ても何一つ変わらぬ姿で立っていた。その隣には一回り小さな姿があった。



「魔王よ、隣の者は彼女でしょうか?聖女レティシアの姿を見せてはくれませんか?無事を確認したいのです」

「いいだろう」



 魔王が隣に囁くと、その者は胸元のリボンを解いて影にローブを落とした。姿が露になったとき、全員が息を飲んだ。聖女の姿は多くの民が覚えており、光を集めたように輝く蜂蜜色の髪に若葉色の瞳、白く滑らかな肌という事実は変わらない。だが、それぞれ磨かれたように輝きが増している。


 それだけではない。魔王城に嫁いでからの栄養満点の食事と訓練によって、華奢だった身体のラインはメリハリのある豊かな体型に変化。そのシルエットが際立つ純白のドレスは、蜘蛛の魔族アラクネの糸を紡ぎ織った特注の生地だ。光りを受けた角度で光彩は変化し、風を受けてスカートはオーロラのよう虹彩を放ちながら揺れる。


 極めつけは聖女の頂に鎮座するティアラ。ダイヤを削り出したように光りを集めたそれに繋ぎ目は見当たらない。「どれほど大きなダイヤが……」と前列の参列者は驚愕するが、実際はダイヤなど石ころ同然にする銀翼のドラゴンの鱗が素材にされていた。


 ロード教皇を遥かに凌ぐ神聖な存在感に、誰もが女神が舞い降りたと錯覚した。魔王が本気を出した聖女のプロデュースが見事に成功した瞬間だった。



「どうだ?きちんと大切にしているだろ?」



 魔王の言葉を否定できる者はひとりもいない。ロード教皇が僅かに眉を寄せ、止まりかけた時間を動かす。



「聖女レティシアよ、貴女がきちんとした扱いを受けているようで安心しました。よく戻られました」



 聖女は微笑み静かにカーテシーで応える。そして魔王と手を取り合い、空いている国賓席へと向かった。漆黒と純白が並ぶ姿は休戦の象徴のようだった。二人は畏怖、疑心、羨望、悔恨――様々な視線の間を悠々と歩いていった。

 着席するのを見計らい、ロード教皇は開会宣言を行った。そして創造神マキナへの祈りの言葉を捧げ終わると、広場の中央で奉納の演舞が披露されていく。それが終われば歌姫や劇など舞台の景色は変わっていくが、すべてマキナ神にまつわるものばかり。



 魔王は足を組み、頬杖をついて静かに鑑賞していた。表情は相変わらず無表情ではあるが、時折聖女に話しかけられながら人族のルールに則る姿に多くの者は注視し、舞台に集中できずにいた。そこへロード教皇が恐れず魔王の隣に座ったことで安心感が広がっていく。


 演劇の前半が終わり、休憩が挟まれた。国賓には飲み物が配られていくのだが、手を震わせた給仕の一人が躓きグラスが聖女の前で割れた。真っ赤なワインは純白のドレスに飛び散り、再び会場が凍りつく。ギロリと魔王に睨まれた給仕の男は恐怖で声を失い、ただ額を床に付け震えた。庇うように、神官と思われる法衣を着た男がすぐに聖女の前で膝をついた。



「聖女様、お許し下さいませ。着替えをご用意しておる故、こちらの者の案内で――」

「必要ない」


 遮るように魔王がパチンと指を鳴らすと水が現れ、純白のドレスに染みひとつ残さず洗い流していく。ついでに汚れた床も元通りになり、魔王の気遣いに誰もが驚いた。神官と給仕の男は深く腰を折り、あっという間にその場を去った。



――聖女様が魔王を変えた



 魔王は視線を舞台にむけたまま、耳は参列者の声を拾う。聖女レティシアを見出だしたロード教皇を称える声が最も多い。式典はアルムテイル神聖国にとっていたって順調だ。魔王が一度瞼を閉じたが、ロード教皇の声で再び開いた。



「魔王よ、先程はありがとうございます」



 魔王は返事を返さずゆっくりと瞬きをした。いつもと違う魔王の態度に聖女は不安を覚え、重ねている自分の手を強く握った。ロード教皇もそれ以上口を開くことなく、舞台に視線を戻した。


 後半の演劇は マキナ神が子孫の人族に加護を与えたことで、世界が繁栄していくシーンだった。村ができ、街ができ、国ができていく。そこに戦争の描写も魔族の描写もない。ただ人族の命が尊いという愛の物語。

 フィナーレを迎えようとしたその時、大聖堂からカンカンカンと警告の鐘が鳴り響く。広場のすぐそばから煙が上り、何かの咆哮が届いた。

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